フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard、1930~2022)の訃報が届いた。91歳。パリで生まれたが、両親ともにスイスに縁があり、晩年はジュネーヴに住んでいた。スイスは「安楽死」(医師処方の薬物による自殺)が合法化されていて、生活に支障を来す複数の病気を抱えていたゴダールは、その制度を利用したという。これには非常に驚いた。
(ゴダール監督、若い頃と壮年期)
ゴダールは50年代末にフランスで起こった「映画の革命」、「ヌーヴェル・ヴァーグ」(新しい波)を代表する映画監督だから、日本でも大きく報道されている。その頃に同じく「新しい波」に乗っていた監督もどんどん亡くなっている。早く84年に亡くなったトリュフォーは別としても、2014年にアラン・レネ、16年にジャック・リヴェット、2019年にアニエス・ヴァルダが亡くなり、次はゴダールの順番だというのは判っていた。最後の映画は2018年の『イメージの本』で、晩年まで映画を作り続けていた。もはや映画祭やベストテンなどと関わらないシネマ・エッセイ的な境地の作品だと思った。
70年代初期に映画に関心を持ち始めた僕にとっては、ゴダールという名前は神話的な重みを持っている。しかし、その時代を知らない若い世代には、ゴダールと言っても特に感慨はないようである。60年代の映画を今見直しても、なんでそんなに受けたのかよく判らない人が多いのではないか。ゴダールは結局、世界的な激動の時代、若者が革命を熱く語り合った時代の映画だった。日本で言えば大島渚がある程度近いかもしれない。「映画芸術」としてではなく、もちろん娯楽的関心でもないのである。
僕が映画を見始めた頃には、ゴダールの新作は見られなかった。「商業映画」は作っていなかったからである。そこで60年代の旧作を見ることになる。僕が最初に見たのは、1970年にATGで『アルファヴィル』(1965)がやっと公開された時で、その時に『気狂いピエロ』(1965)が同時上映された。僕はSF『アルファヴィル』より『気狂いピエロ』が圧倒的に面白かった。ほとんどノックアウトされたと言ってもいい。そのことは『ゴダールの「気狂いピエロ」について』(2019.12.22)で書いた。
ゴダールは『勝手にしやがれ』(1960)で語られることが多い。「息せき切って」ぐらいの意味だという原題に、よくも素晴らしい邦題を付けたものだ。(それはトリュフォーの「400回の殴打」を『大人は判ってくれない』と付けたセンスにも言える。英語をそのままカタカナにした題名しかない今とは全く違うのである。)この映画は「映画の革命」と言われる。90分の映画だが、もともとはもっと長く、カットを求められた。その時ゴダールは、観客に判りやすいように編集するという常識に抗して、それぞれのシーンから少しずつカットしたのである。その結果、つながりはブツブツと途切れるけれど、見事なリズム感が生まれた。何度か見ているが、最初に見た時より何回か見た後の方がずっと面白い。不思議な映画である。
60年代初期の映画としては、映像社会学的な『女と男のいる舗道』(1962)やモラヴィアの原作、ブリジット・バルドー主演の『軽蔑』(1963)も面白いと思うけど、日本での公開がなぜか遅れた『はなればなれに』(1964)が一番面白いのではないだろうか。ゴダール本人は「不思議の国のアリス・ミーツ・フランツ・カフカ」と言ってるらしい。日本公開が2001年だったのは驚きだ。アンナ・カリーナと2人の男がルーブル美術館を走り抜けるシーンは映画史上最高レベルの素晴らしさ。
(『はなればなれに』)(『軽蔑』)
60年後半になると、政治的な方向性が強くなる。中では週末の大渋滞に巻き込まれた夫婦の地獄めぐりの一週間を描く『ウイークエンド』(1967)が衝撃的だったが、最近見てないので今見るとどうだろうか。この映画は日本では69年のベストテンで4位に入っている。これはゴダール史上の最高だった。ちょっと書いておくと、『勝手にしやがれ』(60年8位)、『女と男のいる舗道』(63年5位)、『軽蔑』(64年7位)、『気狂いピエロ』(67年5位)、『男性・女性』(68年7位)、そして『ウイークエンド』である。いかに60年代の映画作家だったかが判る。ゴダール映画に投票しない批評家もいっぱいいたから、ベストテン下位が多い。
