2022年7月の訃報続き。最初は第56代横綱、2代目若乃花が16日死去、69歳。本名下山勝則。北の湖らとともに昭和28年生まれの「花のニッパチ」と呼ばれた。初代若乃花の二子山親方に中学時代に見出され、後の横綱隆の里と共に夜行列車で上京した。77年1月場所後に大関に昇進。柔らかい体と豪快な投げ技に加え、甘いマスクで女性ファンに絶大な人気を誇った。相撲中継のアナや解説者がこれほど「美男力士」と表現した人は他にいないだろう。77年5月場所で初優勝したが、北の湖全盛時代でなかなか優勝に恵まれなかった。そのため13勝、13勝、14勝(直近2回は優勝決定戦で北の湖に敗れる)で、前3場所に優勝がないまま78年5月場所後に横綱に昇進した。それまでは「若三杉」を名乗ったが、横綱昇進とともに「若乃花」に改名した。
(2代目若乃花)
あれほど人気があった力士だったのに、この人はちょっと忘れられている。北の湖と同い年だったために優勝4回に止まり、優勝次点14回という記録を持つという。80年代に入るとケガや病気で休場が増え、83年1月場所で引退した。現役中に師匠の長女と結婚したが翌年に離婚して、銀座の年上ホステスと再婚した。そのため横綱引退を引き留められず、29歳で引退した。その後は間垣親方を襲名した。98年には相撲名跡改革案に反対して、一門の意向を無視して理事選に立候補して当選した。しかし、05年に夫人が亡くなり、07年には本人も脳出血で倒れた。08年には弟子が大麻で逮捕され、理事を辞任した。その後も体調がすぐれず、2013年には間垣部屋を閉じ、年末には協会を退職した。この人の後半生も失意の連続だった。
元大蔵大臣、財務大臣の藤井裕久が10日死去、90歳。旧大蔵官僚で、二階堂進、竹下登の秘書官を務めて、政治家に転身した、77年に参院で当選、83年に再選。86年に衆院へ鞍替えを目論むが落選。90年の衆院選で当選した。93年の自民党分裂では小沢グループに属して離党して新生党に参加。非自民連立の細川、羽田内閣で大蔵大臣を務めた。その後は小沢に従って、新進党、自由党、民主党に所属し、04年には幹事長を務めた。しかし、05年の郵政選挙で落選、比例区でも次次点だったため、73歳の藤井は引退を決意した。ところが民主党に二人の辞職者があって、07年に繰り上げ当選となった。09年には立候補しないつもりが、鳩山代表に請われて比例単独35位で南関東ブロックから立候補した。普通は当選しないはずが政権交代の熱気で民主党が全員当選。思いがけず当選して、鳩山内閣で財務大臣に就任した。結局、非自民政権はこの人の経験を必要としたのである。しかし、体調不良を理由に年明けに辞任した。この人の話は聞いたことがあって、面白いし洒脱な感じに好感を持った。
(藤井裕久)
西武百貨店、そごうの「再建請負人」だった元ミレニアム・リテイリング社長、会長の和田繁明が26日死去、88歳。この人も先の二人にも劣らぬ「人にドラマあり」だった。57年に西武百貨店に入社、堤清二の「秘蔵っ子」と呼ばれ、69年に35歳で取締役に昇進、40歳で常務になった。しかし、83年に経営不振だったレストラン西武に骨を埋めるつもりで出向した。ところがバブル崩壊とともに西武百貨店に不祥事が起こり、1992年に西武百貨店会長として復帰したのである。この時期の堤清二の引退、西洋環境開発の清算、セゾングループの解体を和田が手掛けたのである。ファミマも西友も良品計画も皆セゾンだった。セゾン系映画館もあったが、99年にはセゾン美術館も閉館し、70年代以降の「セゾン文化」は消え去った。2000年にはそごうの再建を託され、03年に西武とそごうを統合したミレニアム・リテイリング社長に就任。05年にセブン&アイグループの傘下に入った。百貨店再編の先駆けとなった人だが、今はそのそごう・西武も売却を検討されている。
