22日にシネマヴェーラ渋谷で行われた荒木一郎トークショー。立ち見(まあ、通路に座り見だが)だったけど、まあ滅多にないからと思って見ることにした。これがとても面白くて、荒木一郎の天才性の片鱗を十分に堪能することができた。トークの前に、映画「脱出」の上映。「脱出」と言われると、僕なんかは、1972年に公開されたアメリカ映画「脱出」を思い出してしまう。ジョン・ブアマン監督の、今ではカルト的人気を誇るサバイバル・ムービーで、最近原作が新潮文庫で復刊された。
まったく同じ年に、日本でも「脱出」という映画が作られ、公開されずにお蔵入りした。ただ一本残るフィルムが今回発掘されて、荒木一郎特集で特別上映された。途中でフィルムのブレが多い時間があり、また全体にカラー画面の退色が著しい。だけど、話自体は通じる。西村京太郎原作の犯罪映画だけど、それほど大した映画でもない。和田嘉訓監督の演出を荒木が批判的に回顧していたけど、まあそういうことなのかもしれない。でも原作そのものが面白くないんじゃないかと思う。
明日ブラジルに向かうことを夢見る黒人系青年がいる。(黒人米兵と日本人の母親との間の子どもなんだろう。)世話になったバーにあいさつに来たら、白人客に暴言を浴び、店の外で争う。その白人は頭を壁に打ち付けて死んだように見える。同じ施設で育った女友だちの勤める店に逃げていくと、そこにいた週刊誌記者の荒木一郎が事件を知る。荒木は青年をブラジルに逃がしてやろうと客同士に持ち掛け、集団で女友だちに部屋に行く。そこに怪しい男が現れ、一緒に横浜のなじみ客の家に押しかけ、占拠する。ここに登場した男たちの素性は一体何か。
たまたま同じ店の客だったというだけで「逃がしてやろう」となるのは、70年代初期に「反体制」的な熱気が残っているということである。だけど、お互いに何者かわからないのに、そんな危ないことをしでかす。中に「過激派」の幹部がいて、結局引きずられていくことになる。その後の展開も理解できないことが多く、荒木一郎も何のためにいるんだか、取材のために始めたことなのか、よく理解できない。
「過激派勢力」による占拠事件という風にとらえると、連合赤軍の「あさま山荘事件」を思い起こさせると言われるのも判らないではない。でも、それも大げさすぎる単純な犯罪映画だと思う。作品に力があれば、どこかの時点で公開されていたのではないか。大スターが出ているわけでもなく、そのまま公開の機会を失ったということなんだろう。
それよりブラジルへの客船、「ぶらじる丸」が出てくるのが貴重ではないか。戦後のエネルギー政策転換などによるブラジル移民を大量に乗せていった客船である。講和条約後に作られた大型商船で、1954年に竣工した。ホノルルへの立ち寄りもあり、ある時期までは好調だったが、日本の経済成長とともに南米移民が少なくなり、客が少なくなった。1973年が最後の航海で、それも「第一回日中青年友好の船」だという。年3回程度の航海だったというから、1972年製作のこの映画でも本当の航海シーンではなかったのかもしれない。(船自体は明らかに「ぶらじる丸」だと思うんだけど。なお、その後鳥羽市で海上パビリオンとして利用されていたが、1996年に閉館。中国に買い取られて、広東省湛江市で今も海上パビリオンとして使われているという。)
その後、映画に出演していたフラワー・メグとともに、黒いメガネ姿の荒木一郎が登壇。この映画を含めて、いろんな映画の思い出を語った。次の特集の芹明香をはじめ、池玲子や杉本美樹などは荒木一郎のプロに所属していた。芹明香の売り出し時のエピソードなども興味津々。杉本美樹が出るのと同時に出演を依頼された「0課の女」では、途中で死ぬはずが監督の意向でセリフもないままずっと活躍していく。「芝居をする」ということと「映画を撮る」ことの違い。「白い指の戯れ」でもベッドシーンは大体荒木一郎が自分で演出してしまったという話。
結局、歌手や俳優として若いときから活躍してきて、カメラに向かってどう演技すればいいかと熟知している。脇役の時は主役を食うように計算し、主演の時は映画全体を考えて演技を付ける。その緩急が判っている人、映画の演出を判っている監督は少ないという。経験した中では、東映の中島貞夫が一番だという。中島監督作品にはたくさん出ているが、「現代やくざ 血桜三兄弟」は脚本がよく出来ていたという。ホンがいいと、現場の演出で変えられるところが小さく、脇役としてはつまらない。でも、その中で渡瀬恒彦に演技を指導し、脇役として存在感を発揮していく。でもカットされてしまった場面もあるという話。話は尽きないけど、実に面白い話が満杯で、何事につけ天才と言われるだけのことがあるなあと感心した次第。
