尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

佐藤一という人-映画「黒い潮」と下山事件をめぐって④

2013年04月09日 23時30分32秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「黒い潮」「下山事件」の自殺説報道をめぐる毎日新聞の苦闘を描く映画だった。その下山事件を生涯をかけて追跡し、ほとんど完全版だと思う「下山事件全研究」(時事通信社、1976)という本がある。著者は佐藤一という人である。この本は長く入手が難しかったが、2009年に「新版・下山事件全研究」がインパクト出版会から出された。6,300円と高い本だけど、それだけの価値はある。僕が持っているのは旧著の第2刷(78年)で、当時は2500円で、当時の僕には相当に高い本だった。

 著者の佐藤一(1921~2009)の名前は多分その前から知っていたと思う。この人は松川事件の無実の死刑囚で、1審・2審で死刑を宣告された。1審は5人、2審は4人が死刑だったが、特にこの人、佐藤一の名前は松川事件に関心があった人はよく知っているはずだ。東芝の組合活動家で東芝松川工場にオルグに行っていた時に、東北本線脱線転覆事故が起きた。そのためオルグの佐藤が「首謀者」であるとされたのだが、その「謀議」をしていたとされる時間に、ちょうど東芝で団交中だったことを示すメモが会社側に残されていた。いわゆる「諏訪メモ」である。それは検察が押収していたので、検察側は佐藤の無実を事前に知っていたのである

 国鉄事故だから東芝労組だけでは起こせない。国鉄・東芝の労組関係者「謀議」がなければ、東芝労働者が事件に関わることはできない。従って、諏訪メモの出現で検察の構図は全面的に崩壊していくのである。世論が検察を批判し、ついに最高裁は異例にも「諏訪メモの取り調べ」に踏み切った。事実審理をしない最高裁としては、以前も以後もない「最高裁の職権による事実調べ」だった。その結果、最高裁は仙台高裁に差し戻しを決め、全員無罪判決となるわけである。
(佐藤一)
 63年に松川事件の完全無罪が確定して、佐藤一はようやく「被告」の肩書きがとれた。その佐藤に「下山事件研究会」の事務局担当という仕事が回ってきた。当時の佐藤はもちろん共産党員で、党員として担当したのだと思う。60年に「日本の黒い霧」が出て、左翼勢力に「下山事件謀殺論」が広まっていた。佐藤もどちらかと言うと当初は他殺説だったらしい。だが、くわしく調べていくほど他殺説は消えて行き、自殺説の可能性が高まる。清張が怪しいと書いた「総裁を轢いた列車」は、清張説では占領軍列車とされたが、清張は乗車員に当たっていなかった。佐藤が調べると、ちゃんと乗務員の話を聞けて普通の列車だった。細かく書かないが、怪しいとされたのが全部否定されていくのである。
 
 古畑鑑定も調べていくと、70年代当時でははっきり否定されている見解だった。さらに下山総裁の(清張説では最後は「替え玉」とされるが)不可思議な行動の様々は、その後の心理学の発展で「初老期うつ」と判断されるというのである。事件の前に様々な奇怪な行動があったのだが、技術畑で国鉄の初代総裁になったばかりだった。(鉄道省から日本国有鉄道となったのは、1949年6月でわずか数週間前だった。)戦争からの大量の復員者を抱えて人員整理が避けられない辛い立場に立たされた。

 「心のケア」などという言葉もなかった時代だが、中年から老年にかけ、今までと違う仕事に「抜てき」でついたマジメ一途の人が、頑張れば頑張るほど自分を追い込み、精神的に不安定となるというのは、今になれば誰でも知っている。「中年クライシス」と言ってもいいし、「男の更年期」などと言う人もいる。下山総裁の奇異な言動を今見ると、そういう「うつ症状」で理解した方が納得できる。佐藤一の本を読めば、皆納得すると思う。

 僕は著者の自殺説に全面的に同意したが、自殺説に傾いた頃から佐藤一は党内で孤立する。やがて党を離れるが、「進歩的知識人」の中にも彼を避ける人が出てきた。困るのは「自殺説」を無視して、その後も「他殺説」を唱え「怪しい人脈」などと書きたてる本が何冊も出たことだ。「全研究」というほどの佐藤の本について、証拠を基に否定するならともかく、全く触れない本ばかりである。この本に触れずに下山事件を語るのがまずおかしい。「全研究」という位だから、この本に論点は皆出ている。他殺説を唱えるなら、佐藤一「下山事件全研究」を「全否定」するのがまず最初だろう。そういう作業をしないで、佐藤本を無視している。そういう人の狙いはまた別のところにあるのだろう。

 佐藤一には「被告」という本もあるようだが、僕は読んでいない。下山事件研究をまとめた後は、他の冤罪事件を調べている。当時、死刑再審事件として大きな注目を集め始めていた松山事件島田事件である。自分の体験もベースにあるだろうが、どちらの事件も古畑鑑定が大きな問題となっていた。その意味で、下山事件研究から引き続くものがある。「松山事件 血痕は証明する」(大和書房、1978)と「不在証明 島田幼女殺害事件」(時事通信社、1979)の2冊の本は、どちらも再審無罪が勝ち取られた現在では忘れられた本だ。僕も今回佐藤一氏の本を振り返ろうと思うまで忘れていた。(松山事件は宮城県北部の事件。1984年無罪。島田事件は静岡県島田市の事件。1989年無罪。)
 
