読んでない新書を引っ張り出してきて、まず読んだのは青木栄一『文部科学省』(中公新書、2021)だが、これは多くの人に(僕にも)詳しすぎるから紹介は止めることにする。次に読んだ松本輝夫『谷川雁』(平凡社新書)を取り上げたい。2014年に出た本なので、積んどく間に10年も経ってしまった。関連で谷川雁の兄谷川健一が書いた『柳田国男の民俗学』(岩波新書)も読んでみた。こっちは2001年出版で、近くに置いてあったのに20年以上経っていたのが驚き。谷川健一の本は岩波新書に何冊も入っていた(『日本の地名』など)が、全部なくなっていたのにも時間の経過を感じた。
谷川雁(1923~1995)が、詩人や社会運動家(むしろ「革命家」というべきか)として活動したのは60年代前半までである。僕も同時代的には全然知らず、70年代にすでに「伝説」もしくは「悪名高き人物」になっていた。日本共産党員として九州で活動し、森崎和江とともに福岡県中間市の大正炭鉱に住み着いた。その時代には「東京へゆくな ふるさとを創れ」という詩を書いていた。そして上野英信、石牟礼道子らと雑誌「サークル村」を創刊したが、60年安保をめぐって党を除名された。60年代前半は大正炭鉱労働者の闘争支援に全力を注ぎ、吉本隆明とともに新左翼のスター的存在だったのである。
(谷川雁)
ところが闘争に敗れ、森崎との関係も破綻し、詩作を封印して上京したのである。英会話教材会社の重役に迎えられ、会社で起こった労働争議の弾圧者となった。吉本隆明は労働組合の集会で応援の講演をしたという。文学活動から撤退していたので、まるで20歳で詩作を封印しアフリカで武器商人となった19世紀のフランス詩人アルチュール・ランボーみたいな話だ。しかし、その後重役を解任され、新たに「十代の会」を組織して宮澤賢治の童話を演劇にする活動を行った。「十代の会」の活動は、池袋の西武百貨店にあった「スタジオ200」という小さなホールで公演を見た記憶がある。(あまり面白くなかった。)
そういう谷川雁の後半生を含めた全体像を知りたいと思って、この新書を買ったと思う。しかし、もう緊急性がなかったので読まずに放ってしまったのである。著者の松本輝夫氏(1943~)は谷川雁と劇的に出会い、その後雁のいたラボ教育センターに入社したという人である。会社では経営者対組合運動家として対立し、その後21世紀になってラボ教育センター会長となった。一方で退社後には谷川雁研究会を起ち上げて代表となった。そういう意味で谷川雁を語るにはうってつけの人物だろう。
(若い頃の森崎和江)
松本氏は若い頃に谷川雁に会いに行ったことがある。福岡の大正炭鉱闘争の熱気が伝わってきて、会ってみたくなったのである。何のツテもなく訪れて、労働者の多い居酒屋に立ち寄り、炭鉱労働者と飲んだのである。そのうち雁が「天皇」と呼ばれているのを批判したところ、殴られてメガネを壊され雁のもとに連れて行かれたという。そんなすごい出会い方が昔はあったのである。そこで松本氏は雁の家に、共産主義の本以上に柳田国男など民俗学の本があるのを見た。これは当時平凡社の編集者(後独立して民俗学研究者)だった兄の谷川健一の影響なんだろうと思ったのである。
(谷川健一)
谷川雁には『原点が存在する』(1958)という有名な本がある。「下部へ、下部へ、根へ、根へ そこに万有の母がある。存在の原点がある」というフレーズが有名になった。この「原点」とは何か。それは柳田学のいうところの「常民」、日本の農村共同体のイメージなんだという。それは全く気付かなかった。50年代末は高度成長以前であり、毛沢東の「根拠地論」が魅力をもって語られていた。つまり革命家としては「中国共産党派」であり、同時に民俗学的発想で農村共同体を評価していたということか。70年代後半には完全に高度成長以後の社会になっていて、僕は「原点」を詩的イメージ以上に感じられなかった。
それにしても谷川雁の言語感覚は驚くほど鋭く、呪術的とも言える。もう一つの有名な本『工作者宣言』(1959)では、「すなわち大衆に向っては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する」と宣言する。このフレーズもしびれるような魅力がある。そして東大闘争で知られた「連帯を求めて孤立を恐れず」も谷川雁の言葉だった。こういうフレーズの言霊的呪縛は大きかったのである。
そして著者によれば、「沈黙」ととらえられてきたラボ教育センターの時期こそ、谷川雁の詩的創作力は絶頂に達したという。そこでは英会話をただ教えるのではなく、子どもの日本語能力も育てつつ演劇的想像力を養う「物語」を重視した。そこで教材化されたものは有名な物語の「再話」だったが、子どもたちに喜ばれる詩的喚起力に富んだ教材がたくさん作られたという。特に「古事記」の国生み神話のドラマ化は素晴らしいという。英訳はC・W・ニコルが担当していた。確かに素晴らしい「物語」が残されている。
だが解明されない謎は多い。労組への対応以前に、組織人として公私混同が激しかった。鶴見俊輔などの証言を引用して「いばる人」だったと書かれている。その意味では「九州男児」を脱し切れなかった。大正炭鉱闘争でも、雁が組織した行動隊員が仲間の妹をレイプして殺害する事件を起こしたとき、今ではとても許されない無理な総括をしている。人生の中で幾つもの「謎」多き「偽善」を貫いていたのである。この本では若い時に愛児を失った体験が重大だと書かれている。しかし、その母親である結婚の事情は書かれていない。誰も書いてないらしい。森崎和江との関係もそうだが、谷川雁にはまだまだ謎が秘められている。
