大きく取り上げているメディアが少ないけれど、7月9日に東京都小学校PTA協議会(都小P)が全国組織の「日本PTA全国協議会」(日P)を来年3月に脱退することを決定した。このような動きは時々伝えられるが、現時点では全都道府県と一部の政令指定都市64団体が加盟している。都小Pは1957年に一時脱退したことがあるが、65年度に復帰した。全国組織からの脱退は極めて異例なことだと言われる。(以上、朝日新聞7月10日付)
(脱退を報じるテレビ)
ところで、同じ記事には都小Pは現在一部の公立校約190校の会員9万人から集める年会費180万円(児童一人当たり20円)のうち、半分を日Pに支出していると出ている。これを見ると、ほとんどの小学校のPTAが都小Pに加盟していないと考えられる。何しろ東京都には公立小学校が1265校もあるのである。(2022年4月1日現在。)加盟しているのは15%程度ではないか。
学校にはあまり論じられないままになっている多くの問題がある。「部活動」は語られるようになってきたが、PTA(Parent-Teacher Association)も今後再考が必要になってくる大テーマだと思う。自分が生徒だった時代は、PTAというのは当然「全員参加」(全世帯加盟)の組織だった。生徒もそう思い込んでいた。生徒全員の名前、住所、電話番号、さらに保護者名も加わった「PTA会員名簿」が作られていた。そこには教員の住所も掲載されていた。全生徒の電話番号が判ったら、お誘いやイタズラの電話が頻発しないか。今の人はそう心配するだろうけど、一家に一台の電話には大体親が出るから安易に掛けられないのである。
自分が教員になった後も、おおよそ20世紀の間は同じように「全員加盟」のものだと思っていた。学年初めに保護者会があって、そこで行われる「役員選び」は教員にとってもとても鬱陶しい時間だった。もちろん当の保護者(大部分は「働く母親」か、「子どもが複数いる主婦」)にも苦痛の時間だっただろう。しかし、そういうもんだと思い込んでいたから、いつの頃からか「PTAは任意加盟の組織」だと言われたときには驚いた。それで良いのだろうかと思ったりもした。PTAに参加出来る家庭だけが加入し、それ以外の家庭は入らないということでは、学校の運営にも影響するのではないかと心配もした。
しかし、東京では「任意参加」の原則が教育行政からも強調され定着したのではないか。一応出来るだけ入って下さいと入学式後に呼びかけるだろうが、そして(小中なら)かなりの家で加盟するだろうが、全員ではない。それでやむを得ないということになってきたと思うけど、21世紀の小中の実情は知らないから違うかもしれない。しかし、では「親と教師の会」なのに、教師は全員加盟なのだろうか。教師だって任意参加のはずなのではないか。それは「教師も会員なんだから、会費を払うべきでは」という議論があったときに思ったことだ。なるほどそうかもしれないが、教師は部活動と同様に「やむを得ない仕事」と思っていたはずだ。
コロナ禍において、PTA活動も大きな苦労があっただろう。その中でPTAの役割も見直されるだろう。PTAという組織は戦後の占領時代にアメリカから持ち込まれたものである。文部省は「父母と先生の会‐教育民主化のために‐」という結成の手引書を配布したという。もともとは教育の民主化のための「戦後改革」だったのである。アメリカやイギリスの映画や小説には、学校の保護者会が結構出てくる。教員は部活動や残業などないから、「スモールタウン」では家に帰って夕食を済ませてから車でまた学校に来たりしている。学校はコミュニティの一部で、親も教師も同じコミュニティを大切にしている。しかし、特に東京では遠距離通勤が多いから、一旦家に帰って出てくるなんて不可能である。
学校をめぐる条件が全然違うから、「理想」がどんどん崩れていった。PTAはいずれ子どもの卒業とともに終わるから、その間のお務めとしてガマンする組織になってしまった。しかし、子どもが毎日行っている場所、毎日接する教員を知る意味は大きい。協力して学校作りをしたいという気持ちも当然あるだろう。学校からしても、保護者の協力は必須である。今後ますます進行する少子化の中で、地域の教育力を生かさないと学校も存立できなくなる。学校と保護者のあり方をホンネで話せる場が大切になるはずだ。
(日Pの会費、会員の不満)
いや、日Pの問題を書くはずが、つい一般論、それもタテマエみたいなことになってしまった。僕も(PTAに限らないが)「全国組織」が有効に機能しないことが多いのを知っている。親と言っても様々だから、皆で一丸になって何か出来る時代ではない。日Pを脱退するところも他にも出てくるかもしれない。ただ、東京の場合は、そもそも都レベルの組織への加盟も少ないという特別な事情もあると思う。PTAの問題はなかなか語りにくい。教員にとっても、熱心な親もいれば、そうでもない親もいるから、一律に語れない。しかし、これも「戦後の理想」が「日本社会の現実の中で変容していった」という問題なのである。
