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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

グル・ダット監督「渇き」

2011年10月13日 00時27分19秒 |  〃  (旧作外国映画)
 先週アテネ・フランセ文化センターで見た映画。インドの巨匠(と今は認められている)グル・ダット(1925~1964)については、紀伊國屋レーベルからDVDボックスが出ていて、代表作「渇き」「紙の花」「55年夫妻」が入っている。しかし、劇場で見られる機会はほとんどないので、僕は「渇き」は3回目になるんだけど出かけていった。最初に見たのは、1988年の大インド映画祭、二度目は国際交流基金でやった2001年のグル・ダット映画祭。もう10年前なんだ。その時はいつも軽妙な助演者をグル・ダット映画で務めていたジョニー・ウォーカーが来日して監督の思い出を語っていた。(「ジョニー・ウォーカー」って芸名のインドの俳優です。)

 日本でのインド映画はATGや岩波ホールでサタジット・レイをやるぐらいで、昔はほとんど見られなかった。その後アラヴィンダン「魔法使いのおじいさん」などが紹介され、98年には「ムトゥ 踊るマハラジャ」が日本でもヒットして、一時「マサラ・ムーヴィー」なんて言われた。最近はあまり公開されないし、インドそのものへの関心も昔より衰えているのかもしれない。グル・ダットは最近評価がものすごく高くなってきて、タイムズが世界映画100選に「渇き」を選んでると言う。ロンドンのパキスタン系少女を描いた「ベッカムに恋して」という映画(題名を見ただけでは判らないが、英国のパキスタン系家庭で生きる少女が女子サッカーに夢中になる佳作)でも、確かグル・ダットの映画が引用されていた。

 「ボリウッド」(インド映画の中心地ボンベイ(現・ムンバイ)にハリウッドをかけて、そう言う)映画では、突然歌と踊りが画面を乱舞するのがお約束で、アクション映画でも恋愛映画でも社会派映画でもそれは皆同じ。ミュージカルと言ってもいいけれど、そういうジャンルがあるというより、一部の芸術映画を別にして、すべてがそうなっている。グル・ダットの映画も同じなんだけど、「渇き」は売れない詩人の映画ということで、歌の歌詞が素晴らしい。自作の詩を歌うという設定で、愛を歌い、社会を歌う。詩的な映画にして、社会的、哲学的な映画という稀有な映画体験ができる。素晴らしい詩とダンスというのは、見ていて実に快い。筋は案外簡単で、売れない詩人、心やさしい娼婦、捨てられた昔の恋人、金持ちの出版社の社長(昔の恋人の夫)と言ったタイプ分けとしては紋切型。でも、詩人役を監督グル・ダット本人がつとめ、彼を世界の中でただ一人評価してくれる娼婦グラーブ役のワヒーダー・ラフマーンが美しい。この映画のラフマーンは「聖なる娼婦」というタイプの代表を作ったと言える。そのあまりのはまり役に、現実世界で監督と「不倫関係」になってしまった。グル・ダットの苦悩の人生は、作品を生み出せなくなり、39歳にして自ら命を絶つことになった。しかし、この映画を見ればわかるが、詩人と娼婦、つまりはグル・ダットとラフマーンの恋は宿命的としか思えない

 愛を歌うロマンティックなムードにも満ちているが、それよりも階級社会において真実を守り通すことの難しさ、そして「自分」を利用されることへの激しい拒否が印象的である。「世界を燃やし尽くせ」と最後に歌う奇跡のようなシーンが素晴らしい。あらすじは他のサイトで見られるので書かないけど、筋立てを書いてもご都合主義にしか見えない。そういう娯楽映画の文法で書かれている。偶然に次ぐ偶然で、主人公は人々と出会い事件に巻き込まれる。しかし、そういう筋が大切なのではなく、歌に込められた詩的なメッセージが語る、人間の誇りへの思いがこの映画を傑作にしている。そういう意味で映画的快楽の本質とは何かと考えさせてくれる。

 内田吐夢(とむ)監督「たそがれ酒場」(1955)も同じ日に見た。これも「歌謡映画」だった。こんな日本映画を見たことがないというような不思議な映画で、酒場に中二階みたいな歌を歌うコーナーがあって(この酒場のセットを作った美術がすごい。日本映画を支えた技術陣に目を見張る)、そこでリクエストに応じていろいろと歌ったり、レコードを掛ける。のど自慢大会もあれば、ストリップもやる。そんな酒場でグランドホテル形式でいろんな人々を描き分ける。歌謡曲だけでなく、革命歌からオペラまで出てくる。オペラは「カルメン」の「闘牛士の歌」。革命歌は「若者よ」で、西沢隆二(ぬやま・ひろし)がゾルゲ事件追悼集会のために書いた歌。製作された55年と言えば、「六全協」の年だが教授と学生と思われる一団が立ち上がって歌いだすと、東野英治郎演じる元軍人が止めろと怒鳴りだす。そういう、歌をめぐって社会の分裂をあぶりだす、珍しい趣向。内田吐夢と言う監督も、重厚な時代劇や大作「飢餓海峡」の印象が強くなってしまったが、異色作がたくさんあり再評価が必要。「若者よ」という歌は「日本の夜と霧」で印象的に使われているが、今読むとすごい歌詞である。「おけら」というサイトで聞くことができる。歌詞は次の通り。「若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が たくましい体に からくも支えられる日が いつかは来る その日のために 体を鍛えておけ 若者よ」。その日って、革命に立ち上がる日のことで、革命のために体を鍛えろという意味だと解説しておかないと、今では判らないだろう。
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奈良岡朋子のカウンセリング力

