2024年3月の訃報特集。1回目に書ききれなかった日本の学者、著述家等と外国人の訃報をまとめて。政治学者の五百旗頭真(いおきべ・まこと)が6日死去、80歳。兵庫生まれで、京大で猪木正道に師事、広島大助教授からハーバード大研究員を経て神戸大学教授となった。このように東大系じゃなく、猪木、高坂正堯の系譜の現実主義的政治学者として名をなした。日米関係史、占領政策などを研究し、1985年『米国の日本占領政策』でサントリー学芸賞、『占領期 首相たちの新日本』(1997)で吉野作造賞などを受賞。2006年から12年まで防衛大学校長を務めた。多くの内閣で有識者会議委員を務めている。95年阪神淡路大震災で被災したのをきっかけに「災害復興」研究に携わった。その経験から2011年に「東日本大震災復興構想会議議長」を託され、「創造的復興」を掲げて復興への道筋を示した。最後まで「ひょうご震災記念21世紀研究機構」の理事長を務めていた。
(五百旗頭真)
元NHKアナウンサーの鈴木健二が29日死去、95歳。テレビ司会者として、またエッセイストとして大活躍していた80年代には、日本人全員が知っていた人である。ニュースや紅白歌合戦司会なども担当したが、それより『歴史への招待』(1978~84)、『クイズ面白ゼミナール』(1981~88)などの教養・バラエティ番組で有名になった。特に後者では「教授」と呼ばれて人気を得た。また180冊以上の著作があり、1982年の『気くばりのすすめ』は400万部を超えるベストセラーになった。NHK退職後は、テレビにはほぼ出ずに、熊本県立劇場館長(1988~98)、青森県立図書館館長(1998~2004)を務めた。映画監督鈴木清順の弟。
(鈴木健二)
作家の加藤幸子(かとう・ゆきこ)が30日死去、87歳。5歳から11歳まで北京で過ごし、敗戦後に引き揚げてきた。その後、同居していた叔父(戯曲『なよたけ』などで知られる加藤道夫)が自殺して大きな衝撃を受けた。北大農学部卒業後、農林省、日本自然保護協会などに勤めた理系、自然保護活動家の加藤幸子が作家になったのは、若い時の体験のため。1983年、『夢の壁』で芥川賞、『尾崎翠の感覚世界』(芸術選奨文部大臣賞)、『長江』(毎日芸術賞)などの他、『北京海棠の街』『苺畑よ永遠に』『翼をもった女』などの作品がある。その清冽な世界が好きだった。東京港野鳥公園設立に尽くした人でもある。
(加藤幸子)
SF作家、ゲームデザイナーの山本弘が29日死去、68歳。SFとしては『去年はいい年になるだろう』(2011、第42回星雲賞日本長編部門)、『多々良島ふたたび』(2016、第47回星雲賞日本短編部門)や『アイの物語』などがある。それ以上に有名なのは、オカルト、UFO、ノストラダムスなどの疑似科学本を「トンデモ本」と名付けて、その世界を楽しんでしまおうという「と学会」を結成して初代会長になったことである。この「トンデモ」という言葉はすっかり定着してしまった。本人はいたって真面目に疑似科学を正面から批判していて、それは『ニセ科学を10倍楽しむ本』(ちくま文庫)でよく理解出来る。是非一読を。
(山本弘)
ラリードライバーの篠塚建次郎が18日死去、75歳。三菱自動車のドライバーとして、ダカール・ラリーに参戦。12回目の1997年に日本人として初の総合優勝を果たした。2002年に三菱を退社したが、生涯現役を目指して日産と契約するなどした。21世紀になってからはソーラーカーのレースに参戦して活躍した。妻は三浦友和の姉。
(篠塚健次郎)
大相撲の元関脇、明武谷(みょうぶだに)が10日死去、86歳。驚くことに「明武谷」は本名である。189㎝と当時としては破格の高身長で、「人間起重機」と呼ばれた。1957年7月場所で新入幕、1969年11月場所で引退するまで、豪快な吊り出しを得意技として、殊勲賞、敢闘賞を各4回受賞するなど活躍した。僕はこの人の活躍を幼い頃に覚えているのだが、驚いたのは引退後である。中村親方を襲名して指導に当たっていたが、「エホバの証人」に入信して1977年に廃業したのである。よりによって格闘技を認めない宗派に入信するなんて。その後はビル清掃などをしながら布教したという。
