ケリー・ライカート(Kelly Reichardt、1964~)監督の特集上映がシアター・イメージフォーラムで行われている。「1994年に最初の長編『リバー・オブ・グラス』を発表以来、各国映画祭で激賞されながらも、大手スタジオとは一定の距離を保ち、真にインディンペンデントなスタイルと制作体制を静かに貫き続ける現代最高の女性監督ケリー・ライカート」と紹介されている。このコピーが僕の見たい気持ちをそそった。昨年初めて日本で紹介されたというが全然気付かなかった。ウィキペディアには「ケリー・ライヒャルト」と出ているが、本人に確認して「ライカート」と表記しているという。一体どんな映画だろうか。
順番に見ることにして、まず最初に1994年の「リバー・オブ・グラス」(River of Grass)。チラシには、楽園リゾート都市マイアミのほど近く、なにもない郊外の湿地で鬱々と暮らす30歳の主婦コージーは、いつか、新しい人生を始めることを夢見ている……。20代最後の年、故郷に戻ったライカートが、逃避行に憧れ、アバンチュールに憧れ、アウトローに憧れた、かつての思春期の自身に捧げた「ロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリー、犯罪の無い犯罪映画」とある。何だよそれという感じだが、見たら本当にロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリーだったのに驚いた。
(「リバー・オブ・グラス」)
マイアミの近くだというのに、全然リゾート感のない郊外地区。登場人物は皆熱量が低く、警官はいつの間にか拳銃をなくしてしまったぐらい。それを拾った若者もただの怠け者にすぎない。どこかへ行きたい主婦は家を出ると車に轢かれかけ、それをきっかけにバーでその車のドライバー(銃を拾った男)と知り合う。知り合いのプールに行こうと誘って、そこで家人に銃をぶっ放してしまう。大変な犯罪者になったと逃げ出すが、金がなくて遠くへも行けない。犯罪者とも言えない二人の「愛無き逃避行」を気だるく描くだけだが面白い。
次が2006年の「オールド・ジョイ」(Old Joy)で、これもチラシを引用すると「もうすぐ父親になるマークは、ヒッピー的な生活を続ける旧友カートから久しぶりに電話を受ける。キャンプの誘い。 “戦時大統領”G・W・ブッシュは再選し、カーラジオからはリベラルの自己満足と無力を憂う声が聞こえる……。ゴーストタウンのような町を出て、二人は、ポートランドの外れ、どこかに温泉があるという山へ向かう。」僕はこの映画が一番面白かった。この映画でも何でもないような瞬間だけが続いてドラマがない。ドラマではなく、シチュエーション(状況)しかないのがライカート監督の特徴だ。
(「オールド・ジョイ」)
身重の妻を家において、つい旧友の誘いに乗って山へ行ってしまう主人公。しばらくぶりに故郷の街へ帰ってきた友の誘いを断れるわけがない。温泉があるというから行ってみようぜ、場所は良く判らないけど。ライカート映画は全部「道に迷う主人公」を描いている。ただ男二人の他愛のない会話が続くが、車のラジオが時代を映す。最初のフロリダから遠く離れて、この頃は太平洋岸のオレゴン州で撮っている。山の温泉ってどんなのかと思うと、車を降りて相当歩いていくと結構立派な木造の施設があるから驚き。そこに掛け流されている湯に浸る快楽。犬を連れて行くのも面白い。そして帰って行く。それだけだけど面白い。
(ケリー・ライカート監督)
この映画を見てアカデミー賞に4回ノミネートされている女優ミシェル・ウィリアムズがアプローチして作られたのが、2008年の「ウェンディ&ルーシー」(Wendy and Lucy)。ルーシーは「オールド・ジョイ」にも出ていた犬である。はるばるインディアナ州から犬連れでアラスカを目指すウェンディ。未来のない故郷を捨てアラスカで仕事を探そうと思ったんだけど。オレゴン州の小さな町で車が故障してしまい、なかなか修理できない。スーパーで買い物をしていると万引きを疑われ、警察に連れて行かれて戻ってくるとルーシーがいないではないか。車と犬を一度に失ったウェンディの苦闘をカメラはじっと見つめる。
(ウェンディ&ルーシー)
最後に2010年の「ミークス・カットオフ」(Meek's Cutoff)で、これもオレゴン州ながら1845年という設定である。「広大な砂漠を西部へと向かう白人の三家族は、近道を知っているという案内人・ミークを雇うが、長い1日が何度繰り返されど、目的地に近づく様子はない。道に迷った彼らを襲うのは飢えと互いへの不信感だった……。」という映画で、これも西部劇の世界を借りて「道に迷う」人々を描いている。どこに連れ回されるているのか疑心暗鬼になるというのは、アンドレ・カイヤット監督の「眼には眼を」を思わせる。チラシにあるように、「アメリカのアイデンティティの根源たる西部開拓神話が、ライカートのオルタナティブな視点とスタイルによって見事に解体された歴史的一作」という言葉に尽きる。
(「ミークス・カットオフ」)
長編映画ではこの他に1999年に「Ode」という映画がある。また「ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画」(2013)、「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016)の2本はスター俳優も出演した映画だが、日本では劇場未公開のままDVDで発売された。そして最新作の「First Cow」(2020)が初めて正式に公開されるらしい。未公開なんだから知るわけがないが、アメリカにもこういうインディーズの女性監督がいたのかという「発見」がある。アートの潮流としては「ミニマリズム」に近い感じがする。壮大なドラマ世界ではなく、日常のシチュエーションをただ「写生」するだけのような世界だけど、そこに世界が顕現する「啓示」のような瞬間がある。アメリカの非ハリウッド映画が上映されることは珍しいので紹介した。