2011年10月12日 00時14分59秒 | 演劇
 劇団民藝の「カミサマの恋」。新宿・紀伊國屋ホール。19日まで。「新劇」は今や伝統芸能に近く、歌舞伎や相撲みたいに働いてるといけないような時間にやっている。15公演中、11回がマチネ(昼公演)で夜は4回しかない。僕は昼でもいいようなもんだけど、夜だけの安いチケットで見た。僕はいわゆる「新劇」(俳優座や文学座、民藝などの「歴史ある劇団」のこと)をそんなに見てるわけではなくて、(文学座アトリエ公演はまあ別として)ちゃんとした公演は安月給の若い公務員には高く、宇野重吉も杉村春子も実は生で見てない。その頃は唐十郎や別役実、井上ひさしなどしか関心がなかったのである。

 この「カミサマの恋」は、青森の畑澤聖悟の作で、奈良岡朋子が主演。奈良岡朋子は「"カミサマ"遠藤道子のもとへは嫁姑問題、息子の受験、息子の結婚相手探しなどなど何かしら家庭の悩みごとを抱えた人びとがひっきりなしに訪れている。」という「カミサマ」役。これはイタコかと思うと、そういう死者の魂を呼ぶ「ホトケオロシ」もやらないわけではないが、普段は「竜宮さま」という神の言葉を伝えている。そこに様々な問題が持ち込まれるわけだが、だんだん自分の家族のイザコザも持ち込まれてくる。そこで、この「カミサマ」という装置が実にうまく働いて、いろいろ「解決」したりしなかったり…。

 奈良岡朋子、1929年生まれ、81歳の素晴らしい驚異的セリフ力で、実にみんな周りがなんとなく動き出していく。これは「カミサマ」を信じているのか、いないのか、信じてないけどフリをしてるのか。台本、演出、演技の見極めはいろいろ解釈もあるだろうけど、僕の考えを書いては詰まらないから書かない。それよりこんなすごい「カウンセラー」を僕は見たことないですよ。実際のカウセンラーや教師のどんな人より。まあ、そういう風に書かれているとも言えるが、やはり一番の功績は、長い芸歴で鍛えられてきた奈良岡朋子の存在の大きさそのものだと思う。奈良岡朋子と仲代達矢が共演した「ドライビング・ミス・デイジー」では、僕はスタンディング・オベーションを経験してる。

 作者の畑澤聖悟は青森中央高校の現役美術教員で、「修学旅行」「親の顔が見たい」などの作品がある。高校演劇の世界で活躍してるけど、「渡辺源四郎商店」という劇団を主宰している。東京でも公演予定があるが、それよりブログを見ると「もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」を青森中央高校演劇部で被災地応援公演をすると書いてある。今年の地区大会出場作という。「27人の高校生(演劇部員全員)が舞台狭しと駆け回るこの舞台では、全員が劇中歌を歌い、全員がBGMを口三味線でハミングし、効果音さえも役者が声で発します。劇中に野球の試合の場面がありますが、その際の観客の歓声、応援団やチアリーダーの声援、バットがボールを捕らえる打撃音など、全ての音響効果が役者の肉声のみで表現されます。このように躍動する高校生の姿をお見せすることによって、観客に元気を届けたいと考えています。」という芝居という。これ、見たいですね。

 ところで、関川夏央「昭和が明るかった頃」(文春文庫)を読んだ。2004年に文庫されたので7年間枕元で積まれてた。(別に特に長い方ではない。)吉永小百合と石原裕次郎を中心に、日活映画の分析を通して「昭和後期」の精神史を追及した本。吉永小百合は、一人で家計を背負い、役柄通りのマジメ一途の青春を送ったさまが印象的。日活は戦時下に製作中止に追い込まれ、戦後遅くに製作に乗り出したときに圧倒的に俳優不足だったという。そこに「石原裕次郎」という新星が登場する理由があるが、同時に民藝とタイアップし民藝の俳優が助演者として大量に日活映画に出た。最近舟木一夫特集というので、「花の恋人たち」という変な映画を見た。そこでも吉永小百合は「超マジメ」な「女医の卵」をいつもように空回り気味に演じていたが、彼女には福島で病院の下働きをして娘を支える母親がいる。それが奈良岡朋子で、雇い主の医者が宇野重吉。吉永小百合の「真面目さ」は奈良岡の母親役の支えがあって(役としては反対だけど)、画面の中で意味を持っていた。こうして映画を通して、奈良岡朋子は実際に吉永小百合の年長のアドヴァイザーとして私的に付き合っていたらしい。吉永小百合が親に許されない結婚をしたとき、小百合側の知人として付き添ったのが奈良岡朋子だったと関川著に書いてある。奈良岡朋子と言う人は、現実に「カウンセラー」だったのだ。それを思うと、「カウンセリング・マインド」と言って教師が一生懸命研修しているものの意味を改めて考えさせられる。
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凄まじすぎる!「大阪府教育基本条例(案)」

2011年10月10日 20時19分40秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 大阪の「教育基本条例案」については、ついちょっと前にこういう風に書いた。「最近の「教育基本条例」については書いてないけど、もう呆れ返ってこんな小さなブログで書く気も起こらない。近々あるらしい「知事・市長ダブル選」で大阪の人に頑張ってもらうしかない。もはや教育論議の枠を超えて、「独裁」権力といかに立ち向かうかに移りつつあると言うべきか。」ところが8日の教員免許更新制廃止に向けたシンポジウムで、中央大学の池田賢一さんが学生と一緒に読んで見たら、あまりにすごくて学生が大笑いしたと言っていたので、やはり読んで見ようかという気になった。

 僕はこの条例案をマスコミで知って、「学校をピラミッド化し、校長中心の組織を徹底する」、さらに「知事の命令で教育が進められるように政治主導にする」、「エリート教育化を進め、格差を広げる」、「教員の成績評価で下位が連続すると免職もありうる制度として、教員の競争を激化させ校長の意向に沿わせるようにして、教員の意欲をそぐ」というものだと思った。全部間違っていないが、なんとそれだけでは済まなかった。ここまでくると、やはり「社会改造運動」であり、「ハシズム」ならぬ「ファシズム」運動に近づいているような気がする。この驚くべき条例案は、大阪の人だけでなく、全国民が全力で止めるべき内容だ。マスコミももっと細かく内容を伝えて欲しい。大阪府議会のホームページに出ているが、批判派の「自由法曹団」のホームページにアップされている方が見やすいので、検索するとこれが出てくる。そこにリンクを張っておくことにする。

