映画『瞳をとじて』はスペインのビクトル・エリセ監督(1940~)の31年ぶりの新作長編映画である。いやあ、わが人生でもう一回エリセの新作が見られるとは思っていなかった。映画ファンにとって、これは「事件」と言うべきだ。とはいえ、何とこの映画は169分もある長い長い映画である。ビクトル・エリセ、お前もか!と言いたくなる。何でこんなに長いのかと困惑するが、見たら長さは全く気にならなかった。とても興味深く見られる映画だったが、じゃあ出来映えはどう評価するべきだろうか。
冒頭で「パリ1947年」と出る。「悲しみの王」と呼ばれる古びた洋館で、あるユダヤ人男性が病に冒されている。彼はアメリカ人探偵を呼び寄せて、かつて上海でもうけた娘を探して欲しいと頼む。中国人の妻が娘を連れて去ってしまったという。そして娘の写真を見せるのである。(中華人民共和国の建国は1949年だから、1947年はまだ革命前の国共内戦中で人捜しも可能だろう。)と、そこでフィルムが途切れる。実はその映画は1990年に撮影していた映画の冒頭部分だったのである。探偵役の俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が失踪してしまい、映画は中断せざるを得なくなった。
(ヴィクトル・エリセ監督)
テレビ番組「未解決事件」でこの失踪事件を取り上げることになり、監督のミケル・ガライ(マノロ・ソロ)がフィルムを担当ディレクターに見せていたのである。ミケルはこの失踪事件もあり結局映画監督を引退し、作家となって賞を受けた。しかし、今は離婚して海辺の小さな村に住み、時には漁師をしたりして暮らしていた。テレビに協力するため、久しぶりにマドリードに来たのである。失踪後にフリオの車が海辺で見つかり、遺体は見つからなかったが自殺したと思われてきた。理由が判らず、関係者には今も気に掛かる出来事だった。このテレビ番組は2012年という設定。
(海に出るミケル)
フリオには娘アナがいたが、テレビには協力していないという。一度話してくれないかと頼まれ、ミケルは久しぶりにアナに連絡してプラド美術館のカフェで会う。アナはプラド美術館で外国人向けの説明員をしているという。このアナを演じているのが、アナ・トレントなのである。言うまでもなく、エリセ監督の1973年作品『ミツバチのささやき』に同名少女役で出演した人である。7歳だった少女は半世紀経って、再びアナという役を演じた。『ミツバチのささやき』は日本では1985年に公開され、その時の驚きは未だに新鮮である。それにしてもエリセ監督は「アナ」に取り憑かれた映画人生だったのか。
(アナとミケル)
ミケルは古本屋で自分が昔好きだった女性に贈った本と巡り会う。ミケルとフリオは軍隊で出会って友人となり、同じ女性を好きになった関係でもあった。テレビ出演は自分の青春時代を思い出すきっかけになった。ミケルは昔の恋人にも再会し、アナにも会った。アナはテレビにはやはり出ないと言うので、ミケルは村へ帰る。そこでは友人たちと犬との暮らしが待っていた。そしてテレビ放映の日が来て、彼は食堂にテレビを見に行くが途中で帰って来てしまう。このように展開するのだが、映画は後半になって驚くべき展開を見せる。テレビ放映を見たある高齢者施設職員がフリオに似た人がいると連絡してきたのである。
ミケルはすぐにその施設に出掛けていき、謎の人物に会ってみる。連絡してきた女性職員は、その人は3年前に熱中症で倒れていたといい、その時には記憶喪失だったという。だが、実は証拠になるかもしれないものをその人は持っていたとも言う。ミケルはアナを呼び寄せて会わせてみる。そこで再び彼女は半世紀前と同じセリフを語るのである。ラスト近くの詳しい展開は省略するが、この映画は『ミツバチのささやき』を見ていないと、良く伝わらない部分があるのではないかと思う。
(『ミツバチのささやき』)
映画史的記憶が見る者の個人的記憶をも呼び覚ます。どうやらそんな映画であるらしい。僕には失踪した友人はいないけど、何年も会ってない人はたくさんいるから、何だか思い出しながら見てしまった。僕は全然退屈しないで長時間の映画を見たのだが、どうやら出来映え的には過去に捕われすぎかなと思った。僕みたいに高齢映画ファンはいいけど、これが初のエリセ作品だという若い人は面白さを感じられるだろうか。そこに疑問も残るが、何にしても見逃せない映画だ。
ビクトル・エリセは生涯で『ミツバチのささやき』(1973)、『エル・スール』(1982)、『マルメロの陽光』(1992)しか長編映画を作らなかった。オムニバス映画の短編映画は4作あるが、これら4つの長編映画で映画史に残るだろう。『ミツバチのささやき』『エル・スール』は今回も参考上映されているので、今後も見る機会があるだろう。楽しいとか面白いという以上に、心の奥底が深く揺さぶられるような映画である。恐らく最後のビクトル・エリセ作品だろうから、是非頑張って見たい映画だ。