(脱退を報じるテレビ)
ところで、同じ記事には都小Pは現在一部の公立校約190校の会員9万人から集める年会費180万円(児童一人当たり20円)のうち、半分を日Pに支出していると出ている。これを見ると、ほとんどの小学校のPTAが都小Pに加盟していないと考えられる。何しろ東京都には公立小学校が1265校もあるのである。(2022年4月1日現在。)加盟しているのは15%程度ではないか。
学校にはあまり論じられないままになっている多くの問題がある。「部活動」は語られるようになってきたが、PTA(Parent-Teacher Association)も今後再考が必要になってくる大テーマだと思う。自分が生徒だった時代は、PTAというのは当然「全員参加」(全世帯加盟)の組織だった。生徒もそう思い込んでいた。生徒全員の名前、住所、電話番号、さらに保護者名も加わった「PTA会員名簿」が作られていた。そこには教員の住所も掲載されていた。全生徒の電話番号が判ったら、お誘いやイタズラの電話が頻発しないか。今の人はそう心配するだろうけど、一家に一台の電話には大体親が出るから安易に掛けられないのである。
自分が教員になった後も、おおよそ20世紀の間は同じように「全員加盟」のものだと思っていた。学年初めに保護者会があって、そこで行われる「役員選び」は教員にとってもとても鬱陶しい時間だった。もちろん当の保護者(大部分は「働く母親」か、「子どもが複数いる主婦」)にも苦痛の時間だっただろう。しかし、そういうもんだと思い込んでいたから、いつの頃からか「PTAは任意加盟の組織」だと言われたときには驚いた。それで良いのだろうかと思ったりもした。PTAに参加出来る家庭だけが加入し、それ以外の家庭は入らないということでは、学校の運営にも影響するのではないかと心配もした。
しかし、東京では「任意参加」の原則が教育行政からも強調され定着したのではないか。一応出来るだけ入って下さいと入学式後に呼びかけるだろうが、そして(小中なら)かなりの家で加盟するだろうが、全員ではない。それでやむを得ないということになってきたと思うけど、21世紀の小中の実情は知らないから違うかもしれない。しかし、では「親と教師の会」なのに、教師は全員加盟なのだろうか。教師だって任意参加のはずなのではないか。それは「教師も会員なんだから、会費を払うべきでは」という議論があったときに思ったことだ。なるほどそうかもしれないが、教師は部活動と同様に「やむを得ない仕事」と思っていたはずだ。
コロナ禍において、PTA活動も大きな苦労があっただろう。その中でPTAの役割も見直されるだろう。PTAという組織は戦後の占領時代にアメリカから持ち込まれたものである。文部省は「父母と先生の会‐教育民主化のために‐」という結成の手引書を配布したという。もともとは教育の民主化のための「戦後改革」だったのである。アメリカやイギリスの映画や小説には、学校の保護者会が結構出てくる。教員は部活動や残業などないから、「スモールタウン」では家に帰って夕食を済ませてから車でまた学校に来たりしている。学校はコミュニティの一部で、親も教師も同じコミュニティを大切にしている。しかし、特に東京では遠距離通勤が多いから、一旦家に帰って出てくるなんて不可能である。
学校をめぐる条件が全然違うから、「理想」がどんどん崩れていった。PTAはいずれ子どもの卒業とともに終わるから、その間のお務めとしてガマンする組織になってしまった。しかし、子どもが毎日行っている場所、毎日接する教員を知る意味は大きい。協力して学校作りをしたいという気持ちも当然あるだろう。学校からしても、保護者の協力は必須である。今後ますます進行する少子化の中で、地域の教育力を生かさないと学校も存立できなくなる。学校と保護者のあり方をホンネで話せる場が大切になるはずだ。
(日Pの会費、会員の不満)
いや、日Pの問題を書くはずが、つい一般論、それもタテマエみたいなことになってしまった。僕も(PTAに限らないが)「全国組織」が有効に機能しないことが多いのを知っている。親と言っても様々だから、皆で一丸になって何か出来る時代ではない。日Pを脱退するところも他にも出てくるかもしれない。ただ、東京の場合は、そもそも都レベルの組織への加盟も少ないという特別な事情もあると思う。PTAの問題はなかなか語りにくい。教員にとっても、熱心な親もいれば、そうでもない親もいるから、一律に語れない。しかし、これも「戦後の理想」が「日本社会の現実の中で変容していった」という問題なのである。
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