渋谷のシアター・イメージフォーラムで、ルイス・ブニュエル監督の作品を特集上映している。数年前に四方田犬彦の大著「ルイス・ブニュエル」が出て(未読)、そういえばブニュエルの映画をしばらく見てないなあと思ったものだ。ベルイマンやブレッソンの映画だっていくつか見られることを思えば、ブニュエルが見られないのは映画史的な抜け落ちというべきだ。
(ルイス・ブニュエル監督)
今回は1962年の「皆殺しの天使」(カンヌ映画祭国際映画批評家連盟賞)を中心に、1961年の「ビリディアナ」(カンヌ映画祭パルムドール)、1965年の「砂漠のシモン」(ヴェネツィア映画祭審査員特別賞)と60年代前半の傑作群を上映している。(「砂漠のシモン」は48分の中編なので、ダリと共同監督した伝説の短編「アンダルシアの犬」を併映している。)「ビリディアナ」は珍しく64年に日本公開されているが、「皆殺しの天使」は1981年になって公開された。「砂漠のシモン」はDVDは出てたが、初めての劇場公開だと思う。「砂漠のシモン」は初めてだが、他は前に見ている。
(皆殺しの天使)
連続で見るのは疲れそうだが、一番効率的だから頑張ることにした。「皆殺しの天使」はオペラにもなったということだけど、究極の不条理劇である。メキシコで製作されている。あるお屋敷でパーティが開かれるが、夜も更ければ皆帰るはずが何故か誰も帰らない。帰らないで朝まで飲んだりしているのは勝手だが、朝になっても帰らない。気が付いてみれば、帰れなくなっている。何か物理的に閉じ込められたわけでもないのに、誰も部屋を出て行けない。そんなバカなという映画である。
そんな環境に置かれると、果たして人間はどうなってしまうのか。これは何かの寓意か。皆が自分たちで思い込んだ迷路に迷い込んでいて、脱出できない。「核兵器」とか「原子力発電所」などは、みんなで一緒にエイヤっと止めてしまえば良さそうなもんだけど、抜け出せない部屋に入り込んだような状態と言えるかも。それにしても、ここでブニュエルが描く「人間性への悪意」はどうだろう。こんな設定の映画を作ったこと自体が、いかにブニュエルがトンデモ爺さんだったかを示している。
ルイス・ブニュエル(1900~1983)は、スペインに生まれて「アンダルシアの犬」「黄金時代」「糧なき土地」など常に物議を呼ぶ映画を作って、独裁下のスペインでは映画を撮れなくなる。のちにメキシコ国籍を取り、多くの映画を監督した。1950年製作で、日本でも高く評価された「忘れられた人々」以外は低予算の不思議映画が多い。初期作品から、ブニュエルはシュールレアリスムと言われるが、リアリズム映画もあれば、B級テイストの娯楽作も多い。80年代にメキシコ時代の映画がたくさん上映されたが「幻影は市電に乗って旅をする」や「昇天峠」などメチャクチャ面白かった。
「ビリディアナ」はそんなブニュエルがスペインに帰って作ってカンヌで大賞を取った。これは反フランコ側からは非難されたが、結局この映画は反カトリックと言われて教会の圧力でスペインでは上映禁止になった。もうすぐ修道女になるビリディアナは、院長に言われて疎遠な叔父に最後に会いに行く。そこで思いがけぬ叔父の行動、運命の変転に見舞われ、彼女の人生は変わってしまうのだが…。その内容は書かないことにするが、この背徳、この悪意は今も色あせない。
(ビリディアナ)
もっとも現在のスペインには、ペドロ・アルモドバルという超ド級の冒涜監督がいるから、冒涜度は多少失せた気がする。でも、完成度の高さは並ではない。聖女が堕ちていく様を見つめるブニュエルの目は冷徹である。その後、彼はフランスでジャンヌ・モロー主演の「小間使いの日記」、カトリーヌ・ドヌーヴの「昼顔」「哀しみのトリスターナ」など冒涜映画の名作を作っていく。カトリーヌ・ドヌーヴのような美女を相手に、よくもここまで悪意ある映画を作れたものだ。でも、それが面白い。
「砂漠のシモン」は製作が中途で中断したともいうが、聖人とあがめられ荒野で修行を続けるシモンに悪魔が試練を仕掛ける。このように、ブニュエルにはキリスト教(の教会組織)に対する反感や批判がよく描かれる。それもスペインの特徴かもしれないが、僕にはこの映画はあまり判らなかった。70年代に作って評価も高い「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」や「自由の幻想」などが素晴らしかった。映画は何でも描けるということを知った気がする。今回見直してみると、映画手法そのものは案外普通で、細かいカット割りなど昔風のきちんとした映画に見えてくる。テーマは飛んでいたけど、方法は案外異端と言えないのかもしれない。僕は昔から「ビリディアナ」が最大傑作レベルだと思っている。
