2022年7月の訃報。一番大きな訃報は安倍晋三元首相だが、「政治的事件」だったので別に書いた。演出家ピーター・ブルックも別に書いた。他に多くの訃報があったけれど、「二人の陽子」から書きたい。「陽子」という名前はある時代まで非常に多かった。同級生にも生徒にも何人もいたけど、この頃はめっきり少なくなった名前だろう。
女優の島田陽子が25日死去、69歳。島田陽子は70年代初期のテレビドラマで良家の子女を演じる清楚可憐な役柄で非常に人気があった。71年にテレビドラマ『続・氷点』のヒロイン役で人気が沸騰し、以後多くのドラマに出た。また映画でも『砂の器』『犬神家の一族』などの映画にも出演した。1980年にはアメリカのテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』に出演してゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞し国際女優と呼ばれた。しかし、1988年の映画『花園の迷宮』で出会った内田裕也と「不倫」に陥ったあげく結婚は出来ずに、多額の借金を作ったとされる。以後は金銭トラブルが多く失意の後半生を送ったのが残念だった。
(島田陽子)
ヴァイオリニスト、声楽家の佐藤陽子が19日死去、72歳。3歳でヴィアオリンを始め、9歳でソ連に留学、16歳でチャイコフスキーコンクール3位。声楽家としてもマリア・カラスに認められるなど、華々しい国際的活躍で知られた。76年に帰国後は執筆やタレント活動した。パリで知り合った外交官岡本行夫と結婚したが、その後世界的版画家池田満寿夫とローマで出会った。岡本と79年に離婚して、80年に池田と大々的な「結婚式」を行ったが、池田の妻は離婚に応ぜず法的な結婚は出来なかった。ただし、島田陽子と違って、佐藤陽子と池田満寿夫は最後までパートナーで、熱海で二人が住んだ工房は記念館になっている。
(佐藤陽子と池田満寿夫)
フォークシンガーの山本コータローが4日死去、73歳。本名厚太郎。70年に「ソルティー・シュガー」のコミックソング「走れコータロー」が大ヒットした。また74年に「山本コータローとウィークエンド」の「岬めぐり」も大ヒットした。この間一橋大学の卒論に吉田拓郎を取り上げて評判になった。(『誰も知らなかったよしだ拓郎』として刊行。)71年から78年までTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」の金曜1部(1時~3時)を担当し、その時2部(3時~5時)担当の映画評論家吉田真由美と知り合い生涯のパートナーとなった。法的な結婚はせず、別姓で同居を続けた。地球環境問題に関心を寄せ、87年から白鴎大学非常勤講師、99年から白鴎大学教授。89年には参院選に出馬して落選した。僕は二人の深夜放送を聞いていたので思い出深い。
(山本コータロー)
俳優の石濱朗(いしはま・あきら)が26日死去、87歳。高校時代に木下恵介監督『少年期』でデビュー。松竹に所属し、木下恵介『この広い空の下で』『遠い雲』『太陽とバラ』、小林正樹監督『人間の条件』『切腹』など巨匠の映画に出ていた。また甘いマスクで人気があり、『伊豆の踊子』で美空ひばりと共演するなど多くの青春映画でも活躍した。その後70年代以後はテレビを中心に多くの時代劇などで活躍した。2009年から日本映画俳優協会理事長を務めた。主演級で活躍したのは主に50年代なので若い人は知らないと思うけれど、こういう端正な俳優は当時は珍しかった。
(石濱朗、若い頃と最近)
フィリピンの元大統領フィデル・ラモスが31日に死去、94歳。死因は新型コロナウイルス感染による合併症。1986年の「ピープルパワー」革命(マルコス大統領の不正選挙に怒った民衆100万人が街頭に集結し、大統領は国外に亡命した)で、軍人の中心的役割を果たしたことで記憶される。父は外務大臣を務めた政治家だったが、息子は米国陸軍士官学校に留学し軍人になった。マルコス時代に国家警察軍司令官、国軍参謀総長代行を務めていたが、86年2月に独裁に反対して政権を離反。これがマルコス体制崩壊の決め手になった。コラソン・アキノ政権では参謀総長、国防相を歴任し、後継指名を受けて、92年から98年まで大統領を務めた。その間は経済復興、南部の反政府組織との和平交渉等に取り組み、内外で広く支持された。
(ラモス)
・レオニード・シュワルツマン、2日死去、101歳。旧ソ連のアニメ映画の美術監督。『雪の女王』の美術監督。チェブラーシカの生みの親として知られる。
・ジェームズ・カーン、6日死去、82歳。アメリカの俳優。『ゴッドファーザー』の長男ソニー役でアカデミー賞助演男優賞ノミネート。他にも『シンデレラ・リバティ』『愛と哀しみのボレロ』『ミザリー』などで活躍した。
・モンティ・ノーマン、11日死去、94歳。007シリーズの「ジェームズ・ボンドのテーマ」の作曲者。
・ボブ・ラファエルソン、23日死去、89歳。アメリカの映画監督。70年前後の「アメリカン・ニューシネマ」の中で僕が一番好きな『ファイブ・イージー・ピーセス』(70)の監督。他には『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ぐらいしか知らないけど、調べたら他にも幾つか公開されていたので驚いた。ザ・モンキーズの仕掛け人で、映画『ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!』も作っている。
・ジェームズ・ラブロック、26日死去、103歳。イギリスの科学者。地球を自己調節機能のある生命体と見なす「ガイア理論」の提唱者。地球温暖化防止のため原子力の活用を支持して波紋を呼んだ。