(『ウイークエンド』)
そして68年5月がやって来る。「五月革命」でフランス中が騒然とする中で、ゴダールやトリュフォーらはカンヌ映画祭で労働者・学生に連帯を表明して映画祭粉砕を宣言する。この年のカンヌ映画祭は中止された。その後、ゴダールは「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成して、ハリウッド的映画に訣別する。商業映画に回帰したトリュフォーとはこの時に絶縁した。従ってこの時期のゴダール映画は商業的な映画ではないけれど、日本ではほとんどが公開されている。『東風』(1970)、『イタリアにおける闘争』(1970)などである。「映画の革命」を越えて、ゴダールは「革命の映画」に踏み込んだのである。
『東風』という題名も今では解説がいるだろう。当時文化大革命中の中国はソ連を修正主義と非難して、革命の風は東から吹くと世界に呼びかけていた。この題名から想像出来るように、当時ジャン=ポール・サルトルがそうだったように、ゴダールもマオイスト(毛沢東主義者)に近づいていた。これは農民による革命という意味ではなく、労働者の直接行動による革命という程度の意味だと思う。そこで革命に向けたマニフェストのような「映画」を作ったのである。ご丁寧にもゴダールにも革命にも無関心ではいられない僕はちゃんと見に行った。その結果、こんなつまらない映画はないと思った。映像あっての映画だが、これらのゴダール作品は「言語」による革命の呼びかけに覆われていた。それなら本を読む方がもっと判るというもんだ。
そしてゴダールも商業映画に復帰した。でも今度は全部は見なかった。確かシネヴィヴァン六本木の開幕映画だった『パッション』(1982)なんか、ちゃんと見に行ったもんだけど、全く訳が判らないというか、つまらないのにビックリした。いや、通常の映画に囚われている自分の方が間違っているのか。でも、その後何本か見たゴダールの新作も同じような感じだった。結局、アンナ・カリーナを愛していた時代がもっとも輝いていたのである。2019年にアンナ・カリーナが亡くなった時には『女優アンナ・カリーナを思い出して』を書いた。ゴダールの女性との関係は四方田犬彦『ゴダールと女たち』(講談社現代新書)が詳しい。この本のことは『ゴダールー映画と革命と愛と』で紹介している。
(ゴダール監督、若い頃と壮年期)
ゴダールは50年代末にフランスで起こった「映画の革命」、「ヌーヴェル・ヴァーグ」(新しい波)を代表する映画監督だから、日本でも大きく報道されている。その頃に同じく「新しい波」に乗っていた監督もどんどん亡くなっている。早く84年に亡くなったトリュフォーは別としても、2014年にアラン・レネ、16年にジャック・リヴェット、2019年にアニエス・ヴァルダが亡くなり、次はゴダールの順番だというのは判っていた。最後の映画は2018年の『イメージの本』で、晩年まで映画を作り続けていた。もはや映画祭やベストテンなどと関わらないシネマ・エッセイ的な境地の作品だと思った。
70年代初期に映画に関心を持ち始めた僕にとっては、ゴダールという名前は神話的な重みを持っている。しかし、その時代を知らない若い世代には、ゴダールと言っても特に感慨はないようである。60年代の映画を今見直しても、なんでそんなに受けたのかよく判らない人が多いのではないか。ゴダールは結局、世界的な激動の時代、若者が革命を熱く語り合った時代の映画だった。日本で言えば大島渚がある程度近いかもしれない。「映画芸術」としてではなく、もちろん娯楽的関心でもないのである。
僕が映画を見始めた頃には、ゴダールの新作は見られなかった。「商業映画」は作っていなかったからである。そこで60年代の旧作を見ることになる。僕が最初に見たのは、1970年にATGで『アルファヴィル』(1965)がやっと公開された時で、その時に『気狂いピエロ』(1965)が同時上映された。僕はSF『アルファヴィル』より『気狂いピエロ』が圧倒的に面白かった。ほとんどノックアウトされたと言ってもいい。そのことは『ゴダールの「気狂いピエロ」について』(2019.12.22)で書いた。