「保護者」の義務 この条例は学校の内部の問題で、教育委員会や校長や教員の問題だと思ってる人が多いと思う。しかし、何と「保護者の規定」がある。以下、引用。
 (保護者)
第10条 保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない。
2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。
3 保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。

 ねっ、すごいでしょ。保護者には学校運営に主体的に参画する努力義務が課される。さらに「不当な態様等で要求等」の禁止規定。子供への基本的生活習慣の教育義務。そりゃあね、「モンスターペアレント」もいるだろうし、基本的生活習慣が身についてない生徒なら一杯いる。しかし、それを条例で禁止、強制してどうなるというんだろう。子供の生活習慣の背後には、貧困や差別、経済や住宅や医療や福祉などの問題が潜んでいる。ただ条例で決めて親に徹底できる問題ではない。むしろ、政治家に貧困や福祉の問題を解決する努力義務を課す方が先ではないのか。この条項を読むと、学校だけの問題ではなく、社会改造運動を目指していると僕が考えるのが判ってもらえると思う。

(児童生徒に対する懲戒)
第47条 校長、副校長及び教員は、教育上必要があるときは、必要最小限の有形力を行使して、児童生徒に学校教育法第11条に定める懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。
2 府教育委員会は、前項の運用上の基準を定めなければならない。

 この「懲戒」と「体罰」はどこが違うのか?運用基準を作ると言ってるけど、「有形力の行使」が容認されている。そりゃあ、言うことを聞かない生徒に強い口調で指導しなければならない時はあるだろうし、親の方から「言うことを聞かない時は、いつでもたたいてくれ」なんて言われる時もある。でも、この条例が通ると教員は他のクラス、他の教科などに負けられない強い競争の中に放り込まれる。成績評価が身分に直結するから、学校全体、学年全体で協力、連帯して生活指導に当たることはできない。一人で悩んで生徒に強く出なければならないプレッシャーに直面する。そこで「有形力の行使」を認めれば、「隠された体罰」が横行することは目に見えている。親は「不当な要求をしてはならない」から、学校に疑問をぶつけることはもはやできない。そうなるに決まってる。

(学校法人化等による分限免職)
第40条 学校法人化等により職制が廃職される場合で、当該職制に所属する教員等が学校法人化等された当該事業に再就職する機会が与えられている場合は、原則として当該職制に所属する教員等を分限免職することができる。

 これはなんだろう?府立学校(高校、特別支援学校)に関する条例でしょ。「法人化」への方向が明らかにされているのか?公立学校を「民営化」していく志向があからさまに示されている。しかも「再就職する機会が与えられている」とは「再就職する」ではないので、「機会」さえ与えればよい。就職の有無は新法人の側で選考するから、落とされても府の側で責任はない。要するに、旧法人の国鉄(清算事業団)を解雇されても、新法人のJRが雇用する義務はないとされてしまったのと同じ。こうして組合活動家などは排除して「学校民営化」がもくろまれていると考えるのは、考え過ぎか?

懲戒規定のすさまじさ
 あまりに長くなるので全部引用できないが、東京都教委もずいぶん面倒くさくなったけど、その比ではない。あらゆる事例を網羅しようと、次のような規定まで書き込んである、この文案を作った人の「暗い情熱」には驚きを通り越して背筋が寒くなる思いがする。
 42 放火をした教員等 免職
 43 人を殺した教員等 免職 是非、全73項目を自分で確かめて欲しい。

教員の勤務規定では、「教員は、自己の崇高な使命を深く自覚するとともに、組織の一員という自覚を持ち、教育委員会の決定、校長の職務命令に従うとともに、校長の運営指針にも服さなければならない。」とされている。一方、校長は、授業・生活指導・学校運営等への貢献を基準に、教員及び職員の人事評価を行う。人事評価はSを最上位とする5段階評価で行い、概ね次に掲げる分布となるよう評価を行わなければならない
  (1)  S   5パーセント
  (2)  A   20 パーセント
  (3)  B   60 パーセント
  (4)  C   10 パーセント
  (5)  D   5パーセント
 東京では、この%強制をめぐり問題化しているが、東京の4段階と違い大阪は5段階でBの6割が異常に多い。これは「行わなければならない」で努力義務ではなく決定である。この「6割が真ん中」が曲者で、普通にやってれば真ん中に入れそうで、「すごく優秀な教員」は別格として、「普通の教員」と「病気や介護などを抱えてしんどい教員」の間にくさびをうちこみ、学校の連帯を完全に壊す意図がはっきりしている。しかし、下位の5%が連続してDをつけられて免職になったら、今度は残りの95%の中で下位の5%にDをを付けなければならない。絶対評価でなく相対評価なので、永遠に競争は続いて行く。

 一方、「府は、自立支援が必要な児童生徒、学習障がい及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒が等しく教育を受けるために必要な措置を講ずるよう、努めなければならない。」とされ、府がやらなければならないことは「努力義務」で済まされている。これこそ「講じなければならない」とするべきところでしょ。「心身の故障の場合」の冷たさも印象的だし、「行方不明の場合」なんかまでわざわざ決めてある。

 全体を通じて、何でも条例で規定してしまおうというその精神そのものが危険きわまりない。この恐ろしさはやはり大阪だけの問題ではなく、皆で共有しなければならないと思う。
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「不在」のドラマトゥルギー-六本木少女地獄をめぐって」⑤