(和田繁明)
考古学者の大塚初重が21日死去、95歳。1947年に明治大学入学後、静岡市の登呂遺跡や群馬県の岩宿遺跡など戦後考古学史に特筆される遺跡の発掘に参加した。その後群馬県の観音山古墳、茨城県の装飾古墳である虎塚古墳などの発掘調査を行い、東日本の古墳文化の解明に貢献した。日本考古学会会長の他、多くの役職を務めた。戦争中に乗っていた輸送船が2度撃沈され東シナ海を漂流し、皇国史観に疑いを持ち歴史学を志したという。
(大塚初重)
国際政治学者の武者小路公秀(むしゃのこうじ・きんひで)が5月23日に死去していた。92歳。名前の通り、元華族の外交官公友の三男で、作家武者小路実篤は叔父にあたる。学習院大学、上智大学などの教授を務め、76年から89年まで国連大学副学長も務めた。帰国子女としていじめられた経験から、反差別の意識が強く多くの運動にも関わった。04年から21年に世界平和アピール七人委員会のメンバーだった。
(武者小路公秀)
・野村昭子、1日死去、95歳。俳優。俳優座養成所1期生。『赤ひげ』などの映画、『渡る世間は鬼ばかり』などのテレビドラマで活躍した。
・斉藤邦彦、4日死去、87歳。元外務事務次官、駐米大使。
・嵐ヨシユキ(らん・よしゆき)、4日死去、67歳。ロックバンド「横浜銀蝿」リーダー。
・高沢皓司(たかざわ・こうじ)、6日死去、ジャーナリスト。関東学院大学在学中に全共闘運動に参加、新左翼やアジアの戦争に関する多くの取材を重ねた。その後、北朝鮮に通って「よど号」グループを取材した。1998年に『宿命 「よど号」亡命者たちの秘密工作』を出版し、講談社ノンフィクション賞を受賞した。よど号グループとヨーロッパからの「拉致」について告発して大きな衝撃を与えたが、批判もあった。僕は細部に問題はあるだろうが、読んでおくべき本だと思っている。
・高橋和希、6日死去、60歳。漫画家。「遊☆戯☆王」で知られ、4千万部以上の累計発行部数と言われる。沖縄県名護市の海で死亡。
・山下惣一、10日死去、89歳。農民作家。佐賀県唐津市で農家を継ぐ一方、農業体験を小説やルポで発表した。農業の衰退、村の崩壊を鋭く批判し続けた。70年「海鳴り」で農民文学賞、79年『減反神社』で直木賞候補。その他多くの著作がある。
・石川忠久、12日死去、90歳。中国文学者。NHKの漢詩番組で知られた。平成後の元号候補として「万和」(ばんな)を考案した。
・金昌国、15日死去、80歳。フルート奏者。東京芸大教授として活動しながら、世界的なフルート奏者として活躍した。69年ジュネーブ酷さ音楽コンクール2位。
・近藤信行、17日死去、91歳。文芸評論家。中央公論社で「海」の編集長を務めた。1978年『小島烏水 山の風流使者伝』で大佛次郎賞。登山関係の多くの著作、編著がある。
・金城重明、19日死去、93歳。元沖縄キリスト教短大学長。沖縄戦の「集団自決」の証言者として知られた。
・小川隆吉、25日死去、86歳。元北海道ウタリ協会理事。2012年に北大に遺骨返還を求めた訴訟を提訴、16年に和解成立で12体が返還された。
・吉野良彦、26日死去、91歳。元大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。竹下内閣の消費税導入時の調整を担当した。
・李鐘根(イ・ジョングン)、30日死去、93歳。在日韓国人被爆者として証言活動を行った。
・小林清志、30日死去、89歳。声優。『ルパン三世』シリーズの次元大介や『妖怪人間ベム』(1968年)のベムなどで知られた。映画の吹き替えではジェームズ・コバーン、トミー・リー・ジョーンズなどで活躍した。
