恒例の訃報特集。2024年11月は3回になる。谷川俊太郎の訃報が一番大きく報道されたが、今まさに読んでいるので3回目に回す。まず、「社会」「思想」的な関わりを中心に。次に芸術、芸能、スポーツ関係など内外まとめて。
フランス文学者の鈴木道彦が11月11日に死去、95歳。フランス文学者の鈴木信太郎の次男で、生まれ育った豊島区東池袋の家は記念館になっている。訪れた時に記録は『鈴木信太郎記念館に行く』(2019.4.9)に書いた。新聞の小さな訃報ではプルースト『失われた時を求めて』を個人で全訳したことしか出てなかった。確かに日本人2人目の業績で、読売文学賞などを受けて高く評価されたのは間違いない。しかし、60年代にはサルトルに傾倒して「アンガージュマン」(社会参加)していた。特に金嬉老事件の救援運動に関わったことで知られる。事件内容を書いていると長くなるので省略するが、その「熱い日々」は『越境の時 1960年代と在日』(集英社文庫、2007)に生き生きと回想されていて必読。アルジェリア戦争やフランツ・ファノンなどの翻訳もあり、50~60年代の思想界に大きな影響を持った人である。晩年に再びサルトルを読み直して、2010年に『嘔吐』を翻訳した。獨協大学で行われた講演を聞いたことがあり、『鈴木道彦講演会「サルトルと現代」』(2017.3.4)にまとめた。
映画監督で救援運動家の山際永三が11月28日死去、92歳。僕が若い頃に冤罪救援運動に関わっていたとき、一人年長の温厚そうな男性がビラまきなどに参加していて、「監督」と呼ばれていた。その当時は「警視総監公舎爆破未遂事件」や「土田・日石・ピース缶爆弾事件」など新左翼系の冤罪事件が問題化していた。どちらも裁判所で無罪が確定し長い再審運動にならなかったので、結果的に忘れられている。警察幹部を直接狙った事件は、警察が強引な捜査を繰り広げ冤罪になってしまったのである。(その後、どちらの事件でも「真犯人」とみなされる人が現れた。)山際さんは特に「総監公舎」に関わっていた記憶があるが、実際の経緯などは知らない。その後も救援運動に関わり続け、死刑廃止やオウム裁判などにも関わったとWikipediaに出ている。
本業の映画監督の方だが、元々は新東宝に入社したものの61年に倒産。その流れで出来た「大宝映画」の第1回公開作品『狂熱の果て』で監督に昇進したものの、大宝も6作品のみで倒産した。その後はテレビを中心に活動し、「ウルトラマン」シリーズを数多く手掛けたことで知られている。またテレビ版『日本沈没』や西田敏行主演の小学校版金八先生と言われた『サンキュー先生』など多数の作品がある。一方、大宝映画は大島渚『飼育』を除き、長く行方不明とされ見ることが出来なかった。しかし、ただ一本の劇場映画『狂熱の果て』は山際監督の追跡により発見され、フィルムも修復されて国立フィルムセンター(当時)で2018年2月2日、20日に上映された。この時に僕も見に行って、監督のトークも聞いたのが山際監督の最後の思い出。
どんな映画かというと、「ジャズと車と痴戯に明け暮れる「六本木族」の若者たちを待ちうける虚無と退廃を、過剰な演出で描破したもう一つのヌーヴェル・ヴァーグ。倒産後の新東宝作品を配給した大宝の第1回配給作品となったが、同社も1年後には解散。本作がデビューとなった山際永三監督による入念な調査により、原版の受贈とプリント作製が可能になった」と国立映画アーカイブのホームページに出ている。出演は星輝美、松原緑郎、藤木孝、奈良あけみなど。傑作とは言わないが、まあ面白かった。
元裁判官で弁護士の木谷明が11月21日死去、86歳。囲碁の木谷實九段の次男として生まれた。1961年に裁判官任官後は、最高裁調査官、東京高裁総括判事などを務め、2000年に退官。2004年から2012年まで法政大学法科大学院教授を務めた。この人のすごいところはこのような経歴に関わらず、任官中に30件以上の無罪判決を書いたことである。裁判官が「検察の言いなり」と批判されることに対し、マスコミの場で裁判官のあり方を論じた。集会で話を聞いたこともあるような気がする。新聞などのインタビューにもよく登場していて心強い発言をしていた。年齢的にやむを得ないとはいえ、今こそ大切な人だった。
ドイツ文学者、評論家の西尾幹二が11月1日に死去、89歳。 ニーチェ(西尾の表現では「ニイチェ)を論じて、60年代に三島由紀夫などに注目され、論壇にデビューした。その後、独自の保守的言論活動で注目され、数多くの著書がある。テレビでも活躍し、20世紀末には保守派言論人の代表格とみなされた。1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」を結成し、初代会長となった。1999年には分厚い『国民の歴史』(産経新聞ニュースサービス)を刊行、ベストセラーとなった。もっともこの本は「勝手に贈呈本」として売れた面もあって、送りつけられて迷惑した人も多いんじゃないか。分厚すぎてちゃんと読んだ人がどれだけいるのか疑問。僕もとても買う気にはなれず読んでない。ニーチェ関係も読んでない。最近まで著書があったようだが。
11月27日に文京区でマンション火災が発生中と報道された。深夜になって、それが猪口邦子参議院議員(自民)の自宅で、議員の無事は確認されたが2名と連絡が取れないと報道された。数日して、夫の猪口孝の死亡が確認された。80歳。東大名誉教授の国際政治学者で、夫婦ともに政治学者として知られた。1982年に『国際政治経済の構図』でサントリー学芸賞。その他一般向け著書も多く、知的関心の高い人には知られた人だった。新潟県出身で、東大退官後は中央大学を経て、2009年から2017年まで新潟県立大学学長を務めた。国際政治の実証的研究家だと思っていて、特に保守的論壇人ではなかったと判断していたので、2005年の郵政解散で妻の猪口邦子が自民党から擁立されて出馬した時は驚いた。有名な学者なのに訃報は「邦子議員の夫」扱いだった。
元検察官で、「さわやか福祉財団」会長の堀田力(ほった・つとむ)が11月24日死去、90歳。検事としては1976年に東京地検特捜部に配属され、アメリカ大使館勤務経験があったためアメリカでの嘱託尋問を担当した。またロッキード事件の公判検事となり、田中角栄に論告求刑を行った。その後も順調に昇進し、1990年に法務大臣官房長となったが、1991年に定年数年前に退官した。「やめ検」は大企業や汚職政治家の弁護士になったりすることが多いが、この人は福祉事業家に転身し「さわやか福祉財団」を創設したことで知られた。非常に有名な検事だったのに、まだ「福祉」に目を向ける人が少なかった時代に「介護の社会化」を主張したことは注目され、大きな影響を与えたと思う。もっともこの人が政治や社会問題を語る時には、なんだか同意出来ないことが多かった。著書や講演会なども多かったが、一度も接してはいない。