尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『菜食主義者』、手強い強烈なイメージーハン・ガンを読む①

2024年12月01日 22時03分45秒 | 〃 (外国文学)

 韓国の作家、ハン・ガン(韓江)の小説を2つ読んだので、感想を書いておきたい。いわずと知れた2024年のノーベル文学賞受賞者である。この授賞は多くの人に意外感をもって受け取られた。賞に値しないというのではなく、1970年生まれの54歳という年齢が近年に珍しく若いからである。(初の70年代生まれ受賞者。まあ、アルベール・カミュ(1957年)の44歳という例もあったけれど。)日本では相変わらず「村上春樹の受賞ならず」とかトンチンカン報道があった。2018年以降は男女交互の受賞で、今年は女性の年だから、村上春樹が受賞するはずがない。それよりも多和田葉子小川洋子の受賞は難しくなったのかなと思う。

 最近のノーベル文学賞は「こんな人いるんだけど、知ってますか?」的な選考が多い。昨年から遡ると、ヨン・フォッセ、アニー・エルノー、A・グルナ、ルイーズ・ブリュック、ペーター・ハントケ、オルガ・トカルチュク、カズオ・イシグロ…である。よほど海外文学を読んでる人でも、知らない名前が多いだろう。ハン・ガンは隣国なので、日本ではある程度紹介されてきた。日本の文学ファンに読まれている作家の受賞はカズオ・イシグロ以来だろう。

 最近多くの韓国文学が翻訳されているが、全部買ってるわけにもいかない。しかし、ハン・ガンの『菜食主義者』(きむ ふな訳)は持っていた。今年『別れを告げない』が翻訳され、朝日新聞ではインタビューして一頁の特集記事を掲載した。それを読んでこの作家を読まなくちゃと思って、まず最初に翻訳された『菜食主義者』を買ったわけである。「クオン」という出版社から2011年に「新しい韓国の文学01」として刊行された。僕が買ったのは2021年に出た第2版第6刷。本国では2007年に出版された。2005年には連作の一編「蒙古斑」で李箱文学賞を受け、また2016年にイギリスの国際ブッカー賞を受賞した。

(ハン・ガン)

 授賞式前には読んでおこうと思って、ようやく取り掛かったのだが…。「菜食主義者」「蒙古斑」「木の花火」という中編が3つ合わさった連作小説になっているが、それぞれかなり手強いのに驚いた。いや、難しいというのではない。構成は見事だし、訳文も判りやすい。そういうことじゃなく、展開がぶっ飛んでいるというか、相当に読むものに応えるのである。小説を読み慣れてない人が無理にチャレンジすると悪酔いするかも。ホラーじゃないのに、読むのが怖い。人間存在の本質に迫っていく設定が重いのである。僕もあまりの描写に悪夢を見てしまった。それだけの強さがある。

 この小説はキム・ヨンヘという女性を3つの視点から見つめている。夫、姉の夫、姉という3人の家族である。「菜食主義者」の語り手(夫)の妻ヨンヘがある日、肉を食べなくなる。理由がよく判らない。夢を見て以来食べられないという。その夢の中身は是非本書で読んで欲しいが、肉・魚・卵等一切受け付けなくなったのである。夫の上司に招待された会食でも、まったく食べなくて不審がられる。世界にヴェジタリアンはいっぱいいるわけだが、主義や嗜好で食べないのではなく肉体が受け付けないのである。その意味では「菜食主義者」という題名はちょっと的外れで、むしろ肉類の摂食障害というべきか。

 夫がヨンヘの様子をおかしいと思い、ヨンヘの一族が姉の新居祝いに集まった時に無理やり肉を食べさせようとする。父親は暴力的に食べさせようとして、カタストロフィーが起きる。その時ヨンヘを背負って病院に運ぼうとした義兄(ヨンヘの姉の夫)は、病院でヨンヘのお尻に今も「蒙古斑」が残っているのを見た。スランプ状態のビデオアーティストだった義兄は、その蒙古斑に性的な欲望をかき立てられ、義妹の身体に花の絵を書き付けてビデオ撮影したいと提案してみる。オイオイ、オイオイ…という怒濤の展開にちょっと休みを入れないと読み進められないのが2作目の「蒙古斑」。

 最後の「木の花火」では、ヨンへはもう精神病院に収容されているが、全く生への執着を見せない。むしろ植物になりたいと思うようになり、自由時間に庭でずっと逆立ちしている。樹木は実は根っこの方が頭で、枝の方が足になるのだと言い張って植物のマネをしているのだ。このイメージも鮮烈というか強烈。全く食事(肉だけでなく)を受け付けなくなり、精神病院では対応出来ず一般病院に移すしかない段階で終わる。常識的に考えると、ヨンへには人間としては「死」しか残されていないだろう。

 このヨンへの物語は一体何を語っているのだろうか。ただ単に「摂食障害」や「精神疾患」を描いているとは受け取れない。父親の暴力にさらされて育ったらしいヨンへ。父はヴェトナム戦争に従軍した過去があり、その時の「活躍」を折に触れて自慢してきたらしい。韓国では植民地時代、朝鮮戦争、軍政と長く暴力にさらされてきた。ヨンへ自身に直接は関係ないのだが、そのような民族的な暴力の歴史を思わざるを得ないのである。「肉食」とは「他の生物の命を暴力的に奪い取る」ことで、ヨンへの肉食拒否は象徴的に「歴史の中で殺されてきたもの」へ答える行為と深読みすることも出来る。

 ハン・ガンの父親はハン・スンウォン(韓勝源)という有名な作家で、幾つもの文学賞を受けている。李箱文学賞を親子で受賞したただ一組になっている。だから、特に家庭的に恵まれないとか、文学に親しめないという環境じゃなかったはずだ。しかし、1970年に光州で生まれているから、1980年の光州事件を幼い日に見聞きしたのかもしれない。僕にはそこら辺は判らないが、濃厚な死のイメージに深く心を揺さぶられた。アメリカのシルヴィア・プラスの『自殺志願』という本を思い出したぐらいである。

 なお、「精神分裂症」という訳語が出て来るが、これは「統合失調症」にするべきだろう。また「蒙古斑」もどうかと思う。これは日本でも未だ使われているようだからやむを得ないとも言えるが、「モンゴル斑」か「モンゴリアン・スポット」に(日本全体で)するべきだと思う。昔大学で自然人類学の香原志勢氏の講義を受けたとき、「蒙古」という言葉は中国が周囲の民族を蔑視して良くないイメージの漢字を当てたので、使うべきではないと言われた思い出がある。


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