・飯村隆彦、31日死去、85歳。映像作家。日本の実験映画の草分け的存在で、世界各国で多くの受賞歴がある。著書も多く、オノヨーコに関する本も出している。60年代にはニューヨークで活動し、90年代以後は帰国して大学でも教えていた。
(2代目若乃花)
あれほど人気があった力士だったのに、この人はちょっと忘れられている。北の湖と同い年だったために優勝4回に止まり、優勝次点14回という記録を持つという。80年代に入るとケガや病気で休場が増え、83年1月場所で引退した。現役中に師匠の長女と結婚したが翌年に離婚して、銀座の年上ホステスと再婚した。そのため横綱引退を引き留められず、29歳で引退した。その後は間垣親方を襲名した。98年には相撲名跡改革案に反対して、一門の意向を無視して理事選に立候補して当選した。しかし、05年に夫人が亡くなり、07年には本人も脳出血で倒れた。08年には弟子が大麻で逮捕され、理事を辞任した。その後も体調がすぐれず、2013年には間垣部屋を閉じ、年末には協会を退職した。この人の後半生も失意の連続だった。
元大蔵大臣、財務大臣の藤井裕久が10日死去、90歳。旧大蔵官僚で、二階堂進、竹下登の秘書官を務めて、政治家に転身した、77年に参院で当選、83年に再選。86年に衆院へ鞍替えを目論むが落選。90年の衆院選で当選した。93年の自民党分裂では小沢グループに属して離党して新生党に参加。非自民連立の細川、羽田内閣で大蔵大臣を務めた。その後は小沢に従って、新進党、自由党、民主党に所属し、04年には幹事長を務めた。しかし、05年の郵政選挙で落選、比例区でも次次点だったため、73歳の藤井は引退を決意した。ところが民主党に二人の辞職者があって、07年に繰り上げ当選となった。09年には立候補しないつもりが、鳩山代表に請われて比例単独35位で南関東ブロックから立候補した。普通は当選しないはずが政権交代の熱気で民主党が全員当選。思いがけず当選して、鳩山内閣で財務大臣に就任した。結局、非自民政権はこの人の経験を必要としたのである。しかし、体調不良を理由に年明けに辞任した。この人の話は聞いたことがあって、面白いし洒脱な感じに好感を持った。
(藤井裕久)
西武百貨店、そごうの「再建請負人」だった元ミレニアム・リテイリング社長、会長の和田繁明が26日死去、88歳。この人も先の二人にも劣らぬ「人にドラマあり」だった。57年に西武百貨店に入社、堤清二の「秘蔵っ子」と呼ばれ、69年に35歳で取締役に昇進、40歳で常務になった。しかし、83年に経営不振だったレストラン西武に骨を埋めるつもりで出向した。ところがバブル崩壊とともに西武百貨店に不祥事が起こり、1992年に西武百貨店会長として復帰したのである。この時期の堤清二の引退、西洋環境開発の清算、セゾングループの解体を和田が手掛けたのである。ファミマも西友も良品計画も皆セゾンだった。セゾン系映画館もあったが、99年にはセゾン美術館も閉館し、70年代以降の「セゾン文化」は消え去った。2000年にはそごうの再建を託され、03年に西武とそごうを統合したミレニアム・リテイリング社長に就任。05年にセブン&アイグループの傘下に入った。百貨店再編の先駆けとなった人だが、今はそのそごう・西武も売却を検討されている。
(和田繁明)
考古学者の大塚初重が21日死去、95歳。1947年に明治大学入学後、静岡市の登呂遺跡や群馬県の岩宿遺跡など戦後考古学史に特筆される遺跡の発掘に参加した。その後群馬県の観音山古墳、茨城県の装飾古墳である虎塚古墳などの発掘調査を行い、東日本の古墳文化の解明に貢献した。日本考古学会会長の他、多くの役職を務めた。戦争中に乗っていた輸送船が2度撃沈され東シナ海を漂流し、皇国史観に疑いを持ち歴史学を志したという。
