都営地下鉄新宿線菊川駅(墨田区)近くに「Stranger」(ストレンジャー)という名の小さな映画館がある。全部で49席しかなく、カフェが併設されている。僕の家から遠くはないんだけど、一駅だけ都営地下鉄を使わないと行けない。季節が良い時は歩けるが、今の猛暑では無理。そうなると運賃が新宿、渋谷へ行くより高くなってしまう。ということであまり行かないんだけど、7月19日から8月8日まで「ジョン・ヒューストン特集」として、5本の映画を上映している。そのうち2本は初公開である。ジョン・ヒューストンは晩年の作品をリアルタイムで見ているが,その頃から気になる監督だった。
ジョン・ヒューストン(John Huston、1906~1987)は映画一家だった。父のウォルター・ヒューストンは息子の監督作品『黄金』(1948)でアカデミー助演男優賞を獲得し、娘のアンジェリカ・ヒューストンも父の監督作品『女と男の名誉』(1985)でアカデミー助演女優賞を獲得した。自分も『黄金』で監督賞を得たから、オスカー三代なのである。デビュー作『マルタの鷹』(1941)でハンフリー・ボガートを大スターにし、『アフリカの女王』(1951)でボギーにオスカーをもたらした。という具合にハリウッドのど真ん中で活躍した監督に見える。しかし、彼はアメリカには珍しく骨があって作家性が高い映画を作ってきた。
(ジョン・ヒューストン監督)
複雑な人生行路や偏屈な性格もあるし、ハリウッドに吹き荒れた「赤狩り」を嫌って国外で作った時期もある。『アフリカの女王』撮影中は狩猟に熱中するなど奇人ぶりが目に付き、その様子は後にクリント・イーストウッド監督『ホワイトハンター ブラックハート』という映画になったぐらいである。戦時中は陸軍に所属し、ドキュメンタリー映画を4本作った。日本では全く紹介されないままで来たが、4作目の『光あれ』(Let There Be Light、1946)が今回初公開された。これが何と「戦争神経症」を扱って、戦意を喪失させると35年間公開禁止になった映画なのである。
(『光あれ』)
58分間の短い映画で、何の「やらせ」もないと冒頭に出る。隠しカメラを駆使して、日本の羽仁進監督が子どもたちを撮影した『教室の子供たち』(1955)に10年先立っている。ただ「健忘症」で名前も言えなかった人が一回の催眠療法ですぐ名前が言えるなどホントかな的なシーンも多い。沖縄戦で心に傷を負った兵士が多いのも驚き。統合失調症やうつ病ではなく、PTSDに当たる症例が多いように思ったが、あっという間に寛解してスポーツに興じて退院していく。むしろ「米軍のケア」の宣伝映画にも感じたが、当時としては戦争をきっかけに精神を病むという事実自体が秘匿すべきものだったのかもしれない。
しかし、ヒューストンは再びこのテーマを取り上げている。それはアメリカ文学の名作とされるクレイン『赤い武功賞』(1895)を映画化した『勇者の赤いバッジ』(The Red Badge of Courage、1951)である。南北戦争を舞台にするが、北軍の新兵は実戦に恐怖を感じて戦線を離脱してしまう。その後戻って「勇者」と讃えられる活躍を見せるが、戦争の恐ろしさ、怯える兵士の心情を描き出している。しかも第二次大戦の英雄と言われながら、本人はPTSDで苦しんでいた人気俳優オーディ・マーフィーを主演に起用した。ただ内容が暗い反戦映画とみなされ、監督に無断で20分近くカットされ69分の映画になっている。
(『勇者の赤いバッジ』)
その後はアイルランドでメルヴィル『白鯨』の映画化を進めたり、『赤い風車』、『黒船』など世界各地を舞台にした映画が多い。60年前後から再びアメリカが舞台にした作品が多くなり、ハンフリー・ボガートとマリリン・モンローの遺作『荒馬と女』(1960)を作った。それ以後は低迷が続くが、『禁じられた情事の森』(Reflections in a Golden Eye、1967)もその時期。原題を見れば判るが、カーソン・マッカラーズ『黄金の目に映るもの』の映画化である。エリザベス・テイラー、マーロン・ブランドが主演し、独特な赤い画調が美しい。しかし、「不倫」「同性愛」などを正面から描けない中で作られ、見てて人間関係をよく理解出来ない。早すぎた映画化だったのかもしれない。