まったく同じ年に、日本でも「脱出」という映画が作られ、公開されずにお蔵入りした。ただ一本残るフィルムが今回発掘されて、荒木一郎特集で特別上映された。途中でフィルムのブレが多い時間があり、また全体にカラー画面の退色が著しい。だけど、話自体は通じる。西村京太郎原作の犯罪映画だけど、それほど大した映画でもない。和田嘉訓監督の演出を荒木が批判的に回顧していたけど、まあそういうことなのかもしれない。でも原作そのものが面白くないんじゃないかと思う。
明日ブラジルに向かうことを夢見る黒人系青年がいる。(黒人米兵と日本人の母親との間の子どもなんだろう。)世話になったバーにあいさつに来たら、白人客に暴言を浴び、店の外で争う。その白人は頭を壁に打ち付けて死んだように見える。同じ施設で育った女友だちの勤める店に逃げていくと、そこにいた週刊誌記者の荒木一郎が事件を知る。荒木は青年をブラジルに逃がしてやろうと客同士に持ち掛け、集団で女友だちに部屋に行く。そこに怪しい男が現れ、一緒に横浜のなじみ客の家に押しかけ、占拠する。ここに登場した男たちの素性は一体何か。
たまたま同じ店の客だったというだけで「逃がしてやろう」となるのは、70年代初期に「反体制」的な熱気が残っているということである。だけど、お互いに何者かわからないのに、そんな危ないことをしでかす。中に「過激派」の幹部がいて、結局引きずられていくことになる。その後の展開も理解できないことが多く、荒木一郎も何のためにいるんだか、取材のために始めたことなのか、よく理解できない。
「過激派勢力」による占拠事件という風にとらえると、連合赤軍の「あさま山荘事件」を思い起こさせると言われるのも判らないではない。でも、それも大げさすぎる単純な犯罪映画だと思う。作品に力があれば、どこかの時点で公開されていたのではないか。大スターが出ているわけでもなく、そのまま公開の機会を失ったということなんだろう。
それよりブラジルへの客船、「ぶらじる丸」が出てくるのが貴重ではないか。戦後のエネルギー政策転換などによるブラジル移民を大量に乗せていった客船である。講和条約後に作られた大型商船で、1954年に竣工した。ホノルルへの立ち寄りもあり、ある時期までは好調だったが、日本の経済成長とともに南米移民が少なくなり、客が少なくなった。1973年が最後の航海で、それも「第一回日中青年友好の船」だという。年3回程度の航海だったというから、1972年製作のこの映画でも本当の航海シーンではなかったのかもしれない。(船自体は明らかに「ぶらじる丸」だと思うんだけど。なお、その後鳥羽市で海上パビリオンとして利用されていたが、1996年に閉館。中国に買い取られて、広東省湛江市で今も海上パビリオンとして使われているという。)
その後、映画に出演していたフラワー・メグとともに、黒いメガネ姿の荒木一郎が登壇。この映画を含めて、いろんな映画の思い出を語った。次の特集の芹明香をはじめ、池玲子や杉本美樹などは荒木一郎のプロに所属していた。芹明香の売り出し時のエピソードなども興味津々。杉本美樹が出るのと同時に出演を依頼された「0課の女」では、途中で死ぬはずが監督の意向でセリフもないままずっと活躍していく。「芝居をする」ということと「映画を撮る」ことの違い。「白い指の戯れ」でもベッドシーンは大体荒木一郎が自分で演出してしまったという話。
結局、歌手や俳優として若いときから活躍してきて、カメラに向かってどう演技すればいいかと熟知している。脇役の時は主役を食うように計算し、主演の時は映画全体を考えて演技を付ける。その緩急が判っている人、映画の演出を判っている監督は少ないという。経験した中では、東映の中島貞夫が一番だという。中島監督作品にはたくさん出ているが、「現代やくざ 血桜三兄弟」は脚本がよく出来ていたという。ホンがいいと、現場の演出で変えられるところが小さく、脇役としてはつまらない。でも、その中で渡瀬恒彦に演技を指導し、脇役として存在感を発揮していく。でもカットされてしまった場面もあるという話。話は尽きないけど、実に面白い話が満杯で、何事につけ天才と言われるだけのことがあるなあと感心した次第。
まあ、横浜が出てくるという程度とも言えますが。占拠する家は山手の豪邸で、埠頭を襲うという設定ですね。(なお、僕もその日に午後の会に2本を見てました。)
「和田監督は大したことない」と以前に見た『自動車泥棒』で十分に分かっていましたので。
荒木一郎は、あの何を考えているのか分からない不気味さが凄いですが、実はいろいろと考えて演技していたのですね。
今度出る本が楽しみですね。