2011年10月07日 23時53分04秒 | アート
 吉田秋生(あきみ)の傑作漫画(中原俊により2回映画化された)「櫻の園」の舞台となっている私立女子高(桜華学園)では、創立記念日に演劇部がチェーホフの「桜の園」を公演することが恒例になっている。「桜の園」には主要登場人物だけで12名いて、1990年の映画では3年生役だけでキャストを組んでいる。2年生が舞台監督や照明、音響などに当たるわけである。まあ毎年やるんだったら大道具や照明プランは大きく変える必要はないだろうけど、それにしても豪華な設定。各学年10名以上演劇部員がいるのである。30人以上も演劇部に所属している学校なんてそうはないだろう。演劇は極端に言えば一人芝居でもいいわけだけど、野球は9人はいないとチームにならない。福島県の原発事故周辺地域では避難などで部員が減った高校は合同して夏の大会に出場できた。

 演劇部で自作するときは当然「あて書き」するわけである。人数が少ない演劇部では「桜の園」はできない。既成の台本を改訂して人物を減らすことも考えられるが、それより部員数を考えて自分たちで書く方が早い。メンバーを見て、誰がどの役とあてはめて書いて行くのが普通だろう。(共作してもよい。)それは実際の演劇、映画でも同様で、主役は誰と想定して書いて行くことが多い。そうじゃないと「人物が動かない」だろう。

 ということで、3人しかいなかった演劇部のために書かれたのが「うわさのタカシ」。セリフのキレは抜群で、エチュードとして相当の完成度を見せている。「続編」(実は前日譚)的な「家庭教師のドライ」は登場人物が7名になっているので、「部員が増えた」と書かれている通り。「少女地獄」効果。しかし、ここで強い印象に残るのは徹底した「タカシの不在」ぶりである。いや、女子3人しかいない時は男子がやるべき「タカシ」はセリフの中にしか登場させられず、部員が増えた「ドライ」では実際のタカシが出てきているではないかと言うかもしれない。しかし、本質的に言えば「家庭教師のドライ」においても、タカシは不在であると思う。というかタカシはいるけど、タカシの中で「何か」が不在なのである。それは冒頭のセリフで示されている。このように「いるけど、いない」と言う人物は、「月の爆撃機」の両親もそうだし、「倉井さん」や「スズキくんの宇宙」の「金原」などは、設定そのものからして「いるけど、いない」とされている。作者は「タカシはいい奴」と書いてるけど、誰もそんなことを思う人はいないはずなのにそう書くのも、そのような本質的な部分にも根ざしていると思われる。(あと、「いるけど、いない」から作者がいじりやすいということもあるのだろう。)

 「六本木少女地獄」でも事情は同様で、というかもっと徹底されていて、「不在の父」をめぐる物語が展開されている。不在の父をあえて作り出そうとした「姉」は、父の物語をつくるというより、「神の創造」にも踏み込んでいると思う。「いるけど、いない」を超えて、「いないけど、いる(作ってしまう)」の段階に進んでいる。もちろん、その試みは成功しない。そもそも何故「父は不在なのか」。それは「出て行った」とされているが、本当だろうか?そのあたりの議論はおくとして、ここでは「六本木少女地獄」へと至る物語の基本構造が「不在」であることを確認したい。そのうえで、その「不在」の意味を考えてみたい。

 むろんニーチェ以後のすべての芸術は、本質において「神の死(不在)」以後の戯れとも言える。現代に書かれる戯曲はすべて「ゴドーを待ちながら」書かれているとも言える。でも、「不在」なのか「喪失」したのかの見極めは難しい。「少国民世代」(1930年代生まれ)である大江健三郎、井上ひさし、寺山修司、清水邦夫らは「信じたものに裏切られた」という体験から出発せざるを得なかった。だから物語の基調は「喪失」にある。清水邦夫の「狂人なおもて往生をとぐ」のサブタイトルが「昔、僕達は愛した」とされるように、「昔」があるのである。
 それは1949年生まれの村上春樹の世代になっても、少し様相は違うがやはり「喪失」感の強さが印象的である。一度は信じるものがあったからである。それは「革命」かもしれないし、「あの素晴らしい愛(をもう一度)」かもしれない。「高度成長」かもしれないし、あるいは、高度成長で完全に失われることになる「失われた故郷への追憶」かもしれない。このような感覚は僕にもよく理解できる。「昔あった」ことをまだ教えられているからである。

 冷戦終結(ソ連崩壊)バブル崩壊がすべてを変え、「テロ」によって社会の変容が完成した。もはや「いるけど、いない」「あるけど、ない」ものに囲まれた世界に中で僕たちは生きている。世界の中で生きるモデルが崩壊したあとでは、親や教師は指針を伝えていくことができない。「いるけど、いない」のと同じだ。医者は患者を診るのではなく、コンピュータを見てデータをあてはめていくだけで、それが現在の世界。政府も国会も裁判所も「あるけど、ない」わけで、「原子力安全・保安院」なんて、まさに「あるけど、ない(のと同じ)」だった。労働組合なんかも「あるけど、ない」ものの代表だろう。

 一見華やかなトーキョーという世界都市も、あるけど、ない。ないというのは、あるけど「実は死んでいる」と言う意味だ。六本木と言う町は「この街のぜーんぶ、なにもかも、みーんな、死んでるのよ」(243頁)このように戯曲のすべてを通して、基調となるのは「あるけど、死んでいる」世界の中で、「いるけど、いない」人々の「戯れ」をキレのいいセリフで語っていくことにあると思う。そして、「六本木少女地獄」の力技では、「いるけど、いない」の対象を神や人間の全歴史にまで広げて物語られている。だから僕は「六本木少女地獄」を、世代論が有効かどうかはまだ保留しておくが、「不在の世代」の自己表現の始まりとして、まずは捉えておきたい。その中身については、これからもう少し考えてみたい。

 さてところで、労働組合や社会運動は、本当は「あるけど、ない」のではなく、「あるけど隠されている」、「見えないようにされている」のだと僕は思う。「あるところにはある」のである。見る努力をしなければ見えないし、聞く努力をしなければ聞こえてこないものがこの世にはある。それを伝えるのは、やはり「言葉」への信頼しかないと思う。坂手洋二の「普天間」を見て、改めてそんなことを思った。
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異化効果の成果-「六本木少女地獄」をめぐって④