(明武谷)
経済界ではメニコン創業者の田中恭一が10日死去、92歳。現代音楽の作曲家、篠原眞が3日死去、92歳。イタリア文学者の大久保昭男が12日死去、96歳。イタリアの作家アルベルト・モラヴィアの翻訳は大久保訳でほとんど読んでいる。政治家では鳥取県知事(74~83)、衆議院議員(83~90、93~2003)、郵政大臣を務めた平林鴻三が28日死去、93歳。また冒険家の阿部雅龍が27日死去、41歳。2018年~19年にかけ、単独徒歩で南極点に到達した人である。
イタリアのピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが23日死去、82歳。1960年、18歳でショパン国際ピアノコンクール優勝、ルービンシュタインが絶賛して知られた。その後8年間の空白を経て、1968年から国際的活動を再開し、現代最高のピアニストと呼ばれた。古典から現代音楽まで何でもこなしたが、特にショパン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンなどを得意とした。何度も来日したが、聞きにいったことはない。だがクラシック界の貴公子だったポリーニが亡くなったというのはショックだ。自分も年を取ったということだから。
(マウリツィオ・ポリーニ)(ショパン「練習曲集」)
スウェーデンの世界的陶芸家、デザイナーのリサ・ラーソンが11日死去、92歳。動物をモチーフにした温かみのある作風で知られる。猫のキャラクター「マイキー」などが日本でも人気を集めた。
(リサ・ラーソン)
日本では報道されていないが、フィリピンの女優ジャクリン・ホセが3日死去、60歳。80年代から女優として活動し、近年はブリランテ・メンドーサ監督作品で国際的に知られた。『ローサは密告された』(2016)でカンヌ映画祭女優賞を受賞している。最近公開された『FEAST -狂宴-』でも重要な役を演じていたので訃報に驚いた。重厚な存在感で知られた女優だった。またアメリカの俳優ルイス・ゴセット・ジュニアが29日死去、87歳。『愛と青春の旅だち』(1982)でアフリカ系初のアカデミー賞助演男優賞を得た。テレビドラマ『ルーツ』では、主人公クンタ・キンテの友人のバイオリン弾きを演じていた。
(ジャクリン・ホセ)(ルイス・ゴセット・ジュニア)
アメリカの心理学者、行動経済学者のダニエル・カーネマンが27日死去、90歳。心理学的見地から消費者行動を分析する独自の研究で、2002年のノーベル経済学賞を受賞した。従来の経済学では人間は経済合理的に行動するとしていたが、現実の人間の意思決定ではそういう前提とは異なる習性があることを示した。
(ダニエル・カーネマン)
元米上院議員のジョー・リーバーマンが27日死去、82歳。2000年の米大統領選で、民主党候補アル・ゴアの副大統領候補となった。これはユダヤ系として初のことだった。1989年から2013年まで上院議員を務めたが、民主党内では最右派に属し最後の任期では無所属となった。地元の予備選で左派候補に敗れて、本選を無所属として戦って当選したのである。イラク戦争支持、同性婚反対などを主張し、2008年大統領選ではオバマではなく「個人的友情」で共和党のマケインを支持した。
(ジョセフ・リーバーマン)
