劇団民藝『囲われた空』を見た(12.7~12.15、紀伊國屋サザンシアター)。この題名を見ても何だか判らないけど、これは映画『ジョジョ・ラビット』(2019)の原作戯曲の日本初演だという。その映画については、かつて公開時に『「ドン・キホーテ」と「ジョジョ・ラビット」』(2020)を書いた。アカデミー賞にいくつもノミネートされ、監督のタイカ・ワイティティが脚色賞を受賞した。第二次大戦下のドイツを少年目線で描いた佳作で、特に少年が困ったときに脳内に監督自身が演じるアドルフ・ヒトラーが登場してアドバイスするという趣向がコミカルで面白かった。
しかし、それは大胆な脚色というべきもので、本来の原作はもう少し年上の設定だったのである。舞台はオーストリアの首都ウイーン。空襲で顔に大ケガを負った17歳の少年ヨハネスは、母と祖母と暮らしている。ある日謎の物音を聞きつけ、どうもこの家はおかしいと思うようになる。ヨハネスは大のヒトラーびいきで、ドイツが勝つと信じていて部屋には総統の写真を飾っている。しかし、どうも母にはそれが不満で、秘かに反ナチスらしいのである。そして、実は家で姉の友人エルサという25歳のユダヤ女性を匿っていると気付いてしまう。人々はかつてヒトラーによる併合を喜んでいたが、最近は空襲が相次ぎ敗色が漂っている。
冒頭シーンはヨハネスが大ケガをして寝ている部屋。それがグルッと回って居間になると、少し元気になったヨハネスが食べにくる。しかし、書斎に向かう扉にはいつも鍵が掛かっている。さらに舞台が回ると書斎で、そこの壁の裏にエルサが隠れている。つまり舞台は3分割されて回るのである。完全に120°ずつではなく、居間は広いが書斎はもう少し狭い。それはエルサが隠れている隠れ場所を作るためで、観客からはそれが見えるのである。回り舞台はよくあるけど、こういう風に3分割は珍しい。この舞台装置は見ごたえがある。ヨハネスとエルサという対照的な二人の位置を可視化する優れた舞台だろう。
映画と同じく、母親は途中で消えてしまう。(父も最初から行方不明で、それは逮捕され収容所に送られたと推測出来る。)その後はヨハネスが病気の祖母(日色ともゑ)の面倒を見ることになる。いつしかエルサを愛してしまったヨハネスは、自分の信条との葛藤に苦しむが、次第にエルサを守らなくてはと思うようになる。ついに戦争はドイツ敗北で終わるが、そうなるとエルサは自由になって家を出ていってしまう。つい「ドイツが勝った」と言ってしまったのである。エルサとの暮らしを失いたくないために、嘘に嘘を重ねていくヨハネス。一方それを見守りながら弱っていく祖母はどこまで知っているのか。
原作はクリスティン・ルーネンズというアメリカの作家で、原作『Caging Skies』(2004)は小鳥遊書房から『囲われた空』として刊行されている。それを戯曲化したのはデジレ・ゲーゼンツヴィ。翻訳河野哲子、上演台本丹野郁弓、演出小笠原響。ヨハネスとエルサはダブルキャストで、僕が見たのは一之瀬朝登、神保有輝美。映画ではスカーレット・ヨハンソンが演じた母親は石巻美香。終わり頃はさすがベテラン日色ともゑの存在感が舞台を支配する。ヨハネスの「幼さ」が際立つのも日色あってのことだ。「解放」とは何なのか。人間は幾重もの壁に囲われている。「愛」もまた枷なのかもしれない。