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今回は1962年の「皆殺しの天使」(カンヌ映画祭国際映画批評家連盟賞)を中心に、1961年の「ビリディアナ」(カンヌ映画祭パルムドール)、1965年の「砂漠のシモン」(ヴェネツィア映画祭審査員特別賞)と60年代前半の傑作群を上映している。(「砂漠のシモン」は48分の中編なので、ダリと共同監督した伝説の短編「アンダルシアの犬」を併映している。)「ビリディアナ」は珍しく64年に日本公開されているが、「皆殺しの天使」は1981年になって公開された。「砂漠のシモン」はDVDは出てたが、初めての劇場公開だと思う。「砂漠のシモン」は初めてだが、他は前に見ている。
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連続で見るのは疲れそうだが、一番効率的だから頑張ることにした。「皆殺しの天使」はオペラにもなったということだけど、究極の不条理劇である。メキシコで製作されている。あるお屋敷でパーティが開かれるが、夜も更ければ皆帰るはずが何故か誰も帰らない。帰らないで朝まで飲んだりしているのは勝手だが、朝になっても帰らない。気が付いてみれば、帰れなくなっている。何か物理的に閉じ込められたわけでもないのに、誰も部屋を出て行けない。そんなバカなという映画である。
そんな環境に置かれると、果たして人間はどうなってしまうのか。これは何かの寓意か。皆が自分たちで思い込んだ迷路に迷い込んでいて、脱出できない。「核兵器」とか「原子力発電所」などは、みんなで一緒にエイヤっと止めてしまえば良さそうなもんだけど、抜け出せない部屋に入り込んだような状態と言えるかも。それにしても、ここでブニュエルが描く「人間性への悪意」はどうだろう。こんな設定の映画を作ったこと自体が、いかにブニュエルがトンデモ爺さんだったかを示している。
ルイス・ブニュエル(1900~1983)は、スペインに生まれて「アンダルシアの犬」「黄金時代」「糧なき土地」など常に物議を呼ぶ映画を作って、独裁下のスペインでは映画を撮れなくなる。のちにメキシコ国籍を取り、多くの映画を監督した。1950年製作で、日本でも高く評価された「忘れられた人々」以外は低予算の不思議映画が多い。初期作品から、ブニュエルはシュールレアリスムと言われるが、リアリズム映画もあれば、B級テイストの娯楽作も多い。80年代にメキシコ時代の映画がたくさん上映されたが「幻影は市電に乗って旅をする」や「昇天峠」などメチャクチャ面白かった。
「ビリディアナ」はそんなブニュエルがスペインに帰って作ってカンヌで大賞を取った。これは反フランコ側からは非難されたが、結局この映画は反カトリックと言われて教会の圧力でスペインでは上映禁止になった。もうすぐ修道女になるビリディアナは、院長に言われて疎遠な叔父に最後に会いに行く。そこで思いがけぬ叔父の行動、運命の変転に見舞われ、彼女の人生は変わってしまうのだが…。その内容は書かないことにするが、この背徳、この悪意は今も色あせない。
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もっとも現在のスペインには、ペドロ・アルモドバルという超ド級の冒涜監督がいるから、冒涜度は多少失せた気がする。でも、完成度の高さは並ではない。聖女が堕ちていく様を見つめるブニュエルの目は冷徹である。その後、彼はフランスでジャンヌ・モロー主演の「小間使いの日記」、カトリーヌ・ドヌーヴの「昼顔」「哀しみのトリスターナ」など冒涜映画の名作を作っていく。カトリーヌ・ドヌーヴのような美女を相手に、よくもここまで悪意ある映画を作れたものだ。でも、それが面白い。
「砂漠のシモン」は製作が中途で中断したともいうが、聖人とあがめられ荒野で修行を続けるシモンに悪魔が試練を仕掛ける。このように、ブニュエルにはキリスト教(の教会組織)に対する反感や批判がよく描かれる。それもスペインの特徴かもしれないが、僕にはこの映画はあまり判らなかった。70年代に作って評価も高い「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」や「自由の幻想」などが素晴らしかった。映画は何でも描けるということを知った気がする。今回見直してみると、映画手法そのものは案外普通で、細かいカット割りなど昔風のきちんとした映画に見えてくる。テーマは飛んでいたけど、方法は案外異端と言えないのかもしれない。僕は昔から「ビリディアナ」が最大傑作レベルだと思っている。
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