(『禁じられた情事の森』)
拾いものだったのが『ゴングなき戦い』(Fat City、1972)で、70年代初頭の気だるいムードがよく出ている。カリフォルニア州ストックトンという小都市でロケされた、全盛期を過ぎたボクサーの物語。主人公は有望な新人を見つけたり、酒と女に浸りながら時々リングに立っている。チャンピオンをめざすのがボクシング映画の定番だが、ここにはタイトル戦も八百長も出て来ない。田舎町で時々試合をしているボクサーの人生である。有望な新人をジェフ・ブリッジスがやっている。酒場で知り合う女を演じたスーザン・ティレルがアカデミー助演女優賞にノミネートされた。アメリカではヒットしたらしいが、日本では初公開。
(『ゴングなき戦い』)
『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(The Dead、1987)は公開当時に見て感銘を受けた。ジョイス『ダブリン市民』の挿話の映画化で、1904年のクリスマス・パーティを描いている。もう高齢の姉妹が毎年開く会で、来る人も壮年ばかり。ダンスをしたり、歌、ピアノ、朗読などを皆が披露して、食事をする。ただそれだけの映画なんだけど、非常に美しい画面に目が離せない。そしてラストに静かな悲しみが広がるのである。非常に繊細な心情を描いた見事な映画だと思う。83分の遺作で短いが滋味がある。
(『ザ・デッド』)
ジョン・ヒューストンの映画を初めて見たのは、多分テレビで見た『黄金』だと思う。熱狂と挫折に心惹かれた。今回の5本はむしろ主人公の孤独な魂が身に沁みるような映画が多い。初めて劇場で見たのは『殺し屋判事ロイ・ビーン』(1972)で、実に楽しい快作だった。1984年の『火山のもとで』も見事だった。マルカム・ラウリー原作の映画化で、メキシコの火山の麓で暮らす男の孤独が描かれる。ずいぶん商業的な失敗作も多いけど、いくつかの作品は非常に力強く繊細である。忘れられない映画監督だ。
ジョン・ヒューストン(John Huston、1906~1987)は映画一家だった。父のウォルター・ヒューストンは息子の監督作品『黄金』(1948)でアカデミー助演男優賞を獲得し、娘のアンジェリカ・ヒューストンも父の監督作品『女と男の名誉』(1985)でアカデミー助演女優賞を獲得した。自分も『黄金』で監督賞を得たから、オスカー三代なのである。デビュー作『マルタの鷹』(1941)でハンフリー・ボガートを大スターにし、『アフリカの女王』(1951)でボギーにオスカーをもたらした。という具合にハリウッドのど真ん中で活躍した監督に見える。しかし、彼はアメリカには珍しく骨があって作家性が高い映画を作ってきた。
(ジョン・ヒューストン監督)
複雑な人生行路や偏屈な性格もあるし、ハリウッドに吹き荒れた「赤狩り」を嫌って国外で作った時期もある。『アフリカの女王』撮影中は狩猟に熱中するなど奇人ぶりが目に付き、その様子は後にクリント・イーストウッド監督『ホワイトハンター ブラックハート』という映画になったぐらいである。戦時中は陸軍に所属し、ドキュメンタリー映画を4本作った。日本では全く紹介されないままで来たが、4作目の『光あれ』(Let There Be Light、1946)が今回初公開された。これが何と「戦争神経症」を扱って、戦意を喪失させると35年間公開禁止になった映画なのである。
(『光あれ』)