2000年にノーベル物理学賞を受けたハーバート・クレーマーが8日死去、95歳。受賞理由は「高速エレクトロニクスおよび光エレクトロニクスに利用される半導体ヘテロ構造の開発」。イギリスの脚本家、デヴィッド・サイドラーが16日死去、86歳。『英国王のスピーチ』で米アカデミー賞を受賞した人。イタリアの彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジが26日死去、93歳。2002年に静岡県にヴァンジ彫刻庭園美術館が開館したが、23年に閉館した。アメリカの彫刻家リチャード・セラが26日死去、85歳。鋼板による巨大彫刻で知られる。ヴァンジ、セラ二人とも高松宮世界文化賞を受賞している。
(五百旗頭真)
元NHKアナウンサーの鈴木健二が29日死去、95歳。テレビ司会者として、またエッセイストとして大活躍していた80年代には、日本人全員が知っていた人である。ニュースや紅白歌合戦司会なども担当したが、それより『歴史への招待』(1978~84)、『クイズ面白ゼミナール』(1981~88)などの教養・バラエティ番組で有名になった。特に後者では「教授」と呼ばれて人気を得た。また180冊以上の著作があり、1982年の『気くばりのすすめ』は400万部を超えるベストセラーになった。NHK退職後は、テレビにはほぼ出ずに、熊本県立劇場館長(1988~98)、青森県立図書館館長(1998~2004)を務めた。映画監督鈴木清順の弟。
(鈴木健二)
作家の加藤幸子(かとう・ゆきこ)が30日死去、87歳。5歳から11歳まで北京で過ごし、敗戦後に引き揚げてきた。その後、同居していた叔父(戯曲『なよたけ』などで知られる加藤道夫)が自殺して大きな衝撃を受けた。北大農学部卒業後、農林省、日本自然保護協会などに勤めた理系、自然保護活動家の加藤幸子が作家になったのは、若い時の体験のため。1983年、『夢の壁』で芥川賞、『尾崎翠の感覚世界』(芸術選奨文部大臣賞)、『長江』(毎日芸術賞)などの他、『北京海棠の街』『苺畑よ永遠に』『翼をもった女』などの作品がある。その清冽な世界が好きだった。東京港野鳥公園設立に尽くした人でもある。
(加藤幸子)
SF作家、ゲームデザイナーの山本弘が29日死去、68歳。SFとしては『去年はいい年になるだろう』(2011、第42回星雲賞日本長編部門)、『多々良島ふたたび』(2016、第47回星雲賞日本短編部門)や『アイの物語』などがある。それ以上に有名なのは、オカルト、UFO、ノストラダムスなどの疑似科学本を「トンデモ本」と名付けて、その世界を楽しんでしまおうという「と学会」を結成して初代会長になったことである。この「トンデモ」という言葉はすっかり定着してしまった。本人はいたって真面目に疑似科学を正面から批判していて、それは『ニセ科学を10倍楽しむ本』(ちくま文庫)でよく理解出来る。是非一読を。
(山本弘)
ラリードライバーの篠塚建次郎が18日死去、75歳。三菱自動車のドライバーとして、ダカール・ラリーに参戦。12回目の1997年に日本人として初の総合優勝を果たした。2002年に三菱を退社したが、生涯現役を目指して日産と契約するなどした。21世紀になってからはソーラーカーのレースに参戦して活躍した。妻は三浦友和の姉。
(篠塚健次郎)
大相撲の元関脇、明武谷(みょうぶだに)が10日死去、86歳。驚くことに「明武谷」は本名である。189㎝と当時としては破格の高身長で、「人間起重機」と呼ばれた。1957年7月場所で新入幕、1969年11月場所で引退するまで、豪快な吊り出しを得意技として、殊勲賞、敢闘賞を各4回受賞するなど活躍した。僕はこの人の活躍を幼い頃に覚えているのだが、驚いたのは引退後である。中村親方を襲名して指導に当たっていたが、「エホバの証人」に入信して1977年に廃業したのである。よりによって格闘技を認めない宗派に入信するなんて。その後はビル清掃などをしながら布教したという。
(明武谷)
