(前回からの続き)日曜朝に起きてみると、右手に力が入るではないですか。ただし、簡単な検査をすると、まだちょっと右が弱い。それは右手の手のひらを自分側に(甲を外に)して高く上げ、目をつぶって10秒間保つというものです。そうすると、右が次第に下がってくるわけです。自分では同じ高さを維持しているつもりでも。この簡易検査では月曜頃からほとんど左右の違いが無くなってきました。つまり、翌週にはほぼ軽快していたのです。
ただ入院による「QOL」(生活の質)の低下が、この頃から影響してきました。何しろいろいろ繋がれて寝返りも打てない。トイレにも自由に行けない。ナースコールで看護師さんを呼んで、この時点では車いすに乗り込みます。尿の量も量っていて(便座に測れるカップをはめ込む)、なかなか落ち着きません。次第に自分で予測出来るようになり、この感じだと300CCだろう、今回は400まで頑張ったかなという予測がほぼ確実に出来るようになりました。
日曜日は何も検査などがないので、起きてるときはテレビを見るか、スマホを見るか。日曜から大相撲が始まったので、今回は十両からずっと見てた感じです。本が読めない、新聞が読めないのは、自分にはつらいのですが、今回は頭を休めるためにもしばらくガマンするかと思いました。本は小説を読める感じじゃないけど、たまたま2016年に出た石川理夫(みちお)『本物の名湯ベスト100』(講談社現代新書)という本を最近「再発見」して枕元の一番上に置いてました。これを持ってきて貰おうかなと思ったけど、まあいいやと決めました。そうしたら火曜日に妻がこの本を差し入れてくれて、本当にビックリしました。
(最後の夕食)
動けるのがトイレと食事だけだから、それが楽しみです。食事は最初はベッドの上で食べていて、火曜ぐらいからベッドを降りて机で食べました。(テレビを載せている台に引き出しがあって、そこを引き出して食事を食べる。)最初はお粥で、食べやすいけど水分が多い。おかずは魚と肉が交互という感じ。和風、洋風交互の味付けです。朝2回だけパンで、お粥が終わると普通のご飯でした。もちろん薄味ですが、家でもかなり薄味に慣れているので、何の問題もなし。ドレッシングやマヨネーズも付いてるけど、自分はほぼ使わない。(家でも同様。)全部完食しました。もちろんものすごく美味しいとは思わなかったけど、全然問題なし。
(最後の朝食)
月曜からリハビリが始まって、同じ階を歩いたり、手の動き、頭の働きの確認など。動けるのもいいけど、他人にあって会話できるから嬉しいです。看護師さんだとどうしても忙しいから、トイレや食事の世話以外に案外話す機会がないものです。それでどんどん動けるようになって、問題はむしろ脳梗塞の影響じゃなく、ずっと寝ていることによる身体の硬化、よく起きる腰痛などに移ってきました。トイレに歩けるようになっても、へっぴり腰で遅くなる。これじゃ入院している意味がないです。
何でいつまでHCUにいるんだろう?それは看護師さんも気に掛けてくれて、大部屋に移れるように調整しますと言ってたけど、最後まで移れなかった。急に寒くなってきて、多くの患者が来ているそうで大部屋も他の部屋もいっぱいだったようです。しかし、同じ階で2回移動しました。なんか救急で来た患者の問題もあって水曜日に移ったら、そこは呼吸器患者の部屋で深夜も非常に音が絶えない。そこで翌日もう一回移ったら、今度は一人部屋になって静かは静かですが、なんか離れ小島に流された感じ。でもいいのです、実は木曜日に翌日の退院が決まったので。
リハビリで完全に問題なしだったのと、大部屋も空かないので、もういいのではないかという方向性になったようです。水曜日に、翌日午後に妻が来院できるか聞かれ、木曜午前に3回目のMRIを撮った。そして「明日退院」となりました。もう一つ要因があって、主治医の先生が僕の地元の病院に週1回来ているそうなのです。だから、今後はそちらでフォローするということでいいですか? はい、わかりました、お願いしますとなったわけです。歩いて20~30分ぐらいの場所、母親が亡くなった病院からさらに5分ぐらい歩いた場所のようです。「じゃあ、自分で自分宛に紹介状を書きます」と言って渡されました。
(ラクナ梗塞)
