尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中公新書『新疆ウイグル自治区』(熊倉潤著)を読む

2022年07月21日 23時04分04秒 |  〃  (国際問題)
 中公新書6月新刊の熊倉潤著『新疆ウイグル自治区』は、この問題の理解のための必読書だ。まあ、関心がある人はもう読んだかも知れないが、やはり紹介しておきたい。著者の熊倉潤氏は1986年生まれで、アジア経済研究所研究員などを経て、2021年から法政大学法学部准教授。古代から現代まで簡潔に叙述されて、とても判りやすい。30代の注目すべき筆者が現れたと思う。

 まず「新疆ウイグル自治区」だが、「新疆」は「しんきょう」、中国語では「シンチャン」。「」は「境界」「果て」という意味で、この地域を征服した清朝から見た行政上の地域区分である。1884年に初めて「新疆省」が置かれたが、地名ではない。「ウイグル」も地名ではなく、民族名である。では、地名では何と呼ぶかと言えば、「東トルキスタン」ということになる。清朝崩壊後、そのまま中華民国の支配下にあったが、ムスリム住民によって2回ほど「東トルキスタン共和国」の建国が宣言されたことがある。「東」があれば「西トルキスタン」もある。現在のウズベキスタンからトルクメニスタンなどの旧ソ連の中央アジアである。

 「トルキスタン」というのは、中央アジア一帯に広く住んでいるトルコ系住民の住む土地のことで、イスラム教徒の社会である。大昔から中国史では「西域」(さいいき)と呼ばれた地域で、ずいぶん複雑で興味深い歴史がある。それはここでは省略する。この本は中華人民共和国成立後の新疆統治を現在に至るまで細かく追っている。中国共産党の政策、幹部の異動などにも細かいが、関心のある人には非常に興味深いと思う。特に「解放」直後にウイグル族への扱いに関して、王震習仲勲の対立があったという指摘は重大だ。習仲勲は現在の党主席である習近平の父である。そこに中国現代史における「新疆」の重要性がある。
(熊倉潤氏)
 ロシアのウクライナ侵攻ですっかり忘れられた感があるが、その直前まで国際情勢の焦点は「ウイグル問題」だった。北京冬季オリンピック、パラリンピックを前にして、欧米は「ウイグル族へのジェノサイド」が行われていると激しく非難した。新疆産の綿花を使う企業は批判され、新疆産は扱わないとすると、今度は中国で批判されたりした。ウイグル問題を正しく理解することは、このように国際人権問題に止まらず、我々の日常生活や企業経営にも重大な関わりがある。

 僕も読んだのは参院選前で、細かなことは忘れ掛かっているので、以下は簡単に。この地域は中ソ対立期には「対立の最前線」だったが、改革開放以後も「ソ連崩壊」によって中央アジア諸国が独立し警戒が必要な地域となった。2001年後はイスラム過激派のテロも起こった。「ウイグル自治区」ということで、一応自治区政府のトップはウイグル人になっている。しかし、もちろん中国の真の支配者は共産党であり、新疆の党委員会書記は漢人が務めてきた。その中でも様々な人がいて、書記人事の細かな話は僕もそこまで知らなかったので、判りやすい。
(2014年のウルムチ爆弾テロ)
 僕も全然知らなかったのだが、新疆には「新疆生産建設兵団」という「屯田兵」が存在する。この地域は国境の向こう側に宗教と民族に共通性を持つ人々が住んでいるという独自性から、中央から漢人を送り込んで支配を固めたわけである。実はこれはソ連を訪問した劉少奇にスターリンが助言したことから始まったという。漢人の移民も推進し、1949年には20万人だった漢人が、1962年には208万に増え、全体の3割を超えたという。ウィキペディアの記載では、民族分布はウイグル族45%、漢族41%、カザフ族7%、回族5%、キルギス族0.9%、モンゴル族0.8%…になっている。すでにウイグル族は過半数を割っているのである。

 そのような中で、ウイグル人の苦難を象徴するのがラビア・カーディルだろう。改革開放の波に乗り実業家として成功した女性で、一時は入党が認められ、政治協商会議のメンバーにも選出された。しかし、民族問題をめぐる発言で失脚し、逮捕・投獄された。2005年に出国が認められ、アメリカに亡命した。その後、世界ウイグル会議議長として活動している。日本も何度か訪れているが、日本では「反中国政権」という共通性からか、保守派と相性がよく靖国神社を訪問したりしている。それはともかく、ウイグル現代史の有為転変を象徴するような女性である。
(ラビア・カーディル)
 今回読んで、非常に驚いたのは「親戚」制度である。ウイグル人と漢人の対立が激しくなって、それを緩和する民族宥和政策として、両者を「親戚」として交友させる制度が出来た。良いように思うかもしれないが、強制的に「友好」を押しつけても逆効果だろう。特に漢人が押しかけて来て、相互理解のためと称して「豚肉料理」を作ったりするというのに恐怖を感じた。宗教上忌避する食材を押しつけられても、拒否出来ないだろう。しかし、この屈辱感は屈折して永遠に残るに違いない。著者は「ジェノサイド」とは違う概念だという立場だが、僕はここまでやるのは、「文化的ジェノサイド」と言われても当然ではないかと思う。
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