尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『TAR/ター』、ケイト・ブランシェット最高の演技

2023年05月24日 22時59分17秒 |  〃  (新作外国映画)
 『TAR/ター』という映画が公開された。これはベルリン・フィル初の女性常任指揮者になったリディア・ターの栄光と失墜の日々を描いている。ターはもちろん架空の存在だが、ケイト・ブランシェットがあまりにも素晴らしいので実在人物と信じる人がいたという。ヴェネツィア映画祭女優賞(2度目)、ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門、3度目)を獲得し、アカデミー賞最有力と言われたが結局ミシェル・ヨーが受賞した。すでに主演、助演と2度アカデミー賞を受賞したケイトより、「多様性」アピールの選出だったかなと思う。しかし、演技そのものではケイト・ブランシェットの圧勝だと思う。

 リディア・ターは単に指揮者のみならず、作曲家としても知られている。請われてジュリアード音楽院でも教えるようになり、今やキャリアの絶頂にいる。その存在感は圧倒的で、教わる側は圧迫感を覚えるかもしれない。ジュリアードではある男子学生がJ・S・バッハは女性の扱いに納得出来ずに弾かないと主張する。それに対してターはそれは間違っていると厳しく批判する。自分は完全なレズビアンだが、性的指向のみで音楽を見るべきではない。それにバッハは(2人の妻との間に)20人の子がいたが、「活発な夫婦生活」を非難するのかと。その後、空港でクリスタという若い女性がターにいろいろ質問していて時間が掛かっている。

 その時に後ろにいて時間管理をしているのがフランチェスカ。アシスタントをしながら、副指揮者を目指している。演じているノエル・メルランは、『燃える女の肖像』で画家をやってた人。ベルリンへ戻ると、ベルリン・フィルのヴァイオリン奏者シャロン(ニーナ・ホス)の家に行く。彼女が今のパートナーで、養女ペトラを一緒に育てている。客演指揮者に招かれた時に知り合い、二人で常任になるための策略をベッドで練ったんだと言う。ベルリン・フィルではマーラーを録音して評価が高いが、全交響曲制覇を目指しながらコロナ禍で5番だけが残っている。そして今ようやく5番の練習が始まったのである。

 このように最初は絶頂時代なのだが、次第に綻びが生じてくる。ベルリン・フィルでの副指揮者の交代、それに伴うフランチェスカの離反、新しいチェリスト選び、そして若い女性チェリストのオルガソフィー・カウアー)の登場。マーラー5番とともに公演するもう一曲として、オルガの得意なエルガーのチェロ協奏曲を選び、独奏者はオーディションで選ぶと決める。寵がオルガに移ったのかと思う展開の中で、ターの周囲では不穏な出来事が多発するのである。個人的にも、また社会的にも追いつめられていくター。そこでの多面的かつ鬼気迫るケイト・ブランシェットの演技が素晴らしいというか、とにかく怖いほどに凄い。
 
 リディア・ターはパワハラ、セクハラを行っていたのか。そのようにとらえる論評もあるが、僕は真実の判定は難しいと思った。スマホ持ち込み禁止のはずのジュリアードでの動画がネット上に流出する。誰かの意図的な悪意、陰謀が存在したのである。だがターは栄光の絶頂にいて、自らのパワーを恣意的にもてあそんでしまったのも確かだ。そして「性的マイノリティの女性指揮者」として生きていくには、万全の注意が必要なはずだった。ターはその点抜かったことで、大きな代償を払うことになる。

 全編を通してケイト・ブランシェットの演技は圧倒的で、特に指揮やドイツ語を学んでベルリン・フィルを自在に動かすのは凄い迫力。もちろん現実のベルリン・フィルじゃないけど。撮影はドレスデン・フィルの本拠地を使えたということで、臨場感が素晴らしい。もともと『エリザベス』女王役で知られたように、権力的な振る舞いが上手。アカデミー賞を獲得した『ブルー・ジャスミン』の勘違い女も見事だったけれど、今回のリディア・ターこそキャリアベストだと思う。トッド・フィールズ監督がケイト・ブランシェットに充て書きした脚本の映画化である。トッド・フィールズって誰だっけという感じだが、『イン・ザ・ベッドルーム』(2001)、『リトル・チルドレン』(2006)という映画を作って好評だった人だった。

 ベルリン・フィルハーモニー交響楽団にはもちろん常任女性指揮者など存在しない。フルトヴェングラーカラヤンが君臨した「伝説」の楽団だが、89年4月のカラヤン辞任後はクラウディオ・アバド(90~2002)、サイモン・ラトル(~2018)が務めた。現在はロシア出身のキリル・ペトレンコで、ウクライナ侵攻を非難している。僕は女性指揮者と言われても一人も名前が挙らない。何人もいるということは知ってるけど、指揮者の世界はもっとも女性を遠ざけてきた芸術部門かもしれない。いろいろと現代社会の問題に広がるが、とにかく圧巻の演技を楽しむ映画だろう。
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