58分間の短い映画で、何の「やらせ」もないと冒頭に出る。隠しカメラを駆使して、日本の羽仁進監督が子どもたちを撮影した『教室の子供たち』(1955)に10年先立っている。ただ「健忘症」で名前も言えなかった人が一回の催眠療法ですぐ名前が言えるなどホントかな的なシーンも多い。沖縄戦で心に傷を負った兵士が多いのも驚き。統合失調症やうつ病ではなく、PTSDに当たる症例が多いように思ったが、あっという間に寛解してスポーツに興じて退院していく。むしろ「米軍のケア」の宣伝映画にも感じたが、当時としては戦争をきっかけに精神を病むという事実自体が秘匿すべきものだったのかもしれない。
しかし、ヒューストンは再びこのテーマを取り上げている。それはアメリカ文学の名作とされるクレイン『赤い武功賞』(1895)を映画化した『勇者の赤いバッジ』(The Red Badge of Courage、1951)である。南北戦争を舞台にするが、北軍の新兵は実戦に恐怖を感じて戦線を離脱してしまう。その後戻って「勇者」と讃えられる活躍を見せるが、戦争の恐ろしさ、怯える兵士の心情を描き出している。しかも第二次大戦の英雄と言われながら、本人はPTSDで苦しんでいた人気俳優オーディ・マーフィーを主演に起用した。ただ内容が暗い反戦映画とみなされ、監督に無断で20分近くカットされ69分の映画になっている。
(『勇者の赤いバッジ』)
その後はアイルランドでメルヴィル『白鯨』の映画化を進めたり、『赤い風車』、『黒船』など世界各地を舞台にした映画が多い。60年前後から再びアメリカが舞台にした作品が多くなり、ハンフリー・ボガートとマリリン・モンローの遺作『荒馬と女』(1960)を作った。それ以後は低迷が続くが、『禁じられた情事の森』(Reflections in a Golden Eye、1967)もその時期。原題を見れば判るが、カーソン・マッカラーズ『黄金の目に映るもの』の映画化である。エリザベス・テイラー、マーロン・ブランドが主演し、独特な赤い画調が美しい。しかし、「不倫」「同性愛」などを正面から描けない中で作られ、見てて人間関係をよく理解出来ない。早すぎた映画化だったのかもしれない。
(『禁じられた情事の森』)
拾いものだったのが『ゴングなき戦い』(Fat City、1972)で、70年代初頭の気だるいムードがよく出ている。カリフォルニア州ストックトンという小都市でロケされた、全盛期を過ぎたボクサーの物語。主人公は有望な新人を見つけたり、酒と女に浸りながら時々リングに立っている。チャンピオンをめざすのがボクシング映画の定番だが、ここにはタイトル戦も八百長も出て来ない。田舎町で時々試合をしているボクサーの人生である。有望な新人をジェフ・ブリッジスがやっている。酒場で知り合う女を演じたスーザン・ティレルがアカデミー助演女優賞にノミネートされた。アメリカではヒットしたらしいが、日本では初公開。
(『ゴングなき戦い』)
『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』(The Dead、1987)は公開当時に見て感銘を受けた。ジョイス『ダブリン市民』の挿話の映画化で、1904年のクリスマス・パーティを描いている。もう高齢の姉妹が毎年開く会で、来る人も壮年ばかり。ダンスをしたり、歌、ピアノ、朗読などを皆が披露して、食事をする。ただそれだけの映画なんだけど、非常に美しい画面に目が離せない。そしてラストに静かな悲しみが広がるのである。非常に繊細な心情を描いた見事な映画だと思う。83分の遺作で短いが滋味がある。
(『ザ・デッド』)
ジョン・ヒューストンの映画を初めて見たのは、多分テレビで見た『黄金』だと思う。熱狂と挫折に心惹かれた。今回の5本はむしろ主人公の孤独な魂が身に沁みるような映画が多い。初めて劇場で見たのは『殺し屋判事ロイ・ビーン』(1972)で、実に楽しい快作だった。1984年の『火山のもとで』も見事だった。マルカム・ラウリー原作の映画化で、メキシコの火山の麓で暮らす男の孤独が描かれる。ずいぶん商業的な失敗作も多いけど、いくつかの作品は非常に力強く繊細である。忘れられない映画監督だ。
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