神田松之丞の真打昇進、六代目神田伯山襲名披露興行を浅草演芸ホールで見た。披露興行は2月11日に新宿末廣亭から始まり、その後浅草演芸ホール、池袋演芸場、国立演芸場と続いてゆく。松之丞は若手ながら講談界起死回生のホープで、当代きってのチケットが取れない芸人だ。テレビやラジオでも活躍し、末廣亭初日の大入り満員の様子は一般ニュースでも報道された。僕は遠い新宿は諦め、自宅から近い浅草で見ようと思って初日に早起きして駆けつけたわけである。
ホームページを見ると、10時から夜の部のチケットを販売し整理券を配布するって出ている。何時に行けば間に合うんだろうか。何とか9時過ぎに着くと、何百人も並んでいるわけじゃなかった。何と整理券53番をゲットできたのだった。この行列は何ですかと聞いてくる人がいて、珍しく前後の人としゃべったり。前の人は広島から来たと言っていた。そして、夜になって入場してみると、なんと満員じゃなかった。「早くも落ち目か」なんて本人も自虐ネタにしていた。
何でだろうかと考えてみると、まずはやっぱり「新型コロナウイルス」だろう。政府が不要不急の外出は控えてとか言ってる。高いカネ出した歌舞伎やミュージカルのチケットは放棄しないだろうが、当日券のみの寄席なんか確かに「不要不急」だもんな。それと浅草で16時50分から入場開始では働いている人には行きにくい。6時過ぎに行っても、どうせ満員、よくても立ち見かと思って、わざわざ来ない。いつもなら遅く来る客がいるもんだが、そういう人がいなかった。
また、落語芸術協会会長の春風亭昇太が出なかった。仲入り前直前は、昇太、小遊三、米助の交替とあるが、この日は予定の小遊三もいなくて師匠の三遊亭遊三だった。芸協じゃない三遊亭円楽が口上に加わっているものの、芸協代表が副会長の春風亭柳橋じゃ、ちょっと寂しい。それも満員じゃなかった理由かもしれない。ところで口上では、司会の桂米福がうっかり円楽を飛ばしてしまう失敗があった。その後の様子をみると、わざと仕組んだ受けねらいじゃないらしい。テレビ撮影があったけど、そこはカットしないようにと伯山が言ってた。
10時過ぎに整理券を貰って、再集合は16時45分。どう過ごすべきか。映画館に行っても寝たらもったいない。ということで、この機会に横浜の県立神奈川近代文学館で獅子文六展を見ようと思っていた。3月8日までだから、そろそろ行かないと。横浜まで寝て行けるし。つくばエクスプレスで秋葉原まで行って、京浜東北線で石川町へ。軽く洋館散歩をしながら文学館へ行って、帰りは元町・中華街駅から帰る。中目黒から日比谷線に乗り換えて北千住までひたすら眠って鋭気を養った。
さて、ようやく浅草に戻って、興行が始まる。全員に触れていても仕方ないけど、「色物」(漫談、漫才、曲芸等)を含めて次第にムードが高まってゆく。若い頃はムダみたいに思っていた時間だが、いろんなものが複合的に面白い。全部書いてると長くなるが、春風亭柳橋、雷門小助六、桂米福などいずれも好きなタイプだから楽しんで聴く。「成金」ユニットの二つ目桂伸三(しんざ)の超絶的「寿限無」もおかしい。同じく長すぎ名前のスペイン人と結婚するくだりまで作ってしまった。
ねづっちは客からの謎かけお題が受けた。「伯山先生」とリクエストがあって、「甲子園で勝つたびに強くなる野球部」と解いた。その心は「勝利(松鯉)のもとで大きくなりました」(拍手!)。三遊亭円楽はさっきの口上でちゃんとしたネタをやる気が飛んだと言って、先人の声帯模写、形態模写をスペシャルでやった。これはすごく珍しいものを見たと思う。昔いっぱい講談を聴いたと言って、講談師の物真似。これが上手で、自分でもよく出てくるなと言って、じゃあ落語家もということで。
