尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

寒暖差アレルギーと「マスク嫌い」

2020年06月09日 22時19分23秒 | 自分の話&日記
 何でも日本人は「目元で相手の感情を測る」のだそうだ。それに対して、ヨーロッパ人では「口元で相手の感情を測る」のだという。確かに日本には「目は口ほどに物を言う」という言葉もある。昔の日本映画を見ていると、目元で表現している俳優が多い気がする。だから、欧米では「マスクで口元を隠す」と感情が読み取りにくくなって、「怪しい」と思われるんだそうだ。一方、日本では目を見せない「サングラス」の方がマスクよりも「怪しい感じ」に思われるという。

 そう言われてみると、何となく納得してしまう感じがする。確かに日本ではマスクよりサングラスの方が怪しく思われそうだ。欧米人は「マスクをしてる人を怪しく思う」とよく言われるけれど、日本でのサングラスを思い浮かべると理解出来る感じがする。さて、今年もすっかり暑くなってしまった。今年はマスクをしなければ入れてくれないところが多い。暑くて蒸れてしまいそうで、困ってしまう。僕はマスクが嫌いなのである。何でかというと、熱がこもってしまいやすい体質なのである。

 そもそも僕は毎日鼻水くしゃみが出る。いよいよ新型コロナウイルスに感染したのかというと、それはない。何年も前からだから。春先など、ついに花粉症を発症したのかと思うと、それも違う。目元のかゆみなどもなく、季節を問わずいつも同じだからだ。なんでいつも風邪を引いているんだろうか。これは「鼻炎」というのか。そう思っていたら、最近になって「寒暖差アレルギー」という言葉を知った。検索してみると、まさに自分の状態は寒暖差アレルギーそのものである。
(寒暖差アレルギーと花粉症)
 「くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどアレルギーに似た症状が出るものの、特定の原因(アレルゲン)によって引き起こされるアレルギーでもなく、熱っぽいけれど風邪でもない症状を「寒暖差アレルギー」と言い、医学的には「血管運動性鼻炎」と呼ばれます。花粉症やアレルギー性鼻炎などのアレルギー疾患は、花粉、ホコリ、ダニなどが原因となるアレルゲンによって免疫反応が起こりますが、血管運動性鼻炎は検査をしても明確なアレルゲンが見つかりません。また、風邪のようにウイルスに感染して炎症を起こすわけでもありません。このような原因の分からない鼻水、鼻づまりなどの症状が出るのが、血管運動性鼻炎です。」(「からだケアなび」より。」まさにこんな感じ。

 ところで困ってしまうことがある。先のホームページには「季節の変わり目には寒暖差アレルギーにご注意を!」とあることだ。もう夏になってしまえば、毎日暑いから季節の変わり目じゃないだろうと思うかも知れない。しかし、実は電車や施設の冷房がきついのである。出れば暑いし、入れば寒いぐらい。これはまさに超絶的な季節変化である。この間も某デパ地下を出たところで、くしゃみと鼻水が止まらなくて困ってしまった。まるで「感染者」に見られるんじゃないかと恐れてしまうではないか。
(寒暖差アレルギー、花粉症、風邪の見分け方)
 つまり夏は暑く冬は寒いので、暑かったり寒かったして困るが、それだけでなく冷暖房完備によって、「一年中が季節の変わり目」になってしまったのである。夏も冷房除けが必須になってしまった。その上、今年はマスクをしている。鼻水が出そうになると、すぐにかまないとマスクに付いちゃうじゃないか。しかも、もうマスクがつらい季節になっている。マスクだけが特に嫌いなのではなく、僕は身に付ける物がみんな苦手なのである。何年も前から運転免許にメガネが必要になっているが、たまに運転するときもサービスエリアなどに停まるとすぐにメガネを取ってしまう。

 ありがたいことに、今でも新聞も本も裸眼で読める。このブログも裸眼で書いている。だから、ほとんど毎日書いていけるのである。だが、外国映画の字幕運転時だけはメガネがいるのである。メガネやマスクだけが嫌なのではなく、腕時計やイヤフォンなどもダメである。昔は腕時計は付けるべきものとされていた。だが金属ベルトに耐えられず、ある時期から皮ベルトに変えた。そのうち腕に付けなくても胸ポケットに入れておけばいいと気付いた。そして携帯電話が出来たら腕時計はもうやめてしまった。

 「ウォークマン」も聞いたことがない。飛行機で無料の音楽などを聞けるイヤホンがあっても、10分程度が限度である。スマホをイヤホンで聞いている人がたくさんいるけど、それもする気にならない。装身具を身につけたこともないが、主義主張やオシャレ感覚の問題ではないのである。ネクタイも嫌いで、式(卒業式やお葬式など)でしかしなかった。締め付けられて熱が籠もってしまって辛いのである。ネクタイをしてないからといって、ラフな格好が好きだということではない。まあネクタイは時にはガマンしないといけない範囲だった。これからは「マスク」も社会生活上、ガマンしないといけないのか。それは僕にはずいぶん辛いことである。たまには自分のことを書いてみた。
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