2017年3月の訃報特集。まず、最初は渡瀬恒彦(1944~2017.3.14、72歳)。言うまでもなく渡哲也(1941~)の弟で、僕も70年代前半には「弟」として見ていた。兄弟で俳優をしているのは、阪妻の子どもの田村兄弟、山本學・圭、亘兄弟など、けっこう多い。アクション俳優でも、松方弘樹の弟目黒祐樹、宍戸錠の弟郷鍈治などがいたけれど、弟として一番大成したのは渡瀬恒彦ではないか。
70年代半ばは、猛烈なアクション俳優で「狂った野獣」(1976)のバス横転を自分で運転したことは有名。新聞の訃報には「仁義なき戦い」などと出てるんだけど、俳優の序列で10番目程度なんだから代表作にはできない。70年代半ばには、東映に名高い「ピラニア軍団」というのがあったが、渡瀬はその兄貴分みたいな印象だった。転機になったのは「北陸代理戦争」で事故があって入院したことだという。その後は「演技派」的な部分が大きくなり、「事件」(1978)などでキネ旬助演賞を得た。
僕が一番印象的なのは、「神様のくれた赤ん坊」(1980)や「時代屋の女房」(1983)だ。あるいは「セーラー服と機関銃」(1981)もあるけど、見ていた方としては桃井かおりや夏目雅子、そして薬師丸ひろ子の映画を見ているのである。別に渡瀬恒彦を見に行くわけじゃないけど、今になってみると渡瀬恒彦が良かったなあと思うのである。90年代以後はテレビ出演が多く、晩年までずっと出ていたからお茶の間の知名度はずいぶん高かったようだ。僕はテレビドラマをほとんど見てないので、その時期のことは書けないけど。今は若い時のアクションぶりを見直してみたいなと思う。
ムッシュかまやつ(1939~2017.3.1、78歳)は、僕は「かまやつひろし」が芸名で、相性が「ムッシュ」なのかと思っていたら、89年以降「ムッシュかまやつ」が芸名だったのだという。本名は「釜萢弘」である。父親がジャズミュージシャンのティーブ釜萢で、若いころから音楽活動をしていて、「ザ・スパイダース」で活躍した。というのもずいぶん昔話だな。「我がよき友よ」(1975)という拓郎の曲が当時大ヒットしたけど、僕にとっては何と言っても「シンシア」の方である。なんか、渡瀬恒彦といい70年代頃の話ばかりになってしまうけど、要するに訃報というのも自分の若いころの思い出なのである。
そういう意味では、チャック・ベリー(1926~2017.3.18、90歳)になると、時代が離れていて思い出がない。もちろん名前は知っている。「ジョニー・B・グッド」である。あるいは「ロールオーバー・ベートーベン」。それらは50年代の話だから、僕にとっては同時代的な感じが伝わらない。名前は知っているけどね、ということになってしまう。そういうロックの伝説時代の人。
被爆医師と知られ反核運動に取り組んだ肥田舜太郎(1917.1.1~2017.3.20)が、100歳で亡くなった。広島市内で軍医として赴任中、爆心地の北6キロ地点で被爆した。直後から救援にあたり、以後ずっと反核を訴え続けた。直接に話を聞いたことはないけれど、ずいぶんたくさんの記録映画で証言を残している。映像として残されたものは、今後も残り続ける。(スティーヴン・オカザキ「ヒロシマナガサキ」や鎌仲ひとみ「ヒバクシャ」などの映画である。)
歌人の清水房雄(1915~2017.3.3、101歳)は、戦後の「アララギ」を支えた人と言われる。2004年には斎藤茂吉短歌文学賞を受賞している。山形県上山の茂吉記念館には茂吉賞の受賞者が顕彰されているが、10年ぐらい前に訪ねた折に見た思い出がある。永田和宏「現代秀歌」(岩波新書)には、次の一首が選ばれている。「先に死ぬしあわせなどを語りあひ遊びに似つる去年(こぞ)までの日よ」
という歌人としてというよりも、僕にとって清水氏は「影山先生の連れ合い」ということが大きい。清水氏は戦後都立高校に勤務し、北園高校の校長を務めたとウィキペディアにある。先の歌に詠まれたのは、乳がんでなくなった先妻である。影山先生は僕の高校時代の古文の先生で、70年代初めから夫婦別姓を実践していた。高校時代から強い印象を受けていた。母校を中高一貫化して中学で扶桑社(育鵬社)の教科書を使う問題が起こった時に、反対運動を作り上げる中で再会した。でも「連れ合い」の方がどういう人かは全く存じ上げなかったが、10年ぐらい前にようやく知った次第である。100歳を超える長寿を全うしたのは、影山先生の尽力も大きいと思う。
●宮部行範(みやべ・ゆきのり、3.7没、48歳) アルベールビル冬季五輪で、スピードスケート1000mで銅メダルを獲得。
●長友啓典(3.4没、77歳) グラフィックデザイナー
●ロバート・ジェームズ・ウォラー(3.10没、77歳) 「マディソン郡の橋」の作家
●デレク・ウォルコット(3.17没、87歳) カリブ海のセントルシア出身の詩人、劇作家。92年ノーベル文学賞受賞。
●コリン・デクスター(3.21没、86歳) イギリスのミステリー作家。モース警部もので知られる。かなり独特の論理的作風だけど、なかなか癖になる。ハヤカワ文庫から出ている。