大師匠にあたる六代目三遊亭円生の真似。出てくるところからやって大受け。ついで林家彦六(8代目林家正蔵)も受けて、続いて立川談志。これがもう最高で、機嫌の悪いときと良いときを似せ分ける。ちょっと斜めに下を向いて「松之丞、力みがあるな」とつぶやくところなど実にありそうで笑わせる。ついで死んだ順と言って桂歌丸。最後に生きてる小遊三までやった。これは単に真似てるだけじゃなくて、批評性も感じられて、やはりよく見てるんだなと思わせた。伯山もネタ半ばですごかったと言ってた。
師匠の神田松鯉が水戸黄門を軽く語って、曲芸のボンボンブラザースを経て、いよいよ大トリ6代目神田伯山である。45分の長講で「中村仲蔵」。これは末廣初日と同じだが、当初40日すべて違う演目というのも考えたという。口上司会の米福はそれをやったらしいが、いろいろな人に相談してそれは止めたという。それはその方がいいと僕も思う。新真打が自ら納得できるネタはそんなたくさんはないだろう。「中村仲蔵」は落語にもあるが、僕は聴いたことがない。中村仲蔵は18世紀の歌舞伎役者で、実在人物。歌舞伎界の外から大役者になった人物である。
周りから疎まれながら、仮名手本忠臣蔵の五段目の工夫が今に伝わるという。その悔しさ、頑張りが報われるか。当初は大昔の芸界の話でよく判らない面もあったが、次第に熱演に引き込まれていった。ラスト近く、もうすっかり心が奪われていた。幕が下りても拍手が鳴り止まない。ついに再び幕が上がり、伯山が再び出てきて、自分でも今日はよく出来たと述べた。観客の中には立ちあがって拍手をしている人もいる。寄席でもスタンディングオベーションがあるのか。僕も珍しく立ちあがってみたが、二度とないことかもしれない。落語じゃどうかと思うが、講談はそれもよしか。
(伯山と松鯉の色紙)
神田伯山は3代目が大名跡だったらしい。4代目は不在で、5代目は1976年に亡くなった。当代円楽も6代目だが、三遊亭円生も6代目。歌舞伎界では「六代目」は尾上菊五郎にとどめを刺す。だから6代目は大きな名前だと円楽は笑わせた。今は「熱演」タイプだが、この「熱演」は「感染」するなと思った。観客にもパワーが伝わり、頑張る力が増える気がする。いずれ大名人と言われるだろう、伝説の襲名披露である。行ける人は是非行っておくべし。国立演芸場はパソコンで取れるから、あっという間に売り切れ。何日もあるのは浅草と池袋だけ。
ホームページを見ると、10時から夜の部のチケットを販売し整理券を配布するって出ている。何時に行けば間に合うんだろうか。何とか9時過ぎに着くと、何百人も並んでいるわけじゃなかった。何と整理券53番をゲットできたのだった。この行列は何ですかと聞いてくる人がいて、珍しく前後の人としゃべったり。前の人は広島から来たと言っていた。そして、夜になって入場してみると、なんと満員じゃなかった。「早くも落ち目か」なんて本人も自虐ネタにしていた。
何でだろうかと考えてみると、まずはやっぱり「新型コロナウイルス」だろう。政府が不要不急の外出は控えてとか言ってる。高いカネ出した歌舞伎やミュージカルのチケットは放棄しないだろうが、当日券のみの寄席なんか確かに「不要不急」だもんな。それと浅草で16時50分から入場開始では働いている人には行きにくい。6時過ぎに行っても、どうせ満員、よくても立ち見かと思って、わざわざ来ない。いつもなら遅く来る客がいるもんだが、そういう人がいなかった。
また、落語芸術協会会長の春風亭昇太が出なかった。仲入り前直前は、昇太、小遊三、米助の交替とあるが、この日は予定の小遊三もいなくて師匠の三遊亭遊三だった。芸協じゃない三遊亭円楽が口上に加わっているものの、芸協代表が副会長の春風亭柳橋じゃ、ちょっと寂しい。それも満員じゃなかった理由かもしれない。ところで口上では、司会の桂米福がうっかり円楽を飛ばしてしまう失敗があった。その後の様子をみると、わざと仕組んだ受けねらいじゃないらしい。テレビ撮影があったけど、そこはカットしないようにと伯山が言ってた。
