4月1日、あまりにも驚くべき記事があって、思わず「エイプリルフール」かと思ってしまったけれど、間違いない事実なのである。中学体育の新学習指導要領で、「武道」の中に「銃剣道」が入るという話である。そもそも「銃剣道」なるスポーツがあって、国体の正式種目になっているということも初めて聞いた。検索してみると、確かにそのとおりである。
学習指導要領の改定案の修正を見てみると、「「F武道」については,柔道,剣道,相撲,空手道,なぎなた,弓道,合気道,少林寺拳法,銃剣道などを通して,我が国固有の伝統と文化により一層触れることができるようにすること。また,(1)の運動については,アからウまでの中から一を選択して履修できるようにすること。なお,地域や学校の実態に応じて,空手道,なぎなた,弓道,合気道,少林寺拳法,銃剣道などについても履修させることができること。」とある。
上の文章で下線部分が追加された部分である。つまり、基本としては「柔道、剣道、相撲」の中から一つを選んで学ぶわけである。だけど、空手道、なぎなた、弓道、合気道、少林寺拳法の中から選んでも良かったところに、銃剣道が加わったわけである。指導者である体育教員の事情を考えれば、柔道、剣道が多くなるだろう。銃剣道が文面上加わったからと言って、すぐに学校で実施されるということにはならないだろう。それは判っているけれど、これは何なんだろうか。
そもそも、「我が国固有の伝統と文化により一層触れることができるようにする」なんていう言葉遣いそのものが、最近よく耳にするようになった気がするだろう。前回書いた「道徳」教科書問題も似たような言葉が出てくる。それはどうしてかというと、2006年の第一次安倍政権で成立した「教育基本法改正」から発しているわけである。そこから、2012年に中学体育で「武道必修化」が実施された。
中学では発達段階上、「武道」を体育で義務化することには心配も多かった。事実、柔道部の部活動では死亡事故も起こっている。いろいろと現場には心配も多かったと思うけど、「我が国の伝統と文化」などという言葉が今の日本では呪縛力を持っているのである。よく考えてみると、少林寺拳法など「我が国の伝統」なのか疑問になる。他の競技も同じだろう。銃剣道というのも、銃を使うんだから近代になって外国(フランス)の影響で作られたものだそうだ。
戦前には「学校教練」という科目があった。1925年から始まった。大正時代に結ばれたワシントン軍縮条約で、日本でも「軍縮」が進められた。だけど、その代わりに軍人を学校に派遣することが始まった。教練を修了したものは、幹部候補生の資格を得られるなど特典があった。でも、実際はどれほど嫌なものだったか、戦後に書かれたいくつもの小説に書かれている。また、「学校体罰」が広がる起源としても、学校教練が大きかったと言われる。
その教練の実技に重要なものが、「銃剣」だった。その「刺突訓練」は、中国戦線で実際に使われた。いまの「銃剣道」はスポーツ化されたものだというけれど、それでも旧軍隊を思い起こさせるのは間違いない。何も学校でやるべき必然性もない。それほど一般的に普及しているとは言えないだろう。多分競技関係者には自衛隊関係の人が多いのではないか。今後、研修会などを通して体育指導者と自衛隊関係者が密接になっていく危惧もある。安倍内閣の教育政策の方向性が、とかく「復古的」だということが、ここにも示されていると思う。
学習指導要領の改定案の修正を見てみると、「「F武道」については,柔道,剣道,相撲,空手道,なぎなた,弓道,合気道,少林寺拳法,銃剣道などを通して,我が国固有の伝統と文化により一層触れることができるようにすること。また,(1)の運動については,アからウまでの中から一を選択して履修できるようにすること。なお,地域や学校の実態に応じて,空手道,なぎなた,弓道,合気道,少林寺拳法,銃剣道などについても履修させることができること。」とある。
上の文章で下線部分が追加された部分である。つまり、基本としては「柔道、剣道、相撲」の中から一つを選んで学ぶわけである。だけど、空手道、なぎなた、弓道、合気道、少林寺拳法の中から選んでも良かったところに、銃剣道が加わったわけである。指導者である体育教員の事情を考えれば、柔道、剣道が多くなるだろう。銃剣道が文面上加わったからと言って、すぐに学校で実施されるということにはならないだろう。それは判っているけれど、これは何なんだろうか。
そもそも、「我が国固有の伝統と文化により一層触れることができるようにする」なんていう言葉遣いそのものが、最近よく耳にするようになった気がするだろう。前回書いた「道徳」教科書問題も似たような言葉が出てくる。それはどうしてかというと、2006年の第一次安倍政権で成立した「教育基本法改正」から発しているわけである。そこから、2012年に中学体育で「武道必修化」が実施された。
中学では発達段階上、「武道」を体育で義務化することには心配も多かった。事実、柔道部の部活動では死亡事故も起こっている。いろいろと現場には心配も多かったと思うけど、「我が国の伝統と文化」などという言葉が今の日本では呪縛力を持っているのである。よく考えてみると、少林寺拳法など「我が国の伝統」なのか疑問になる。他の競技も同じだろう。銃剣道というのも、銃を使うんだから近代になって外国(フランス)の影響で作られたものだそうだ。
戦前には「学校教練」という科目があった。1925年から始まった。大正時代に結ばれたワシントン軍縮条約で、日本でも「軍縮」が進められた。だけど、その代わりに軍人を学校に派遣することが始まった。教練を修了したものは、幹部候補生の資格を得られるなど特典があった。でも、実際はどれほど嫌なものだったか、戦後に書かれたいくつもの小説に書かれている。また、「学校体罰」が広がる起源としても、学校教練が大きかったと言われる。
その教練の実技に重要なものが、「銃剣」だった。その「刺突訓練」は、中国戦線で実際に使われた。いまの「銃剣道」はスポーツ化されたものだというけれど、それでも旧軍隊を思い起こさせるのは間違いない。何も学校でやるべき必然性もない。それほど一般的に普及しているとは言えないだろう。多分競技関係者には自衛隊関係の人が多いのではないか。今後、研修会などを通して体育指導者と自衛隊関係者が密接になっていく危惧もある。安倍内閣の教育政策の方向性が、とかく「復古的」だということが、ここにも示されていると思う。
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