(大塚初重)
国際政治学者の武者小路公秀(むしゃのこうじ・きんひで)が5月23日に死去していた。92歳。名前の通り、元華族の外交官公友の三男で、作家武者小路実篤は叔父にあたる。学習院大学、上智大学などの教授を務め、76年から89年まで国連大学副学長も務めた。帰国子女としていじめられた経験から、反差別の意識が強く多くの運動にも関わった。04年から21年に世界平和アピール七人委員会のメンバーだった。
(武者小路公秀)
・野村昭子、1日死去、95歳。俳優。俳優座養成所1期生。『赤ひげ』などの映画、『渡る世間は鬼ばかり』などのテレビドラマで活躍した。
・斉藤邦彦、4日死去、87歳。元外務事務次官、駐米大使。
・嵐ヨシユキ(らん・よしゆき)、4日死去、67歳。ロックバンド「横浜銀蝿」リーダー。
・高沢皓司(たかざわ・こうじ)、6日死去、ジャーナリスト。関東学院大学在学中に全共闘運動に参加、新左翼やアジアの戦争に関する多くの取材を重ねた。その後、北朝鮮に通って「よど号」グループを取材した。1998年に『宿命 「よど号」亡命者たちの秘密工作』を出版し、講談社ノンフィクション賞を受賞した。よど号グループとヨーロッパからの「拉致」について告発して大きな衝撃を与えたが、批判もあった。僕は細部に問題はあるだろうが、読んでおくべき本だと思っている。
・高橋和希、6日死去、60歳。漫画家。「遊☆戯☆王」で知られ、4千万部以上の累計発行部数と言われる。沖縄県名護市の海で死亡。
・山下惣一、10日死去、89歳。農民作家。佐賀県唐津市で農家を継ぐ一方、農業体験を小説やルポで発表した。農業の衰退、村の崩壊を鋭く批判し続けた。70年「海鳴り」で農民文学賞、79年『減反神社』で直木賞候補。その他多くの著作がある。
・石川忠久、12日死去、90歳。中国文学者。NHKの漢詩番組で知られた。平成後の元号候補として「万和」(ばんな)を考案した。
・金昌国、15日死去、80歳。フルート奏者。東京芸大教授として活動しながら、世界的なフルート奏者として活躍した。69年ジュネーブ酷さ音楽コンクール2位。
・近藤信行、17日死去、91歳。文芸評論家。中央公論社で「海」の編集長を務めた。1978年『小島烏水 山の風流使者伝』で大佛次郎賞。登山関係の多くの著作、編著がある。
・金城重明、19日死去、93歳。元沖縄キリスト教短大学長。沖縄戦の「集団自決」の証言者として知られた。
・小川隆吉、25日死去、86歳。元北海道ウタリ協会理事。2012年に北大に遺骨返還を求めた訴訟を提訴、16年に和解成立で12体が返還された。
・吉野良彦、26日死去、91歳。元大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。竹下内閣の消費税導入時の調整を担当した。
・李鐘根(イ・ジョングン)、30日死去、93歳。在日韓国人被爆者として証言活動を行った。
・小林清志、30日死去、89歳。声優。『ルパン三世』シリーズの次元大介や『妖怪人間ベム』(1968年)のベムなどで知られた。映画の吹き替えではジェームズ・コバーン、トミー・リー・ジョーンズなどで活躍した。
・飯村隆彦、31日死去、85歳。映像作家。日本の実験映画の草分け的存在で、世界各国で多くの受賞歴がある。著書も多く、オノヨーコに関する本も出している。60年代にはニューヨークで活動し、90年代以後は帰国して大学でも教えていた。
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