経済界ではメニコン創業者の田中恭一が10日死去、92歳。現代音楽の作曲家、篠原眞が3日死去、92歳。イタリア文学者の大久保昭男が12日死去、96歳。イタリアの作家アルベルト・モラヴィアの翻訳は大久保訳でほとんど読んでいる。政治家では鳥取県知事(74~83)、衆議院議員(83~90、93~2003)、郵政大臣を務めた平林鴻三が28日死去、93歳。また冒険家の阿部雅龍が27日死去、41歳。2018年~19年にかけ、単独徒歩で南極点に到達した人である。
イタリアのピアニスト、マウリツィオ・ポリーニが23日死去、82歳。1960年、18歳でショパン国際ピアノコンクール優勝、ルービンシュタインが絶賛して知られた。その後8年間の空白を経て、1968年から国際的活動を再開し、現代最高のピアニストと呼ばれた。古典から現代音楽まで何でもこなしたが、特にショパン、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンなどを得意とした。何度も来日したが、聞きにいったことはない。だがクラシック界の貴公子だったポリーニが亡くなったというのはショックだ。自分も年を取ったということだから。
(マウリツィオ・ポリーニ)(ショパン「練習曲集」)
スウェーデンの世界的陶芸家、デザイナーのリサ・ラーソンが11日死去、92歳。動物をモチーフにした温かみのある作風で知られる。猫のキャラクター「マイキー」などが日本でも人気を集めた。
(リサ・ラーソン)
日本では報道されていないが、フィリピンの女優ジャクリン・ホセが3日死去、60歳。80年代から女優として活動し、近年はブリランテ・メンドーサ監督作品で国際的に知られた。『ローサは密告された』(2016)でカンヌ映画祭女優賞を受賞している。最近公開された『FEAST -狂宴-』でも重要な役を演じていたので訃報に驚いた。重厚な存在感で知られた女優だった。またアメリカの俳優ルイス・ゴセット・ジュニアが29日死去、87歳。『愛と青春の旅だち』(1982)でアフリカ系初のアカデミー賞助演男優賞を得た。テレビドラマ『ルーツ』では、主人公クンタ・キンテの友人のバイオリン弾きを演じていた。
(ジャクリン・ホセ)(ルイス・ゴセット・ジュニア)
アメリカの心理学者、行動経済学者のダニエル・カーネマンが27日死去、90歳。心理学的見地から消費者行動を分析する独自の研究で、2002年のノーベル経済学賞を受賞した。従来の経済学では人間は経済合理的に行動するとしていたが、現実の人間の意思決定ではそういう前提とは異なる習性があることを示した。
(ダニエル・カーネマン)
元米上院議員のジョー・リーバーマンが27日死去、82歳。2000年の米大統領選で、民主党候補アル・ゴアの副大統領候補となった。これはユダヤ系として初のことだった。1989年から2013年まで上院議員を務めたが、民主党内では最右派に属し最後の任期では無所属となった。地元の予備選で左派候補に敗れて、本選を無所属として戦って当選したのである。イラク戦争支持、同性婚反対などを主張し、2008年大統領選ではオバマではなく「個人的友情」で共和党のマケインを支持した。
(ジョセフ・リーバーマン)
2000年にノーベル物理学賞を受けたハーバート・クレーマーが8日死去、95歳。受賞理由は「高速エレクトロニクスおよび光エレクトロニクスに利用される半導体ヘテロ構造の開発」。イギリスの脚本家、デヴィッド・サイドラーが16日死去、86歳。『英国王のスピーチ』で米アカデミー賞を受賞した人。イタリアの彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジが26日死去、93歳。2002年に静岡県にヴァンジ彫刻庭園美術館が開館したが、23年に閉館した。アメリカの彫刻家リチャード・セラが26日死去、85歳。鋼板による巨大彫刻で知られる。ヴァンジ、セラ二人とも高松宮世界文化賞を受賞している。
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