2011年10月06日 23時28分43秒 | アート
 「六本木少女地獄」が内にはらむ熱はとても熱く、他の作品の比ではないと言っていいだろう。他の作品は「若書き」のきらいがあるが、「六本木少女地獄」で「化けた」のは間違いない。「六本木少女地獄」は熱気ある面白い舞台なのだが、一見してどうなってるんだか判らない。世界が何重にも入り組んでいるように見え、話もあちこちに飛んでいくので登場人物の関係もつかみづらい。見ているうちになんとなくつながりが見えてくる気もするが、最後の方は登場人物も何がなんだかわからないくらいに入り乱れ、みんながシャウトして世界の混沌が現出する。この混沌の果てに、女にとって、子供にとって、人間にとって、「救い」や「赦し」は訪れるのだろうか?

 いや、ちょっと先走ってしまったが、この劇は地区大会と文化祭で上演されることを目的に作られた。多くの高校演劇の自作作品(高校生が自作するのは決して珍しいことではない)はそれで終わってしまうのだが、この「六本木少女地獄」は都大会(中央発表会)と関東大会(南)まで進出した。学校では文化祭の時には見られない生徒、教員が多いので、よりにもよって、2010年12月24日、それはたまたま学校がある昨年最後の日だったからで別にクリスマスイブに合わせたわけではないのは当然だが、「校内凱旋公演」(場所=六本木高校体育館)が行われたのである。そこで見ていた生徒のほとんどは演劇には縁遠いはずである。ヒット映画は見るかもしれないし、学校の演劇教室では観劇体験があるだろうが、高校生なんだから自前の金を出して演劇に行ったことなどないだろう。そういう観客の中で公演して、見ていた人はどういう感想を持っただろうか。僕が聞いた限りでは「何だかわからないけど、すごかった」「なんだか伝わるものがあった」というような人が多かったと思っているのだが。

 このような「劇世界の理解は難しかったが、セリフや演技を通して、重要な何かが伝わった」というのは、この劇の持つ「異化効果」がよく発揮されたものと僕は考えている。異化効果という言葉は主にブレヒトが演劇に導入したものだが、「日常においてあたりまえだと思っていたものに違和感を起こさせることによって、観客に対象に対する新しい見方・考え方を提示する方法」を言う。(ウィキペディアから一部省略して引用。)「ボクケントミントン」なる不思議なスポーツや引きこもりながら「想像妊娠」する少女など、まさに「あたりまえだと思っていたものに違和感を起こさせる」演劇手法そのものと言ってよい。ブレヒトは社会主義者だったわけだから、現実への違和感、新しい見方・考え方とは、資本主義への疑問を観客に提示し社会主義への展望へと進むことを意図していたのだろう。しかし、現実のブレヒトの劇は面白すぎた。特に松たか子を主演に迎えた「セツアンの善人」や「コーカサスの白墨の輪」の舞台では、松たか子に「同化」して見てしまったので、まあ中身を知ってて見てるせいでもあるけれど、異化にならなかったんだなあ。

 「異化」の反対語は「同化」。世の中にたくさんある美男美女の恋愛メロドラマやカッコいい男優のアクション映画は、見ている側が画面の向こうの俳優と同じ気持ちになり、一緒にハラハラドキドキすることで成立している。初めから「アイツラの恋愛がどうなろうが知ったことじゃない」と思ってたら、見る意味がない。実際、すごくつらいことがあった時期、例えば実際に失恋したときに見てしまった恋愛ドラマが全然面白く思えず、「ふざけてんじゃねえ」と思ったりすることがある。この「同じ気持ち」で演技を見るのが「同化」だから、「異化」とは「何だかわからん」「これは一体何なんだ」「誰も同情できないヤツばかりだ」と思って見ている場合である。もちろん作者の技術が下手だったり、俳優の演技が未熟だったりして、単につまらない芝居をしている場合も多い。しかし、「なんだかよくわからないが、ここには重要な表現とメッセージがある」と見ていて体が震えるような感情が起こる演劇や映画を見たことも結構多いと思う。そういう意味で「六本木少女地獄」は「異化効果」がうまく目論見通りに成功した珍しい演劇だったのではないかと思う。大体、あれほど登場人物皆が全然同化できない芝居も珍しいくらいだ。場面がどんどん変わるからあまり意識しないかもしれないが、「否定的人物」ばかりが登場すると言ってもいい芝居だった。

 しかし、それだけで終わっては「異化」は完成しない。その後「観客が考え続け、意識し続ける」ことがあってこそ、観劇体験と言えるのである。「六本木少女地獄」を見てしまった人、そして読んでしまった人、あるいは買ったけれどまだ読んでない人も含めて、これはどういう物語なんだろうと心の中で反芻して欲しいと思う。それが作者の願いでもあると思うし、僕がこのように何回も使って書いている理由なのだから。単に「面白いものを見れた」というのでない劇を見た(読んだ)意味はそこにあるのだと思う。(さて、そろそろ物語世界の中身に入る時期が来たようだけど…。)
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「まだここは神谷町」-「六本木少女地獄をめぐって」③

2011年10月06日 00時49分28秒 | アート
 「六本木少女地獄」の冒頭に「まだここは、」「まだここは、」「まだここは?」「神谷町だもの」というセリフがある。(239,240頁)この場面は僕には謎である。今回はこのフレーズだけにしぼって「深読み」と「誤読」を試みたい。「六本木少女地獄」をめぐって後1回か2回書くつもりだったけど、検討して見たらとてもそれでは終わらない感じがしてきた。また、「テクストのみ」で論じて、舞台を見ていたり作者を知っている「特権」は行使しないように書いたのだけれど、それでは済まない場合があることに気づいた。それで最小限の範囲で僕の知ってることを使って書いて行くことにする。