今回の病気は「ラクナ梗塞」というようです。左脳深部で起こった小さな梗塞です。僕のMRI画像を見ても、検索して出て来た画像にピッタリです。普通の細胞は再生していきますが、脳細胞は死滅したら再生しない。では、何で使えなかった右手が今自由に動かせるのか? この疑問を医者に聞いてみたところ、脳細胞は3割ぐらいしか使ってないと言われてる、使ってない脳細胞に新しい回路が通じたということでしょうと言われました。脳細胞は良く出来ているな、新たなバイパスを作っちゃうなんて。
「脳トレ」ではないけれど、僕もいろいろとやってました。記憶力に問題ないかどうか、「ヨーロッパの国を全部言えるかどうか」とか自分でテストしてました。社会科教員だったんで、知ってるのは当たり前。一般には全部は難しいと思いますが、10個とか20個とか目指すのもいいかと思います。自分はバルト三国とか全部思い出せたので安心しました。「か」で始まる字を一分間でいくついえるか言ってくださいとか正岡子規の俳句を書いた紙を正確に写し取るとか、いろいろやりました。子規の句には「法隆寺」とか「鶏頭」とか、今じゃ「打ってるけど、書いてない字」が多く、頭と手の連動感覚を見るには適しているんでしょう。
病院は(学校などと同じく)多くの人によって運営されています。医者や看護師だけでなく、MRI検査をする放射線技師、リハビリ担当の理学療法士、あるいは清掃や日常用品の取り替えに来る業者など多くの人がいます。中でも身近に接するのが看護師と理学療法士の方々でいろいろとお世話になりました。僕も出来るだけ迷惑を掛けないように努めたつもり。その人に言っても仕方ないのに文句を言う人にはなりたくないから。まあ、人間同士なので多少は相性があると思いますが、皆さん親切でありがたかったです。
この病気は「無罪放免」じゃなく「執行猶予」だということは自覚しています。糖尿病や喫煙はないんだけど、高血圧がなかなか治まらない。塩分など控えるのも今まで以上に徹底していきたいと思います。ブログについても考えたけれど、余り頑張りすぎない範囲で同じように続けたいと思います。映画や本の感想に特化してもいいんだけど、時々は世界や日本の状況を語りたいのが自分であり、自分らしさを捨てても意味がないと思ったからです。ということで、今後とも折々に書いていきたいのでよろしくお願いします。書いてない間に、昔の記事が読まれてかえって順位が上がったのも不思議で、ありがとうございました。
ただ入院による「QOL」(生活の質)の低下が、この頃から影響してきました。何しろいろいろ繋がれて寝返りも打てない。トイレにも自由に行けない。ナースコールで看護師さんを呼んで、この時点では車いすに乗り込みます。尿の量も量っていて(便座に測れるカップをはめ込む)、なかなか落ち着きません。次第に自分で予測出来るようになり、この感じだと300CCだろう、今回は400まで頑張ったかなという予測がほぼ確実に出来るようになりました。
日曜日は何も検査などがないので、起きてるときはテレビを見るか、スマホを見るか。日曜から大相撲が始まったので、今回は十両からずっと見てた感じです。本が読めない、新聞が読めないのは、自分にはつらいのですが、今回は頭を休めるためにもしばらくガマンするかと思いました。本は小説を読める感じじゃないけど、たまたま2016年に出た石川理夫(みちお)『本物の名湯ベスト100』(講談社現代新書)という本を最近「再発見」して枕元の一番上に置いてました。これを持ってきて貰おうかなと思ったけど、まあいいやと決めました。そうしたら火曜日に妻がこの本を差し入れてくれて、本当にビックリしました。
(最後の夕食)
動けるのがトイレと食事だけだから、それが楽しみです。食事は最初はベッドの上で食べていて、火曜ぐらいからベッドを降りて机で食べました。(テレビを載せている台に引き出しがあって、そこを引き出して食事を食べる。)最初はお粥で、食べやすいけど水分が多い。おかずは魚と肉が交互という感じ。和風、洋風交互の味付けです。朝2回だけパンで、お粥が終わると普通のご飯でした。もちろん薄味ですが、家でもかなり薄味に慣れているので、何の問題もなし。ドレッシングやマヨネーズも付いてるけど、自分はほぼ使わない。(家でも同様。)全部完食しました。もちろんものすごく美味しいとは思わなかったけど、全然問題なし。
(最後の朝食)