冒頭で「パリ1947年」と出る。「悲しみの王」と呼ばれる古びた洋館で、あるユダヤ人男性が病に冒されている。彼はアメリカ人探偵を呼び寄せて、かつて上海でもうけた娘を探して欲しいと頼む。中国人の妻が娘を連れて去ってしまったという。そして娘の写真を見せるのである。(中華人民共和国の建国は1949年だから、1947年はまだ革命前の国共内戦中で人捜しも可能だろう。)と、そこでフィルムが途切れる。実はその映画は1990年に撮影していた映画の冒頭部分だったのである。探偵役の俳優フリオ・アレナス(ホセ・コロナド)が失踪してしまい、映画は中断せざるを得なくなった。
(ヴィクトル・エリセ監督)
テレビ番組「未解決事件」でこの失踪事件を取り上げることになり、監督のミケル・ガライ(マノロ・ソロ)がフィルムを担当ディレクターに見せていたのである。ミケルはこの失踪事件もあり結局映画監督を引退し、作家となって賞を受けた。しかし、今は離婚して海辺の小さな村に住み、時には漁師をしたりして暮らしていた。テレビに協力するため、久しぶりにマドリードに来たのである。失踪後にフリオの車が海辺で見つかり、遺体は見つからなかったが自殺したと思われてきた。理由が判らず、関係者には今も気に掛かる出来事だった。このテレビ番組は2012年という設定。
(海に出るミケル)
フリオには娘アナがいたが、テレビには協力していないという。一度話してくれないかと頼まれ、ミケルは久しぶりにアナに連絡してプラド美術館のカフェで会う。アナはプラド美術館で外国人向けの説明員をしているという。このアナを演じているのが、アナ・トレントなのである。言うまでもなく、エリセ監督の1973年作品『ミツバチのささやき』に同名少女役で出演した人である。7歳だった少女は半世紀経って、再びアナという役を演じた。『ミツバチのささやき』は日本では1985年に公開され、その時の驚きは未だに新鮮である。それにしてもエリセ監督は「アナ」に取り憑かれた映画人生だったのか。
(アナとミケル)
ミケルは古本屋で自分が昔好きだった女性に贈った本と巡り会う。ミケルとフリオは軍隊で出会って友人となり、同じ女性を好きになった関係でもあった。テレビ出演は自分の青春時代を思い出すきっかけになった。ミケルは昔の恋人にも再会し、アナにも会った。アナはテレビにはやはり出ないと言うので、ミケルは村へ帰る。そこでは友人たちと犬との暮らしが待っていた。そしてテレビ放映の日が来て、彼は食堂にテレビを見に行くが途中で帰って来てしまう。このように展開するのだが、映画は後半になって驚くべき展開を見せる。テレビ放映を見たある高齢者施設職員がフリオに似た人がいると連絡してきたのである。
ミケルはすぐにその施設に出掛けていき、謎の人物に会ってみる。連絡してきた女性職員は、その人は3年前に熱中症で倒れていたといい、その時には記憶喪失だったという。だが、実は証拠になるかもしれないものをその人は持っていたとも言う。ミケルはアナを呼び寄せて会わせてみる。そこで再び彼女は半世紀前と同じセリフを語るのである。ラスト近くの詳しい展開は省略するが、この映画は『ミツバチのささやき』を見ていないと、良く伝わらない部分があるのではないかと思う。
(『ミツバチのささやき』)
映画史的記憶が見る者の個人的記憶をも呼び覚ます。どうやらそんな映画であるらしい。僕には失踪した友人はいないけど、何年も会ってない人はたくさんいるから、何だか思い出しながら見てしまった。僕は全然退屈しないで長時間の映画を見たのだが、どうやら出来映え的には過去に捕われすぎかなと思った。僕みたいに高齢映画ファンはいいけど、これが初のエリセ作品だという若い人は面白さを感じられるだろうか。そこに疑問も残るが、何にしても見逃せない映画だ。
ビクトル・エリセは生涯で『ミツバチのささやき』(1973)、『エル・スール』(1982)、『マルメロの陽光』(1992)しか長編映画を作らなかった。オムニバス映画の短編映画は4作あるが、これら4つの長編映画で映画史に残るだろう。『ミツバチのささやき』『エル・スール』は今回も参考上映されているので、今後も見る機会があるだろう。楽しいとか面白いという以上に、心の奥底が深く揺さぶられるような映画である。恐らく最後のビクトル・エリセ作品だろうから、是非頑張って見たい映画だ。
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