・ニシェル・ニコルズ、30日死去、89歳。アメリカの女優。テレビドラマ「スタートレック」で黒人女優の草分け的存在となった。その後、NASAでのボランティア活動を続けたことでも知られる。
女優の島田陽子が25日死去、69歳。島田陽子は70年代初期のテレビドラマで良家の子女を演じる清楚可憐な役柄で非常に人気があった。71年にテレビドラマ『続・氷点』のヒロイン役で人気が沸騰し、以後多くのドラマに出た。また映画でも『砂の器』『犬神家の一族』などの映画にも出演した。1980年にはアメリカのテレビドラマ『将軍 SHŌGUN』に出演してゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞し国際女優と呼ばれた。しかし、1988年の映画『花園の迷宮』で出会った内田裕也と「不倫」に陥ったあげく結婚は出来ずに、多額の借金を作ったとされる。以後は金銭トラブルが多く失意の後半生を送ったのが残念だった。
(島田陽子)
ヴァイオリニスト、声楽家の佐藤陽子が19日死去、72歳。3歳でヴィアオリンを始め、9歳でソ連に留学、16歳でチャイコフスキーコンクール3位。声楽家としてもマリア・カラスに認められるなど、華々しい国際的活躍で知られた。76年に帰国後は執筆やタレント活動した。パリで知り合った外交官岡本行夫と結婚したが、その後世界的版画家池田満寿夫とローマで出会った。岡本と79年に離婚して、80年に池田と大々的な「結婚式」を行ったが、池田の妻は離婚に応ぜず法的な結婚は出来なかった。ただし、島田陽子と違って、佐藤陽子と池田満寿夫は最後までパートナーで、熱海で二人が住んだ工房は記念館になっている。
(佐藤陽子と池田満寿夫)
フォークシンガーの山本コータローが4日死去、73歳。本名厚太郎。70年に「ソルティー・シュガー」のコミックソング「走れコータロー」が大ヒットした。また74年に「山本コータローとウィークエンド」の「岬めぐり」も大ヒットした。この間一橋大学の卒論に吉田拓郎を取り上げて評判になった。(『誰も知らなかったよしだ拓郎』として刊行。)71年から78年までTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」の金曜1部(1時~3時)を担当し、その時2部(3時~5時)担当の映画評論家吉田真由美と知り合い生涯のパートナーとなった。法的な結婚はせず、別姓で同居を続けた。地球環境問題に関心を寄せ、87年から白鴎大学非常勤講師、99年から白鴎大学教授。89年には参院選に出馬して落選した。僕は二人の深夜放送を聞いていたので思い出深い。
(山本コータロー)
俳優の石濱朗(いしはま・あきら)が26日死去、87歳。高校時代に木下恵介監督『少年期』でデビュー。松竹に所属し、木下恵介『この広い空の下で』『遠い雲』『太陽とバラ』、小林正樹監督『人間の条件』『切腹』など巨匠の映画に出ていた。また甘いマスクで人気があり、『伊豆の踊子』で美空ひばりと共演するなど多くの青春映画でも活躍した。その後70年代以後はテレビを中心に多くの時代劇などで活躍した。2009年から日本映画俳優協会理事長を務めた。主演級で活躍したのは主に50年代なので若い人は知らないと思うけれど、こういう端正な俳優は当時は珍しかった。
(石濱朗、若い頃と最近)
フィリピンの元大統領フィデル・ラモスが31日に死去、94歳。死因は新型コロナウイルス感染による合併症。1986年の「ピープルパワー」革命(マルコス大統領の不正選挙に怒った民衆100万人が街頭に集結し、大統領は国外に亡命した)で、軍人の中心的役割を果たしたことで記憶される。父は外務大臣を務めた政治家だったが、息子は米国陸軍士官学校に留学し軍人になった。マルコス時代に国家警察軍司令官、国軍参謀総長代行を務めていたが、86年2月に独裁に反対して政権を離反。これがマルコス体制崩壊の決め手になった。コラソン・アキノ政権では参謀総長、国防相を歴任し、後継指名を受けて、92年から98年まで大統領を務めた。その間は経済復興、南部の反政府組織との和平交渉等に取り組み、内外で広く支持された。
(ラモス)
・レオニード・シュワルツマン、2日死去、101歳。旧ソ連のアニメ映画の美術監督。『雪の女王』の美術監督。チェブラーシカの生みの親として知られる。
・ジェームズ・カーン、6日死去、82歳。アメリカの俳優。『ゴッドファーザー』の長男ソニー役でアカデミー賞助演男優賞ノミネート。他にも『シンデレラ・リバティ』『愛と哀しみのボレロ』『ミザリー』などで活躍した。
・モンティ・ノーマン、11日死去、94歳。007シリーズの「ジェームズ・ボンドのテーマ」の作曲者。
・ボブ・ラファエルソン、23日死去、89歳。アメリカの映画監督。70年前後の「アメリカン・ニューシネマ」の中で僕が一番好きな『ファイブ・イージー・ピーセス』(70)の監督。他には『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ぐらいしか知らないけど、調べたら他にも幾つか公開されていたので驚いた。ザ・モンキーズの仕掛け人で、映画『ザ・モンキーズ 恋の合言葉HEAD!』も作っている。
・ジェームズ・ラブロック、26日死去、103歳。イギリスの科学者。地球を自己調節機能のある生命体と見なす「ガイア理論」の提唱者。地球温暖化防止のため原子力の活用を支持して波紋を呼んだ。
・ニシェル・ニコルズ、30日死去、89歳。アメリカの女優。テレビドラマ「スタートレック」で黒人女優の草分け的存在となった。その後、NASAでのボランティア活動を続けたことでも知られる。
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