月曜からリハビリが始まって、同じ階を歩いたり、手の動き、頭の働きの確認など。動けるのもいいけど、他人にあって会話できるから嬉しいです。看護師さんだとどうしても忙しいから、トイレや食事の世話以外に案外話す機会がないものです。それでどんどん動けるようになって、問題はむしろ脳梗塞の影響じゃなく、ずっと寝ていることによる身体の硬化、よく起きる腰痛などに移ってきました。トイレに歩けるようになっても、へっぴり腰で遅くなる。これじゃ入院している意味がないです。
何でいつまでHCUにいるんだろう?それは看護師さんも気に掛けてくれて、大部屋に移れるように調整しますと言ってたけど、最後まで移れなかった。急に寒くなってきて、多くの患者が来ているそうで大部屋も他の部屋もいっぱいだったようです。しかし、同じ階で2回移動しました。なんか救急で来た患者の問題もあって水曜日に移ったら、そこは呼吸器患者の部屋で深夜も非常に音が絶えない。そこで翌日もう一回移ったら、今度は一人部屋になって静かは静かですが、なんか離れ小島に流された感じ。でもいいのです、実は木曜日に翌日の退院が決まったので。
リハビリで完全に問題なしだったのと、大部屋も空かないので、もういいのではないかという方向性になったようです。水曜日に、翌日午後に妻が来院できるか聞かれ、木曜午前に3回目のMRIを撮った。そして「明日退院」となりました。もう一つ要因があって、主治医の先生が僕の地元の病院に週1回来ているそうなのです。だから、今後はそちらでフォローするということでいいですか? はい、わかりました、お願いしますとなったわけです。歩いて20~30分ぐらいの場所、母親が亡くなった病院からさらに5分ぐらい歩いた場所のようです。「じゃあ、自分で自分宛に紹介状を書きます」と言って渡されました。
(ラクナ梗塞)
今回の病気は「ラクナ梗塞」というようです。左脳深部で起こった小さな梗塞です。僕のMRI画像を見ても、検索して出て来た画像にピッタリです。普通の細胞は再生していきますが、脳細胞は死滅したら再生しない。では、何で使えなかった右手が今自由に動かせるのか? この疑問を医者に聞いてみたところ、脳細胞は3割ぐらいしか使ってないと言われてる、使ってない脳細胞に新しい回路が通じたということでしょうと言われました。脳細胞は良く出来ているな、新たなバイパスを作っちゃうなんて。
「脳トレ」ではないけれど、僕もいろいろとやってました。記憶力に問題ないかどうか、「ヨーロッパの国を全部言えるかどうか」とか自分でテストしてました。社会科教員だったんで、知ってるのは当たり前。一般には全部は難しいと思いますが、10個とか20個とか目指すのもいいかと思います。自分はバルト三国とか全部思い出せたので安心しました。「か」で始まる字を一分間でいくついえるか言ってくださいとか正岡子規の俳句を書いた紙を正確に写し取るとか、いろいろやりました。子規の句には「法隆寺」とか「鶏頭」とか、今じゃ「打ってるけど、書いてない字」が多く、頭と手の連動感覚を見るには適しているんでしょう。
病院は(学校などと同じく)多くの人によって運営されています。医者や看護師だけでなく、MRI検査をする放射線技師、リハビリ担当の理学療法士、あるいは清掃や日常用品の取り替えに来る業者など多くの人がいます。中でも身近に接するのが看護師と理学療法士の方々でいろいろとお世話になりました。僕も出来るだけ迷惑を掛けないように努めたつもり。その人に言っても仕方ないのに文句を言う人にはなりたくないから。まあ、人間同士なので多少は相性があると思いますが、皆さん親切でありがたかったです。
この病気は「無罪放免」じゃなく「執行猶予」だということは自覚しています。糖尿病や喫煙はないんだけど、高血圧がなかなか治まらない。塩分など控えるのも今まで以上に徹底していきたいと思います。ブログについても考えたけれど、余り頑張りすぎない範囲で同じように続けたいと思います。映画や本の感想に特化してもいいんだけど、時々は世界や日本の状況を語りたいのが自分であり、自分らしさを捨てても意味がないと思ったからです。ということで、今後とも折々に書いていきたいのでよろしくお願いします。書いてない間に、昔の記事が読まれてかえって順位が上がったのも不思議で、ありがとうございました。
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