 その後の佐藤は、1949年の「謀略の夏」史観を批判し続けた。「下山・三鷹・松川事件と日本共産党」(三一書房、1981)、「一九四九年『謀略の夏』(時事通信社、1993)、「松本清張の陰謀」(草思社、2006)と続いて行く。「謀略の夏」というのは、49年の「三大怪事件」の結果、占領軍の謀略で左翼勢力は壊滅させられ、以後の「逆コース」が仕組まれていったという「陰謀史観」のことである。

 佐藤は49年の国労大会の原史料を発掘し、全部読んで解読した結果、占領軍の謀略など要するまでもなく、国労内の共産党勢力は退潮し支持を失っていたことを明らかにした。また「松本清張の陰謀」では、「日本の黒い霧」の様々な項目について反論している。僕が思うに、清張「黒い霧」が主張した「伊藤律スパイ説」は本人が北京に実在して帰国後の反論があって崩壊した。また「黒い霧」で様々な怪事件が発生したのは、50年6月の朝鮮戦争勃発がアメリカの陰謀であるという方向でまとめられている。それはソ連崩壊後の諸資料ですでに、朝鮮戦争は金日成(キム・イルソン)が主導して、スターリンと毛沢東が承認して始まったことが証明された。それだけで、「黒い霧」の根拠は崩れている。

 ところが「下山事件謀殺説」だけは生き残っていくのである。何故か?21世紀になっても、そういう本は出てるし、そこに佐藤著は登場しない。09年に亡くなった後、遺著「下山事件 謀略論の歴史」(彩流社、2009)が出たが、これは存命中に手を入れられなかったこともあり、ほとんど語りおろしというか、いくら何でも流れ過ぎだろうと思う箇所も見られる。「謀略論批判のトーンの高さに違和感を持たれる方もいるかもしれない」と編者も書いている。しかし、いくら論理的に批判しても、反論ではなく無視されるということが続いたのである。そういう怒りを感じることができる。
   
 戦後日本では左右を問わず「陰謀史観」が大好きなのだ。「自分では決められない」国際的位置にある不安と屈辱は、「すべては占領軍の陰謀」という言葉に魅力を感じさせるのだろう。右は右で「占領憲法」が諸悪の根源のように言うし、左は左で「占領軍が革命を阻止した」かのごとく語る。自分の過去の過ちを認識できないのである。戦後史の思想状況を振り返るために、佐藤一氏の本は意味を持っている。事実に基づかない主張が結局は誰を利するか。少なくとも「下山事件全研究」が出てこない下山事件の本、いや戦後史の本は信用できない。(井出孫六「ルポルタージュ 戦後史」(岩波書店、1991)は数少ない、佐藤説を評価して自殺説に立つ本だった。そういう例外もある。)
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5 コメント

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ああ、この人だ (Unknown)
2018-02-14 05:40:48
去年、国会図書館で偶然この方の主張を見たのを思い出した。
パソコンで雑誌閲覧していたら『展望』という雑誌で松本清張さん批判を展開していたはず。
それ以来ちょっと気になっていたが名前を失念していた。
もし図書館にあれば読んでみたいです。
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佐藤一さんの本 (ogata)
2018-02-15 20:53:28
 今は新刊で買うのは大変だと思いますが、結構図書館にはあると思います。特に「下山事件全研究」は面白いので是非読んで欲しいと思います。私の地元図書館を検索したら、入ってました。

 ただ、「下山事件全研究」の他の本は、もともとあまり知られてなくて、図書館にはないかもしれません。なかなか探すのも難しいかもしれません。



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他殺説の根拠の一つは (さすらい日乗)
2018-03-23 09:54:03
当時、国鉄総裁というのは今では想像できないほど偉い人だった。「そんな人が自殺するはずがない」という思い込みが国民にあったと思う。

今では、社長など社会的に地位のある人がうつ病で自殺するなど、いくらもありますが。
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権威に弱い人たち (Unknown)
2018-04-02 18:01:13
紹介されていた本、図書館にありました。
でもあまりにも分厚くて大きな本なので、さすがに読む意欲がなくなりました。
テーマがテーマだけに残念です。
一般人が手に取れそうなものにしてほしい。
だなどと思っていたら、つい先日踏切で長時間待たされていた折、あるお婆さんから電車事故の話から松川事件について話をふられました。
その人は松川事件から下山事件もあったと言い始めたので下山事件は自殺という話を松川事件の被告だった人が語られているようだがとふってみたら、殺されたんだの一点ばり。
松本清張さんの言う通りだで思考停止でした。
世の中ってそんなものなのでしょう。
医学の進歩などで当時の死亡鑑定は疑問視されているようですよと、流しておきました。
でも馬耳東風でした。

これと似たこと、私の子ども時代にテレビで見たような気もします。
免田栄さんが無罪になった時に「奴が犯人じゃなきゃ誰が犯人なんだい」と発言したタレントがいませんでしたか?
思い込みと異論を無視するだけの感情論丸だしの人たち。権威に弱いのも共通点でしょうか。
いわゆる歴史修正主義者たちのホラ話は論外ですが、反対意見の持ち主たちを唸らせるだけの
根拠に基づいた論説を展開する者には、もう少し聞く耳・見る目を持たなくてはと思います。
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Unknown (ジャベリン)
2022-05-31 15:14:08
「松本清張の陰謀」を読みました。
この本には遺体に大量に付着した米糠油が下着類に集中し、上着には少なかった理由が書いていない、この点は残念です。
著者と清張の間に何か行き違いがあったのか、感情的な表現で批判している所も、説得力を欠き、逆作用に感じます。多くの他著、下山作家たちが彼の著述に触れないのもそれが原因かと存じます。
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