10時過ぎに整理券を貰って、再集合は16時45分。どう過ごすべきか。映画館に行っても寝たらもったいない。ということで、この機会に横浜の県立神奈川近代文学館で獅子文六展を見ようと思っていた。3月8日までだから、そろそろ行かないと。横浜まで寝て行けるし。つくばエクスプレスで秋葉原まで行って、京浜東北線で石川町へ。軽く洋館散歩をしながら文学館へ行って、帰りは元町・中華街駅から帰る。中目黒から日比谷線に乗り換えて北千住までひたすら眠って鋭気を養った。
さて、ようやく浅草に戻って、興行が始まる。全員に触れていても仕方ないけど、「色物」(漫談、漫才、曲芸等)を含めて次第にムードが高まってゆく。若い頃はムダみたいに思っていた時間だが、いろんなものが複合的に面白い。全部書いてると長くなるが、春風亭柳橋、雷門小助六、桂米福などいずれも好きなタイプだから楽しんで聴く。「成金」ユニットの二つ目桂伸三(しんざ)の超絶的「寿限無」もおかしい。同じく長すぎ名前のスペイン人と結婚するくだりまで作ってしまった。
ねづっちは客からの謎かけお題が受けた。「伯山先生」とリクエストがあって、「甲子園で勝つたびに強くなる野球部」と解いた。その心は「勝利(松鯉)のもとで大きくなりました」(拍手!)。三遊亭円楽はさっきの口上でちゃんとしたネタをやる気が飛んだと言って、先人の声帯模写、形態模写をスペシャルでやった。これはすごく珍しいものを見たと思う。昔いっぱい講談を聴いたと言って、講談師の物真似。これが上手で、自分でもよく出てくるなと言って、じゃあ落語家もということで。
大師匠にあたる六代目三遊亭円生の真似。出てくるところからやって大受け。ついで林家彦六(8代目林家正蔵)も受けて、続いて立川談志。これがもう最高で、機嫌の悪いときと良いときを似せ分ける。ちょっと斜めに下を向いて「松之丞、力みがあるな」とつぶやくところなど実にありそうで笑わせる。ついで死んだ順と言って桂歌丸。最後に生きてる小遊三までやった。これは単に真似てるだけじゃなくて、批評性も感じられて、やはりよく見てるんだなと思わせた。伯山もネタ半ばですごかったと言ってた。
師匠の神田松鯉が水戸黄門を軽く語って、曲芸のボンボンブラザースを経て、いよいよ大トリ6代目神田伯山である。45分の長講で「中村仲蔵」。これは末廣初日と同じだが、当初40日すべて違う演目というのも考えたという。口上司会の米福はそれをやったらしいが、いろいろな人に相談してそれは止めたという。それはその方がいいと僕も思う。新真打が自ら納得できるネタはそんなたくさんはないだろう。「中村仲蔵」は落語にもあるが、僕は聴いたことがない。中村仲蔵は18世紀の歌舞伎役者で、実在人物。歌舞伎界の外から大役者になった人物である。
周りから疎まれながら、仮名手本忠臣蔵の五段目の工夫が今に伝わるという。その悔しさ、頑張りが報われるか。当初は大昔の芸界の話でよく判らない面もあったが、次第に熱演に引き込まれていった。ラスト近く、もうすっかり心が奪われていた。幕が下りても拍手が鳴り止まない。ついに再び幕が上がり、伯山が再び出てきて、自分でも今日はよく出来たと述べた。観客の中には立ちあがって拍手をしている人もいる。寄席でもスタンディングオベーションがあるのか。僕も珍しく立ちあがってみたが、二度とないことかもしれない。落語じゃどうかと思うが、講談はそれもよしか。
(伯山と松鯉の色紙)
神田伯山は3代目が大名跡だったらしい。4代目は不在で、5代目は1976年に亡くなった。当代円楽も6代目だが、三遊亭円生も6代目。歌舞伎界では「六代目」は尾上菊五郎にとどめを刺す。だから6代目は大きな名前だと円楽は笑わせた。今は「熱演」タイプだが、この「熱演」は「感染」するなと思った。観客にもパワーが伝わり、頑張る力が増える気がする。いずれ大名人と言われるだろう、伝説の襲名披露である。行ける人は是非行っておくべし。国立演芸場はパソコンで取れるから、あっという間に売り切れ。何日もあるのは浅草と池袋だけ。
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