尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「やっさもっさ」と敗戦三部作-獅子文六を読む④

2020年02月23日 22時35分41秒 | 本 (日本文学)
 戦前に「悦ちゃん」などの新聞小説で人気作家となった獅子文六は、文学座の共同創立者である岸田国士が大政翼賛会文化部長になったとき(1940年)には批判的だった。しかし「大東亜戦争」が始まると、戦争協力に踏み切らざるを得ない。1942年7月から12月にかけて、本名の岩田豊雄名義で朝日新聞に「海軍」を連載した。真珠湾を特殊潜航艇で攻撃し「九軍神」と称えられた海軍軍人を描いたもので大評判になった。朝日文化賞を受け、田坂具隆監督によって映画化された。

 敗戦後はそのことが「戦争犯罪」に問われるのではないかと心配した。結果的には岸田は公職追放になったが、獅子文六は一時「仮追放」に指定されたものの追放は免れた。そのような心配に加えて食糧難もあり、1945年12月から1947年10月まで、二度目の妻の故郷である愛媛県岩松町(現宇和島市)に一家で疎開した。その時の体験が後に「てんやわんや」(毎日新聞1948年11月から1949年4月に連載)に結実した。東京に帰還後は一時お茶の水に住み、東京で見聞した風俗を巧みに取り入れた「自由学校」(朝日新聞1950年5月から12月)にまとめられた。

 この二つの小説は「悦ちゃん」や「海軍」をしのぐほどの大評判となった。後に「週刊朝日」に連載されて映画になって大ヒットした「大番」と並び、生前にもっとも有名な小説だったと言える。これに続く「やっさもっさ」(毎日新聞1952年4月から8月)をまとめて、獅子文六は自ら「敗戦小説」と呼んだ。次の新聞小説「青春怪談」を読売新聞に連載する時に、三つの新聞小説には「戦争に負けたカナシミ」を書いたと述べた。だから戦後社会史的にはすごく興味深い三部作なんだけど、今読むと小説としては思ったほど面白くない。社会のあり方が全く違ってしまい共感を感じにくい。

 「バナナ」や「箱根山」は映画を見てても面白い小説だと思ったけど、やはり映画を見ている「自由学校」は読んだらそれほど面白くなかった。「てんやわんや」「やっさもっさ」も映画化されているが、僕は見ていない。しかし、この三部作はその後に影響を与えている。「てんやわんや」は当時題名が判らないと言われたらしいが、この「大混乱」を意味する言葉は生き残った。「自由学校」は2社で映画化され、1951年5月に公開された。ヒットして、それが「ゴールデンウィーク」と呼ばれるきっかけとなった。「やっさもっさ」は横浜が舞台で、横浜駅でシウマイを売る「シウマイ娘」が小説に出てきて評判になった。それが崎陽軒が有名になるきっかけとなった。
(当時のシウマイ娘)
 ここではあまり知られていないと思う「やっさもっさ」を主に取り上げたい。2019年12月にちくま文庫に収録されたばかりである。それまでは読んでた人もほとんどいないだろう。この小説は冒頭を除き、ほぼ「横浜小説」と読んでいい。横浜で占領軍の軍人と日本人との間に生まれた「混血児」を収容する施設を作った女性が主人公である。冒頭はその施設のためのバザーを品川区御殿山の「摂津宮邸」で行う場面だが、これは白金の朝香宮邸(現東京庭園美術館)だろう。

 「やっさもっさ」は明らかに失敗作だ。人物が物語の役割を演じるだけで自由に生きていない。「自由学校」は風俗や情報としては古くなっているとしても、東京裏面探訪としての面白さは残っている。それに比べて「やっさもっさ」はどうも盛り上がらない。獅子文六の小説は仕掛けが共通しているので、先行きが読めるということもある。横浜が生誕地である獅子文六は、占領軍に接収された横浜が悲しかったのだろう。ほぼ「横浜」が主人公と言ってもいい「やっさもっさ」が書かれたのも、そのためだと思う。横浜に「カジノ」を作ろうとする登場人物がいて、戦後占領時代は今につながるようで興味深い。

 「やっさもっさ」のモデルになっているのは、明らかに沢田美喜が作ったエリザベス・サンダースホームである。「混血孤児」施設として有名だった。沢田は三菱財閥を作った岩崎弥太郎の孫で、神奈川県大磯の岩崎家大磯別邸に施設を作った。だから横浜ではないし、登場人物も大分違っていて単純なモデル小説ではない。獅子文六は沢田美喜と夫の沢田廉三(外務事務次官、国連大使を務めた外交官)と親しくなり、三度目の結婚の仲人を頼んだという。この小説を読んで判るのは、当時の「黒人兵」に関する視線の厳しさだ。自分がフランス人と結婚していたにもかかわらず、敗戦後の日本で身を売る女性が現れ、さらに黒人兵士の子を生む者もあったことにショックを受けている。
(沢田美喜と子どもたち)
 「混血児」が今では考えられないほどの衝撃だったことがこの小説でよく判る。獅子文六の小説だけでなく、昔の小説を読むときには「今日の人権感覚に照らして差別的と受け取られかねない箇所があります」と断り書きがあるものだ。「自由学校」の中にある同性愛者への表現は、「受け取られかねない」段階を越えて「同性愛恐怖」だと思う。もっとも「やっさもっさ」は主観的には「同情」している。今となっては明白な差別になるが、当時の感覚では敗戦に伴う「混血児」の登場こそ、「同情」レベルを超えてしまう「敗戦のカナシミ」だったのだ。特に白人ならまだしも黒人は。明白にそう書いている。そんなこんなであまり楽しく読めない本だが、社会史・風俗史的には貴重な本だった。
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