尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

樋田毅『最後の社主』ーザッツ・深窓の令嬢

2023年05月14日 23時03分00秒 | 〃 (さまざまな本)
 樋田毅最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』(講談社、2020)を読んだ。先に紹介した『記者襲撃』を書いた元朝日新聞記者の次の本。事件記者として生きてきた人が、最後に社主である村山美知子の秘書のような仕事に就いた。何で自分がと思いながらも、赤報隊事件の取材を続けて良いことを条件にして引き受けた。社主村山家と朝日新聞経営陣の確執は、社内のみならず一般的にも知られていた。最後の仕事は「わがままお嬢」のお相手かという感じで始まる。

 『記者襲撃』で描かれた右翼及び「旧統一教会」の諸事情は実に恐るべきものがあった。今回の『最後の社主』はそういう恐ろしさはないけれど、こんな事があったのかと驚くような秘話が続々と出て来る。前著に勝るとも劣らぬ一気読みの面白さである。朝日新聞経営陣の対応を批判して終わるので、出版時には「守秘義務違反」などと抗議されたという。著者と講談社は回答書を送ったが、反応はなかった。確かに身近に仕えることで知った「秘話」も存分に書かれているが、対象者の村山美知子からは信頼され、伝記を書くことを依頼されていた。この本は朝日新聞社の媒体では全く紹介されなかったという。
(村山美知子の葬儀)
 村山美知子(1920~2020)は長命だった。2020年に99歳で亡くなっている。1977年以来朝日新聞社主を務めていたが、社主である村山美知子という人を僕は全く知らなかった。クラシック音楽に造詣が深く、「大阪国際フェスティバル」という催しを1958年から開催してきたという。これはすごく有名な音楽祭だというが、名前も知らなかった。今年も開かれている歴史の長い音楽祭である。大阪の新朝日ビルに作られた旧フェスティバルホールは、実に素晴らしい音楽ホールだったらしい。当時は上野の東京文化会館さえまだなかったのである。(2012年に建て直された新ホールも、旧ホールの音響環境を維持しているという。)

 樋田氏は是非クラシック音楽ファンにも読んで欲しいと書いている。この本で見る村山美知子の音楽に関する見識は大変なものがある。世界中からテープを送ってきたという。音響の良さにひかれて、世界の音楽家から愛された音楽祭だった。ストラビンスキーカラヤンロストロポーヴィチなどはその一例である。1967年にはバイロイト音楽祭の2回しかない海外公演が開かれ、多くのオペラファンが東京からも通ったという。(東京公演はなかった。)日本の若い音楽家を早くから支援し、外国で賞を取りながら日本で活躍の機会がなかった小澤征爾佐渡裕などに活躍の場を与えたのもこの人だった。
(村山龍平)
 世界音楽史に輝く有名人が綺羅星の如く出て来るので、あ然とする。音楽祭プロデューサーとしては「お嬢さん芸」を越えたものがあった。しかし、やはり村山美知子という人は、まず祖父村山龍平(1850~1933)から書かないといけない。村山龍平は1879年に大阪で朝日新聞を創刊した時の一人である。1881年に木村家から株を買い取り、上野理一とともに経営者となった。「大阪朝日新聞」である。その後もおおよそ村山家=3分の2上野家=3分の1という構成で、両家が朝日新聞社の株主として続いてきた。1888年には東京にも進出し、戦争や大衆社会化を経て大発展していった。

 ビックリするほどの高配当を続けて、村山家は関西実業界でも有数の大富豪となった。神戸の御影(みかげ)に大邸宅を築き、今はその一角に村山龍平の収集品を集めた香雪美術館が建っている。龍平の一人娘、於藤は婿として長挙(ながたか)を迎え、長女美知子と次女富美子が生まれた。龍平翁絶頂期に初孫として生まれた美知子は、祖父に可愛がられて育つ。「ザッツ・深窓の令嬢」という感じで、こういう人が日本にもいたのかと感心した。関東圏ではなかなかお目に掛からないタイプのお嬢様である。 
(父母と姉妹)
 樋田氏は社主付を引き受けた後に、君の本当の仕事は朝日が外資に乗っ取られた時にその経緯を世に問うことだなどと先輩に言われている。朝日はあれこれ言われ続けたが、この何十年かの経営陣にとって「村山家の株がどうなるか」こそ最大の関心事だったことがよく判る。美知子の父、長挙は戦時中に朝日新聞社長となったが、主筆の緒方竹虎と対立した。戦後に公職追放されるが、解除後に社主、社長に復帰し、経営陣との対立が再燃した。1963年には「村山事件」と呼ばれる内紛が起こり、対立は決定的となった。(もう一人の社主、上野家は経営側を支持した。)
(晩年の美知子社主)
 そういう経緯があり、樋田も警戒して接していたが、次第に美知子の優雅な生き方に魅了されてしまう。ミイラ取りがミイラになるというか、スパイとして送り込まれたのに二重スパイになったというか。言葉が適切じゃないかもしれないけど、朝日新聞社のやり方もどうなんだと思うことが多くなっていくのである。美知子には短い結婚歴があったことがこの本で明かされたが、その後は独身を通し後継はいない。妹には子どもがいたので、放っておくとすべての株は甥の元に行く。その甥という人物は新聞経営には関心がなく、美知子も社主向きではないと考えていた。

 甥はアスキー創業者の西和彦と親しく、社主一族が集まった時などに連れてきたりしていた。そんなこんなから、最後は外資に株が売られるのではという憶測が週刊誌などに掲載されることになった。しかし、樋口が実際に会った感じでは、そういう人ではないと書いている。非上場である朝日新聞社株を相続する際、その株をいくらで計算するべきか。場合によっては莫大な相続税が掛かってしまう。そういうことを甥の側でも心配していたのは間違いない。一方、美知子の方でも「家の存続」のため、養子を探す試みも行われた。そこら辺は今までには知られない話だと思うけど、いやあ「上」の方は大変ですねえという感じ。

 その間の社の対応に樋田氏は疑問も持つわけである。僕はその「村山家の株問題」をどう解決するのは良かったのか、全然判らない。でも、そういう秘話があったということは事実なんだから、大変面白かったのである。「公器」である新聞社の裏ではそういうことがあったのだ。大変面白い本だったけど、一番は「深窓の令嬢」ってこういうものかという感慨である。美知子社主は最後の最後まで、筋金入りの令嬢として生き抜いた。著者ならずとも、知らず知らずに引きつけられていくのである。
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