 北野武監督「キッズ・リターン」のラストに「俺たち、もう終わっちゃったのかな」「まだ始まっちゃいねえよ」という印象的な有名なセリフがあるわけだが、いったい「まだ」なのか「もう」なのか。「That is the question」。「思春期」「青春期」にあっては、小中高とどんどん学校も変わるし、何かが一端終わってしまったかのように感じることは誰にもあるだろう。しかし、さらに人生行路を歩んで見れば、思いもしないトンデモナイ出来事に遭遇し、「始まってもいなかった」と思い返すことも多いはずだ。

 六本木少女に取り、神谷町が「まだ」であるのは一見当たり前に見えるのだが、それは地下鉄日比谷線の北千住発中目黒方面行(南行)に乗っている場合の話である。(地下鉄日比谷線は、銀座・日比谷・霞ヶ関・神谷町・六本木・広尾・恵比寿・中目黒と駅が続いている。)中目黒発北千住方面行(北行)に乗っていれば、「まだ」は広尾でなくてはおかしい。神谷町に行ってしまっては「もう」である。さて、作者本人は「北行」で通学しているので、作者本人の実感としては「広尾」こそが「まだ」のはずなのに、一体なぜ「神谷町」が「まだ」とされるのだろうか。

 このセリフに僕がこだわるのは個人的な理由がある。当時自分は毎日「まだ神谷町だ」と思って生活してのである。六本木高校のような三部制高校では、教員の勤務時間がA勤務(朝型)とB勤務(夜型)に分かれている。僕は赴任当初の2年は望んでB勤務だった。(前任が夜間定時制で8年間夜型勤務だった。)他の三部制ではABを固定しているところもあるということだが、六本木高校では原則として勤務形態を途中交代することになっている。それがいいか悪いかは非常に大きな問題で、いろいろな議論があるが今は置いておく。ということで3年目から「希望せずしてA勤」になった。(いや、Ⅰ部(午前部)の生徒で今でも連絡がある生徒が多いので、A勤になったことは良かったと思うのだが、自分の希望は聞かれていないという意味。)そこでほぼ毎日、7時ごろに家を出て足立区の東武線竹ノ塚駅から直通の中目黒行に乗って通勤していた。1年ほどたったころにダイヤ改正があり、7時20分の始発ができた。そのため7時頃家を出て11分の始発を見送り、さらに2本ほど見送り、始発を待つ列の先頭の方に並んで20分発の始発に乗って座って行くというのが日課となった。(11分初の始発も座れそうな日が多いのだが、なんと霞ヶ関どまりなのである。)そこで座って本を読むのだが、眠くてウトウトしたりする。何しろ50分くらいは乗っているのである。人間の生理として、そういう時でも神谷町でハッと気づくようになった。「まだ神谷町だ。」これが日課になっていたので、僕はこのセリフがずいぶん気に入っている。このセリフにこだわる人が他にいるとは思えないので、ここに存分に書いている次第。

 さて、このセリフに関するもっとも簡単な解釈は、「字数の問題」と「神谷町が東京タワーの最寄駅」であるということだろう。今まで東京東部にしか関係がなかったので、東京タワーには何の関心もなく、何の象徴性も見出さない僕と違い、作者は東京タワーが「重要なイメージ」だと書いてるし。(連れられて行ったことは確か一回あると思うけど、自分で東京タワーに行ったことは一度もない。東京タワー下に作られたシネマ・プラセット特設上映館に鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」を見に行ったことはあるけれど。)しかし、それでは「神谷町が東京タワーの最寄駅」であるという事実は、見る人に周知されていることなのだろうか。神谷町は乗降の多い駅ではあるが、東京全体に(もちろん日本中に)知られている駅でもないだろう。日比谷線でも小伝馬町なんかと並び、どこにあるか知られていない方の駅ではないかと思うのだが。(もっとも東京の東部に住む人と西部に住む人は文化圏が違うので、神谷町はもっと有名な駅なのかもしれないが。)

 神谷町がそれほど有名な駅ではないという僕の判断によれば、「では、神谷町というセリフは入れ替え可能なのか」という問題になる。「銀座」とか「秋葉原」こそはもっと有名な、日本中が知ってる日比谷線の駅である。なぜ、あの有名な「アキハバラ」で降りずに、少女は六本木まで来たのだろうか?もちろんこの問いは、現実的には有効ではないだろう。作者が六本木高校に在籍していたという事情こそが、少女が「六本木」を目指さざるを得ない真の理由なわけだから。また秋葉原より六本木の方が「金持ちの男がいそうな街」だという事情もあるだろう。しかし、そういった事情を抜きにして象徴的なレヴェルで論じれば、「なぜ少女は秋葉原で降りなかったのか」という問いも成り立つはずだ。(実際、せっかく六本木まで来ても少女は金持ちではなさそうな少年に声を掛けている。この問題は後で別に考えるが。)

 ここで僕が言っているのは、六本木に電車で来るなら都営大江戸線もあるし、中目黒方面から日比谷線で来ることもできるのに、「まだ神谷町」と言うわけだから少女は中目黒方面行(南行)で来たとされるのはなぜなのかという問いである。これはどうでもいい小さな問題と思う人が多いかもしれない。しかし、日比谷線が持つ歴史と象徴性の中においては、「少女が北行線に乗っていたか、南行線に乗っていたか」は極めて重要な問題である。恐らく作者が考える以上に。1995年3月20日の朝、少女が歴史を飛び越えてその日に日比谷線南行に乗っていれば、神谷町どころか築地で停まってしまった。秋葉原でサリンが散布され小伝馬町駅で乗客によりサリンが駅に出されたという。一方、もし北行に乗っていれば、恵比寿でサリンが散布され六本木、神谷町間で被害が生じた。まさに神谷町で多くの被害者が救い出され、車両は霞ヶ関まで行った。あの忘れることができない「地下鉄サリン事件」を思う時、少女が南行に乗っていたか、北行に乗っていたか、は僕にとって意味ある問いなのだ。また2000年3月8日9時頃に日比谷線中目黒方面行に乗っていれば、六本木を通り過ぎ中目黒まで行ったならば脱線事故にあっていたことになる。この事故では高校生を初め5名が死亡している。