●岡崎トミ子(3.19没、73歳) 民主党政権で国家公安委員長を務めた。元民主党副代表。90年衆院選で、民法穴から社会党議員となった。社会党時代から議員をしていた人が少なくなっていく。
70年代半ばは、猛烈なアクション俳優で「狂った野獣」(1976)のバス横転を自分で運転したことは有名。新聞の訃報には「仁義なき戦い」などと出てるんだけど、俳優の序列で10番目程度なんだから代表作にはできない。70年代半ばには、東映に名高い「ピラニア軍団」というのがあったが、渡瀬はその兄貴分みたいな印象だった。転機になったのは「北陸代理戦争」で事故があって入院したことだという。その後は「演技派」的な部分が大きくなり、「事件」(1978)などでキネ旬助演賞を得た。
僕が一番印象的なのは、「神様のくれた赤ん坊」(1980)や「時代屋の女房」(1983)だ。あるいは「セーラー服と機関銃」(1981)もあるけど、見ていた方としては桃井かおりや夏目雅子、そして薬師丸ひろ子の映画を見ているのである。別に渡瀬恒彦を見に行くわけじゃないけど、今になってみると渡瀬恒彦が良かったなあと思うのである。90年代以後はテレビ出演が多く、晩年までずっと出ていたからお茶の間の知名度はずいぶん高かったようだ。僕はテレビドラマをほとんど見てないので、その時期のことは書けないけど。今は若い時のアクションぶりを見直してみたいなと思う。
ムッシュかまやつ(1939~2017.3.1、78歳)は、僕は「かまやつひろし」が芸名で、相性が「ムッシュ」なのかと思っていたら、89年以降「ムッシュかまやつ」が芸名だったのだという。本名は「釜萢弘」である。父親がジャズミュージシャンのティーブ釜萢で、若いころから音楽活動をしていて、「ザ・スパイダース」で活躍した。というのもずいぶん昔話だな。「我がよき友よ」(1975)という拓郎の曲が当時大ヒットしたけど、僕にとっては何と言っても「シンシア」の方である。なんか、渡瀬恒彦といい70年代頃の話ばかりになってしまうけど、要するに訃報というのも自分の若いころの思い出なのである。
そういう意味では、チャック・ベリー(1926~2017.3.18、90歳)になると、時代が離れていて思い出がない。もちろん名前は知っている。「ジョニー・B・グッド」である。あるいは「ロールオーバー・ベートーベン」。それらは50年代の話だから、僕にとっては同時代的な感じが伝わらない。名前は知っているけどね、ということになってしまう。そういうロックの伝説時代の人。
被爆医師と知られ反核運動に取り組んだ肥田舜太郎(1917.1.1~2017.3.20)が、100歳で亡くなった。広島市内で軍医として赴任中、爆心地の北6キロ地点で被爆した。直後から救援にあたり、以後ずっと反核を訴え続けた。直接に話を聞いたことはないけれど、ずいぶんたくさんの記録映画で証言を残している。映像として残されたものは、今後も残り続ける。(スティーヴン・オカザキ「ヒロシマナガサキ」や鎌仲ひとみ「ヒバクシャ」などの映画である。)
歌人の清水房雄(1915~2017.3.3、101歳)は、戦後の「アララギ」を支えた人と言われる。2004年には斎藤茂吉短歌文学賞を受賞している。山形県上山の茂吉記念館には茂吉賞の受賞者が顕彰されているが、10年ぐらい前に訪ねた折に見た思い出がある。永田和宏「現代秀歌」(岩波新書)には、次の一首が選ばれている。「先に死ぬしあわせなどを語りあひ遊びに似つる去年(こぞ)までの日よ」
という歌人としてというよりも、僕にとって清水氏は「影山先生の連れ合い」ということが大きい。清水氏は戦後都立高校に勤務し、北園高校の校長を務めたとウィキペディアにある。先の歌に詠まれたのは、乳がんでなくなった先妻である。影山先生は僕の高校時代の古文の先生で、70年代初めから夫婦別姓を実践していた。高校時代から強い印象を受けていた。母校を中高一貫化して中学で扶桑社(育鵬社)の教科書を使う問題が起こった時に、反対運動を作り上げる中で再会した。でも「連れ合い」の方がどういう人かは全く存じ上げなかったが、10年ぐらい前にようやく知った次第である。100歳を超える長寿を全うしたのは、影山先生の尽力も大きいと思う。
●宮部行範(みやべ・ゆきのり、3.7没、48歳) アルベールビル冬季五輪で、スピードスケート1000mで銅メダルを獲得。
●長友啓典(3.4没、77歳) グラフィックデザイナー
●ロバート・ジェームズ・ウォラー(3.10没、77歳) 「マディソン郡の橋」の作家
●デレク・ウォルコット(3.17没、87歳) カリブ海のセントルシア出身の詩人、劇作家。92年ノーベル文学賞受賞。
●コリン・デクスター(3.21没、86歳) イギリスのミステリー作家。モース警部もので知られる。かなり独特の論理的作風だけど、なかなか癖になる。ハヤカワ文庫から出ている。
●岡崎トミ子(3.19没、73歳) 民主党政権で国家公安委員長を務めた。元民主党副代表。90年衆院選で、民法穴から社会党議員となった。社会党時代から議員をしていた人が少なくなっていく。
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