「ハンセン病市民学会」の第8回総会、交流集会で、青森市の松岡保養園に行った。去年は5月末に沖縄であったけど、今年は従来通り5月第2週に総会。去年行った沖縄本島北部の「沖縄愛楽園」や宮古島の「宮古南静園」は、銃弾の痕が残る場所だった。設置場所は中心部を離れた場所に作られている。それは基本的にどこの療養所も同じだけど、東京の東村山市にある「多磨全生園」などは今では市街地の中という感じ。でも周りは病院が多く、昔は町からはるかに離れた場所だったわけだろう。それは青森でも同じとはいえ、新幹線が青森まで延伸したときに「新青森駅」ができたために、ずいぶん町の中という感じになってしまっている。新青森駅南口からバス停で二つなので、歩いても行けるくらいの距離。僕はもっと八甲田山に近い山の中、例えば草津の「栗生楽泉園」のようなところと思い込んでいたので、ちょっとびっくり。園内からは八甲田を遠望できる。
まずバス通りから園に向かうと、桜並木。園の正門が見えてくる。市民学会の案内掲示板がたっている。散りかけだけど桜がまだ見頃の季節である。
園内フィールドワークで、「納骨堂」を訪れる。ハンセン病療養所に行ったことがある人は良く知っていると思うけど、療養所は「入ったら出られない場所」だった。病院とか老人施設、障がい者施設なども「出られない」場所だった場合もあるけれど、亡くなったら出ることにならざるを得ない。遺体、遺骨は家族、家族がいなければ自治体が引き取るしかない。施設に墓地までついてるところはない。しかし、法律で「終生隔離」の場所として作られたハンセン病療養所では、死んでも家族と引き離されていて家族の墓には受け入れられない場合もあった。(今でもあるだろう。)で、どこの療養所にも「納骨堂」が作られている。ここにも1000体以上の遺骨が納められている。最初の写真の手前にあるのは、近年明らかにされて衝撃を与えた、「療養所で中絶させられた胎児」の慰霊碑である。
だから園内には各宗教のお寺、教会が必ずあるのも特徴となっている。カトリックの教会に入って話を聞かせてもらったが、園内だけでなく市内から入所者以外の信者もミサに来るのだという。園内の道路は一見何の変哲もない普通の道だけど、実は豪雪地帯対応で暖めて融雪することができるようになっている道なんだそうだ。家も特徴があって、「集合住宅」になっている。大昔の療養所は「大部屋」でプライバシーもなかったわけだけど、ここ何十年かで一戸建ての個人住宅方式になっていった。大体今まで見たところはそうだったけど、ここは個人住宅にすると冬の雪下ろしを入所者がやることになってしまう。だから家はアパート、マンションのように大きな建築物を建てて、部屋を各人に割り当てるという方式となる。なるほど日本各地でいろいろ違うもんだなあと感じさせられた。
周囲と隔てるような大きな沼、屋根つきのゲートボール場などもあったけど、いい写真がないので省略。療養所自体を紹介したことがないけど、ここに行くのも大変なので紹介してみた。市民学会での話は別の機会に。
まずバス通りから園に向かうと、桜並木。園の正門が見えてくる。市民学会の案内掲示板がたっている。散りかけだけど桜がまだ見頃の季節である。
園内フィールドワークで、「納骨堂」を訪れる。ハンセン病療養所に行ったことがある人は良く知っていると思うけど、療養所は「入ったら出られない場所」だった。病院とか老人施設、障がい者施設なども「出られない」場所だった場合もあるけれど、亡くなったら出ることにならざるを得ない。遺体、遺骨は家族、家族がいなければ自治体が引き取るしかない。施設に墓地までついてるところはない。しかし、法律で「終生隔離」の場所として作られたハンセン病療養所では、死んでも家族と引き離されていて家族の墓には受け入れられない場合もあった。(今でもあるだろう。)で、どこの療養所にも「納骨堂」が作られている。ここにも1000体以上の遺骨が納められている。最初の写真の手前にあるのは、近年明らかにされて衝撃を与えた、「療養所で中絶させられた胎児」の慰霊碑である。
だから園内には各宗教のお寺、教会が必ずあるのも特徴となっている。カトリックの教会に入って話を聞かせてもらったが、園内だけでなく市内から入所者以外の信者もミサに来るのだという。園内の道路は一見何の変哲もない普通の道だけど、実は豪雪地帯対応で暖めて融雪することができるようになっている道なんだそうだ。家も特徴があって、「集合住宅」になっている。大昔の療養所は「大部屋」でプライバシーもなかったわけだけど、ここ何十年かで一戸建ての個人住宅方式になっていった。大体今まで見たところはそうだったけど、ここは個人住宅にすると冬の雪下ろしを入所者がやることになってしまう。だから家はアパート、マンションのように大きな建築物を建てて、部屋を各人に割り当てるという方式となる。なるほど日本各地でいろいろ違うもんだなあと感じさせられた。
周囲と隔てるような大きな沼、屋根つきのゲートボール場などもあったけど、いい写真がないので省略。療養所自体を紹介したことがないけど、ここに行くのも大変なので紹介してみた。市民学会での話は別の機会に。
が、徳永さんや荒井さん、犀川さんや藤野さん、そして当事者の方々の著作を拝読するうち、問題それ自体に圧殺されそうになっております今日この頃、どうしたもんでしょうかね。
光田や神谷さえ絶対悪ではなく、しかも問題は歴史規模であり、政治や戦争、問題、在日朝鮮韓国人問題などと複雑に絡み合い、知れば知るほどラビリンス。
近代日本と範囲を絞り込んでも、「いのち」の近代史と真剣に格闘するのに、一年という期間はあまりに短く不敬であり、かといって大上段から得意の持論で斬り込むほど、畏れ多いことはありません。
いやあ、改めてハンセン病問題とは、重く、難しい問題なのだと感じます。だからこそ、書かなければとも感じます。