 サリン事件にも巻き込まれず、脱線事故にもあわず、秋葉原で降りて無差別殺傷事件に巻き込まれることもなく、「まだ神谷町」の次の六本木まで来られた少女は一体どこから来たのだろうか?もちろん、家出自体はどこから来てもいいのだし、実際は「作者の脳内」から現実界に亡命してきたのだろうけど。しかし、役者を目指して家にあった脚本を持ってきたというセリフからは、ある程度遠い所から東京へ出てきてしまったというニュアンスが感じられないでもない。そうすると日比谷線の南行に乗っているのだから、東武線直通で来たなら栃木県や群馬県もありうる。しかし、群馬県伊勢崎市や栃木県鹿沼市から家出してきたということは、事実がそうならそれでもいいけど、象徴的なレヴェルではあまり深い意味が感じられない。栃木県の県庁所在地の宇都宮からも東武線で来れないこともないが、宇都宮ならJRで来てしまわないか。そう考えると、JRで上野まで来て、そこで地下鉄に乗り換えたという可能性を検討しないといけない。新幹線を使えば、東北、新潟、長野方面に可能性が広がるが、家出中で体を売ろうとまですることを考えると新幹線を使うとは思えない。とすると、JRの通常の路線を使って来たのだろうか?宇都宮線や高崎線もあるが、ここは常磐線を使って福島浜通りから来たと想定してみたい。なんで福島の浜通りから2010年秋(?)に家出してきたのだろうか?

 それは深読みすれば、来るべき大津波と原発事故を作家が期せずして無意識レヴェルで予見してしまい、事前に少女を救出してしまったのである。これはたった一つのセリフから言えることではなく、明らかに「考え過ぎ」なのだが、このような想定を勝手にしてしまいたくなるほどに、この劇は熱いものを持っているのは確かだと思う。さらに「誤読」を楽しむと、「神谷町」ではなく「紙屋町」と解してしまい、ヒロシマが暗示されているという解釈もあるのだが、そこまで行けば明らかに誤読のレヴェルに入るだろう。(今日はとりあえずここまで。)
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千葉泰樹監督の映画を見る

2011年10月05日 00時08分33秒 |  〃  (日本の映画監督)
 千葉泰樹(1910~1985)は1950年代、60年代に東宝で娯楽映画を支えた監督である。ジャンルを超えた数多くの作品を残したが、映画作家としてはあまり評価されなかった。神保町シアターで2011年に「一年遅れの生誕百年 千葉泰樹」が行われ、その時初めていくつかの作品を見た。その時点で一度「千葉泰樹監督の映画」を書いたが途中になっていた。その後2014年にフィルムセンターで、2016年にシネマヴェーラ渋谷で特集上映が行われ、さらに多くの作品を見ることが出来た。
(千葉泰樹監督)
 千葉泰樹監督は特に獅子文六原作、加東大介主演の「大番」シリーズの大ヒットで有名だ。宇和島に生まれた株屋のギュ-ちゃんの波瀾万丈の戦前戦後を描いて、4部作となった。愛人として支える淡島千景、憧れの君の原節子なども印象的だし、仲代達矢、東野栄治郎などの助演も忘れがたい。娯楽映画作家としてのピークをなした。他にも「へそくり社長」は社長シリーズの原型となり、香港シリーズで海外ロケによるメロドラマを成功させた。
(「大番」)
 キャリアは長くて、1930年に早くも監督作品がある。日活で活躍した後、南旺映画で尾崎士郎原作で馬込文士村の人びとを描いた「空想部落」(1939)を作った。続く「煉瓦女工」(1940)は、紹介をコピーすれば「横浜・鶴見を舞台に、女工として働く貧しい少女と長屋の人々や朝鮮人の家族との交流を温かく描く佳作」。戦中の映画で朝鮮人が出てくるのは貴重で、朝鮮語のセリフもある。検閲で非公開となり、戦後の1946年にようやく上映された。

 戦後すぐに作られた「幸福への招待」(1947)、「生きている画像」(1948)はベストテンの下位に入った。佳作ではあるが満足度は小さい。それよりも、戦争直後の焼け跡や銀座を都電が走る場面のロケがある映画の方が面白い。「東京の恋人」(1952)がまさにそれ。勝鬨橋(かちどきばし)が開閉される場面があって、それがドラマの筋立てにも絡んでいる。1968年まで都電が走っていて、橋の開閉は70年が最後だという。この「勝鬨橋の開閉と都電」を見られるだけで価値がある。
(「東京の恋人」)
 銀座で靴磨きと似顔絵描き(原節子)と売春をする男女の青春物語。社長(森繁久弥)の宝石店と贋宝石つくり(三船敏郎)が絡む。東京には焼け跡があり、銀座も高層ビルが少ない。日本は貧しく、戦争や病気に苦しんでいる人がたくさんいる。でも、みんな明るい。希望と連帯がある。「私たちは貧しくても、正しく生きているんです」と原節子が言い切るが、セリフがが映画の中で浮いてなくてみんな感動できる。これが「戦後」なんだと僕は思う。ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめ」た人々である。

 石坂洋次郎原作の「山のかなたに」(1952)は、戦災を免れた東北の地方都市(横手?)の中学に赴任した青年教師・池部良とその周りの生徒、家族を描く。生徒の姉は疎開して洋裁を教えているが、頭にターバンをして煙草を吸うので家主の靴屋から出て行ってくれと言われている。ある日、洋裁の教え子がみんなで集まり、家主は頭が古い、先生を守ろう、女が煙草を吸ったからといって、なんで家を追い出されれなくちゃいけないんだ、みんなで談判しようと女だけで靴屋に押し掛ける。彼女たちのバックボーンにあるのは「新憲法をなんと考えているんでしょう」「男と女は平等になったのよ」という強い思いである。地方の女性も「敗北と新憲法を抱きしめ」たのである。