ゴダールは『勝手にしやがれ』(1960)で語られることが多い。「息せき切って」ぐらいの意味だという原題に、よくも素晴らしい邦題を付けたものだ。(それはトリュフォーの「400回の殴打」を『大人は判ってくれない』と付けたセンスにも言える。英語をそのままカタカナにした題名しかない今とは全く違うのである。)この映画は「映画の革命」と言われる。90分の映画だが、もともとはもっと長く、カットを求められた。その時ゴダールは、観客に判りやすいように編集するという常識に抗して、それぞれのシーンから少しずつカットしたのである。その結果、つながりはブツブツと途切れるけれど、見事なリズム感が生まれた。何度か見ているが、最初に見た時より何回か見た後の方がずっと面白い。不思議な映画である。
60年代初期の映画としては、映像社会学的な『女と男のいる舗道』(1962)やモラヴィアの原作、ブリジット・バルドー主演の『軽蔑』(1963)も面白いと思うけど、日本での公開がなぜか遅れた『はなればなれに』(1964)が一番面白いのではないだろうか。ゴダール本人は「不思議の国のアリス・ミーツ・フランツ・カフカ」と言ってるらしい。日本公開が2001年だったのは驚きだ。アンナ・カリーナと2人の男がルーブル美術館を走り抜けるシーンは映画史上最高レベルの素晴らしさ。
(『はなればなれに』)(『軽蔑』)
60年後半になると、政治的な方向性が強くなる。中では週末の大渋滞に巻き込まれた夫婦の地獄めぐりの一週間を描く『ウイークエンド』(1967)が衝撃的だったが、最近見てないので今見るとどうだろうか。この映画は日本では69年のベストテンで4位に入っている。これはゴダール史上の最高だった。ちょっと書いておくと、『勝手にしやがれ』(60年8位)、『女と男のいる舗道』(63年5位)、『軽蔑』(64年7位)、『気狂いピエロ』(67年5位)、『男性・女性』(68年7位)、そして『ウイークエンド』である。いかに60年代の映画作家だったかが判る。ゴダール映画に投票しない批評家もいっぱいいたから、ベストテン下位が多い。
(『ウイークエンド』)
そして68年5月がやって来る。「五月革命」でフランス中が騒然とする中で、ゴダールやトリュフォーらはカンヌ映画祭で労働者・学生に連帯を表明して映画祭粉砕を宣言する。この年のカンヌ映画祭は中止された。その後、ゴダールは「ジガ・ヴェルトフ集団」を結成して、ハリウッド的映画に訣別する。商業映画に回帰したトリュフォーとはこの時に絶縁した。従ってこの時期のゴダール映画は商業的な映画ではないけれど、日本ではほとんどが公開されている。『東風』(1970)、『イタリアにおける闘争』(1970)などである。「映画の革命」を越えて、ゴダールは「革命の映画」に踏み込んだのである。
『東風』という題名も今では解説がいるだろう。当時文化大革命中の中国はソ連を修正主義と非難して、革命の風は東から吹くと世界に呼びかけていた。この題名から想像出来るように、当時ジャン=ポール・サルトルがそうだったように、ゴダールもマオイスト(毛沢東主義者)に近づいていた。これは農民による革命という意味ではなく、労働者の直接行動による革命という程度の意味だと思う。そこで革命に向けたマニフェストのような「映画」を作ったのである。ご丁寧にもゴダールにも革命にも無関心ではいられない僕はちゃんと見に行った。その結果、こんなつまらない映画はないと思った。映像あっての映画だが、これらのゴダール作品は「言語」による革命の呼びかけに覆われていた。それなら本を読む方がもっと判るというもんだ。
そしてゴダールも商業映画に復帰した。でも今度は全部は見なかった。確かシネヴィヴァン六本木の開幕映画だった『パッション』(1982)なんか、ちゃんと見に行ったもんだけど、全く訳が判らないというか、つまらないのにビックリした。いや、通常の映画に囚われている自分の方が間違っているのか。でも、その後何本か見たゴダールの新作も同じような感じだった。結局、アンナ・カリーナを愛していた時代がもっとも輝いていたのである。2019年にアンナ・カリーナが亡くなった時には『女優アンナ・カリーナを思い出して』を書いた。ゴダールの女性との関係は四方田犬彦『ゴダールと女たち』(講談社現代新書)が詳しい。この本のことは『ゴダールー映画と革命と愛と』で紹介している。
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