順番に見ることにして、まず最初に1994年の「リバー・オブ・グラス」(River of Grass)。チラシには、楽園リゾート都市マイアミのほど近く、なにもない郊外の湿地で鬱々と暮らす30歳の主婦コージーは、いつか、新しい人生を始めることを夢見ている……。20代最後の年、故郷に戻ったライカートが、逃避行に憧れ、アバンチュールに憧れ、アウトローに憧れた、かつての思春期の自身に捧げた「ロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリー、犯罪の無い犯罪映画」とある。何だよそれという感じだが、見たら本当にロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリーだったのに驚いた。
(「リバー・オブ・グラス」)
マイアミの近くだというのに、全然リゾート感のない郊外地区。登場人物は皆熱量が低く、警官はいつの間にか拳銃をなくしてしまったぐらい。それを拾った若者もただの怠け者にすぎない。どこかへ行きたい主婦は家を出ると車に轢かれかけ、それをきっかけにバーでその車のドライバー(銃を拾った男)と知り合う。知り合いのプールに行こうと誘って、そこで家人に銃をぶっ放してしまう。大変な犯罪者になったと逃げ出すが、金がなくて遠くへも行けない。犯罪者とも言えない二人の「愛無き逃避行」を気だるく描くだけだが面白い。
次が2006年の「オールド・ジョイ」(Old Joy)で、これもチラシを引用すると「もうすぐ父親になるマークは、ヒッピー的な生活を続ける旧友カートから久しぶりに電話を受ける。キャンプの誘い。 “戦時大統領”G・W・ブッシュは再選し、カーラジオからはリベラルの自己満足と無力を憂う声が聞こえる……。ゴーストタウンのような町を出て、二人は、ポートランドの外れ、どこかに温泉があるという山へ向かう。」僕はこの映画が一番面白かった。この映画でも何でもないような瞬間だけが続いてドラマがない。ドラマではなく、シチュエーション(状況)しかないのがライカート監督の特徴だ。
(「オールド・ジョイ」)
身重の妻を家において、つい旧友の誘いに乗って山へ行ってしまう主人公。しばらくぶりに故郷の街へ帰ってきた友の誘いを断れるわけがない。温泉があるというから行ってみようぜ、場所は良く判らないけど。ライカート映画は全部「道に迷う主人公」を描いている。ただ男二人の他愛のない会話が続くが、車のラジオが時代を映す。最初のフロリダから遠く離れて、この頃は太平洋岸のオレゴン州で撮っている。山の温泉ってどんなのかと思うと、車を降りて相当歩いていくと結構立派な木造の施設があるから驚き。そこに掛け流されている湯に浸る快楽。犬を連れて行くのも面白い。そして帰って行く。それだけだけど面白い。
(ケリー・ライカート監督)
この映画を見てアカデミー賞に4回ノミネートされている女優ミシェル・ウィリアムズがアプローチして作られたのが、2008年の「ウェンディ&ルーシー」(Wendy and Lucy)。ルーシーは「オールド・ジョイ」にも出ていた犬である。はるばるインディアナ州から犬連れでアラスカを目指すウェンディ。未来のない故郷を捨てアラスカで仕事を探そうと思ったんだけど。オレゴン州の小さな町で車が故障してしまい、なかなか修理できない。スーパーで買い物をしていると万引きを疑われ、警察に連れて行かれて戻ってくるとルーシーがいないではないか。車と犬を一度に失ったウェンディの苦闘をカメラはじっと見つめる。
(ウェンディ&ルーシー)
最後に2010年の「ミークス・カットオフ」(Meek's Cutoff)で、これもオレゴン州ながら1845年という設定である。「広大な砂漠を西部へと向かう白人の三家族は、近道を知っているという案内人・ミークを雇うが、長い1日が何度繰り返されど、目的地に近づく様子はない。道に迷った彼らを襲うのは飢えと互いへの不信感だった……。」という映画で、これも西部劇の世界を借りて「道に迷う」人々を描いている。どこに連れ回されるているのか疑心暗鬼になるというのは、アンドレ・カイヤット監督の「眼には眼を」を思わせる。チラシにあるように、「アメリカのアイデンティティの根源たる西部開拓神話が、ライカートのオルタナティブな視点とスタイルによって見事に解体された歴史的一作」という言葉に尽きる。
(「ミークス・カットオフ」)
長編映画ではこの他に1999年に「Ode」という映画がある。また「ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画」(2013)、「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016)の2本はスター俳優も出演した映画だが、日本では劇場未公開のままDVDで発売された。そして最新作の「First Cow」(2020)が初めて正式に公開されるらしい。未公開なんだから知るわけがないが、アメリカにもこういうインディーズの女性監督がいたのかという「発見」がある。アートの潮流としては「ミニマリズム」に近い感じがする。壮大なドラマ世界ではなく、日常のシチュエーションをただ「写生」するだけのような世界だけど、そこに世界が顕現する「啓示」のような瞬間がある。アメリカの非ハリウッド映画が上映されることは珍しいので紹介した。
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