谷川雁(1923~1995)が、詩人や社会運動家(むしろ「革命家」というべきか)として活動したのは60年代前半までである。僕も同時代的には全然知らず、70年代にすでに「伝説」もしくは「悪名高き人物」になっていた。日本共産党員として九州で活動し、森崎和江とともに福岡県中間市の大正炭鉱に住み着いた。その時代には「東京へゆくな ふるさとを創れ」という詩を書いていた。そして上野英信、石牟礼道子らと雑誌「サークル村」を創刊したが、60年安保をめぐって党を除名された。60年代前半は大正炭鉱労働者の闘争支援に全力を注ぎ、吉本隆明とともに新左翼のスター的存在だったのである。
(谷川雁)
ところが闘争に敗れ、森崎との関係も破綻し、詩作を封印して上京したのである。英会話教材会社の重役に迎えられ、会社で起こった労働争議の弾圧者となった。吉本隆明は労働組合の集会で応援の講演をしたという。文学活動から撤退していたので、まるで20歳で詩作を封印しアフリカで武器商人となった19世紀のフランス詩人アルチュール・ランボーみたいな話だ。しかし、その後重役を解任され、新たに「十代の会」を組織して宮澤賢治の童話を演劇にする活動を行った。「十代の会」の活動は、池袋の西武百貨店にあった「スタジオ200」という小さなホールで公演を見た記憶がある。(あまり面白くなかった。)
そういう谷川雁の後半生を含めた全体像を知りたいと思って、この新書を買ったと思う。しかし、もう緊急性がなかったので読まずに放ってしまったのである。著者の松本輝夫氏(1943~)は谷川雁と劇的に出会い、その後雁のいたラボ教育センターに入社したという人である。会社では経営者対組合運動家として対立し、その後21世紀になってラボ教育センター会長となった。一方で退社後には谷川雁研究会を起ち上げて代表となった。そういう意味で谷川雁を語るにはうってつけの人物だろう。
(若い頃の森崎和江)
松本氏は若い頃に谷川雁に会いに行ったことがある。福岡の大正炭鉱闘争の熱気が伝わってきて、会ってみたくなったのである。何のツテもなく訪れて、労働者の多い居酒屋に立ち寄り、炭鉱労働者と飲んだのである。そのうち雁が「天皇」と呼ばれているのを批判したところ、殴られてメガネを壊され雁のもとに連れて行かれたという。そんなすごい出会い方が昔はあったのである。そこで松本氏は雁の家に、共産主義の本以上に柳田国男など民俗学の本があるのを見た。これは当時平凡社の編集者(後独立して民俗学研究者)だった兄の谷川健一の影響なんだろうと思ったのである。
(谷川健一)
谷川雁には『原点が存在する』(1958)という有名な本がある。「下部へ、下部へ、根へ、根へ そこに万有の母がある。存在の原点がある」というフレーズが有名になった。この「原点」とは何か。それは柳田学のいうところの「常民」、日本の農村共同体のイメージなんだという。それは全く気付かなかった。50年代末は高度成長以前であり、毛沢東の「根拠地論」が魅力をもって語られていた。つまり革命家としては「中国共産党派」であり、同時に民俗学的発想で農村共同体を評価していたということか。70年代後半には完全に高度成長以後の社会になっていて、僕は「原点」を詩的イメージ以上に感じられなかった。
それにしても谷川雁の言語感覚は驚くほど鋭く、呪術的とも言える。もう一つの有名な本『工作者宣言』(1959)では、「すなわち大衆に向っては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆であるところの偽善の道をつらぬく工作者のしかばねの上に萌えるものを、それだけを私は支持する」と宣言する。このフレーズもしびれるような魅力がある。そして東大闘争で知られた「連帯を求めて孤立を恐れず」も谷川雁の言葉だった。こういうフレーズの言霊的呪縛は大きかったのである。
そして著者によれば、「沈黙」ととらえられてきたラボ教育センターの時期こそ、谷川雁の詩的創作力は絶頂に達したという。そこでは英会話をただ教えるのではなく、子どもの日本語能力も育てつつ演劇的想像力を養う「物語」を重視した。そこで教材化されたものは有名な物語の「再話」だったが、子どもたちに喜ばれる詩的喚起力に富んだ教材がたくさん作られたという。特に「古事記」の国生み神話のドラマ化は素晴らしいという。英訳はC・W・ニコルが担当していた。確かに素晴らしい「物語」が残されている。
だが解明されない謎は多い。労組への対応以前に、組織人として公私混同が激しかった。鶴見俊輔などの証言を引用して「いばる人」だったと書かれている。その意味では「九州男児」を脱し切れなかった。大正炭鉱闘争でも、雁が組織した行動隊員が仲間の妹をレイプして殺害する事件を起こしたとき、今ではとても許されない無理な総括をしている。人生の中で幾つもの「謎」多き「偽善」を貫いていたのである。この本では若い時に愛児を失った体験が重大だと書かれている。しかし、その母親である結婚の事情は書かれていない。誰も書いてないらしい。森崎和江との関係もそうだが、谷川雁にはまだまだ謎が秘められている。
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