 また予科練帰りの年上上級生が下級生をいじめていると、下級生たちは最後に「団結しよう」と語って全員で反抗に立ち上がる。スターを使った娯楽映画の文法ではハッピーエンドに終わるが、現実にはそれほど明るくない。同時代の独立プロ映画を見ると、その事が判るが、それでも娯楽映画で「時代の希望」が描かれていた。村上龍は「希望の国のエクソダス」で登場人物に「日本には何でもあるが、希望だけがない」と言わせた。これらの映画にあるのは、その正反対の「日本には何もなくなっちゃったけど、希望だけはいっぱいある」という時代の空気が伝わってくる。

 「香港の真珠」と呼ばれた尤敏 (ユー・ミン)を主人公にした香港シリーズは3本作られた。ユーミンはこんな美女だったのか。60年代末期に実業家と結婚して引退、もう亡くなっているが、宝田明と共演した素晴らしいメロドラマシリーズである。最初の「香港の夜」(1962)はアメリカの「慕情」の影響が強いが、よくできたメロドラマで飽きない。香港は当然だけど、東京や柳川、雲仙の風景もロケされている。「香港の星」(1962)はシンガポール、マレーシアも登場し、ユーミンは医者となる。第3作「ホノルル・香港・東京」(1963)ではハワイの魅力も描かれ、加山雄三・星由里子の若大将コンビも助演している。とにかく楽しく見られるシリーズで、ユーミンの魅力にはまること請け合い。
尤敏 (ユー・ミン)
 東宝が中編シリーズを作っていた時期がある。「鬼火」(1956、46分)、「下町」(1957年、58分)など1時間もないが、瞠目すべき傑作。「鬼火」はガス会社の集金人加東大介が払えない人妻に迫るが…。ホラー系傑作。「下町」は戦争から返ってこない夫を待つ山田五十鈴、シベリア帰りの三船敏郎、戦争の傷を負う二人が結ばれそうになるが…。短いからこそ深い余韻を残す傑作だが、まだまだ貧しかった東京の風俗描写も興味深い。

 多くのエンタメ映画を残した千葉泰樹の生涯の代表作は「二人の息子」(1961)だと思う。一流企業に勤める兄の宝田明、タクシー運転手の弟加山雄三。父の失職を機に、二人の溝が深くなってゆく様を厳しく見つめる。松山善三の脚本で、そのあまりに厳しい現実凝視に思わずたじろぐような映画だ。木下恵介「日本の悲劇」のような感触。他にも甲州商人と農民のばかしあい「狐と狸」(1959)、フランキー堺が落研出身の落語家を演じる「羽織の大将」(1960、桂文楽が出ている)、菊田一夫原作の大ヒット劇「がめつい奴」(1960)、瀬戸内晴美「夏の終り」を映画化した「みれん」(1963)、ホームドラマ風喜劇の「沈丁花」(1966)など、実に多彩な作品を残した。(2020.6.3全面改稿)
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ブログ開設半年の総まとめ③

2011年10月03日 23時31分59秒 | 自分の話&日記
「社会問題」を論じる
 「社会問題」というカテゴリーは作ってないけど、結局そういう話を書いてるものは多い。
 これに関しては、高校授業料無償化問題の本質に関する話が大切。他に言ってる人があまりない。だから民主党の「バラマキ」だと思い込んでる人がいる。特に、「年限制限」の問題は誰も指摘してないのではないかと思う。実はこの問題は書き終わってないので、早々に書きたいと思っている。「高校無償化は人権問題である」「朝鮮高級学校の場合」「留年してはいけないのか」と3回書いている。最近書いた「血液型差別をなくすために」も大事なことを書いたつもり。
 「冤罪・死刑」というまとめでいろいろ書いてるが、「布川事件、無罪判決」は当日の写真入り。そして最近の「藤本(菊池)事件、死刑執行後再審をめざして」が東京では報じられていない重大な問題を扱っている。東電OL殺害事件他新しい動きがあれば随時書いて行きたい。近々のうちに「福井女史中学生殺人事件」の再審に関する決定が出るのではないかと思う。「追悼」の中で、八海事件の阿藤周平さん、松川事件等の弁護士大塚一男さんを書いてるのも、中身は冤罪の話である。ハンセン病問題も折に触れて書いているが、内容的な問題は他のホームページで検索できるのであまり書いてない。むしろ、戦争や近現代史の話をもっと書いて行こうかと考えている。「シベリア抑留死亡者名簿を作った人」「ヒロシマとナガサキ」「山田昭次著『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』」などが今まで代表。

教育を論じる
 始める前はこればかり書くつもりだったけど、あまり書いてない。今後力を入れて書きまくりたい。大阪の「君が代条例」について4回書いている。2回目は大阪都構想への疑問だけど。最近の「教育基本条例」については書いてないけど、もう呆れ返ってこんな小さなブログで書く気も起こらない。近々あるらしい「知事・市長ダブル選」で大阪の人に頑張ってもらうしかない。もはや教育論議の枠を超えて、「独裁」権力といかに立ち向かうかに移りつつあると言うべきか。「大阪の情勢を憂慮する①」「大阪の条例を憂慮する③」など。
 「学校は組織で動くー金八先生を見て思ったこと」「指導力過剰教員」「学校はリゾームである」「学校と会社の仕事はどこが違うか」「資質向上教員ばかりの学校?」「『指導力不足教員』の『役割』」など、教員免許更新制とも絡んでいろいろ書きました。最近の「大森直樹著『大震災でわかった日本の学校の大問題』」もここで書いておく。いま挙げた「学校と会社の仕事はどこが違うか」には、「民間企業と同じような人事管理をしていったあげくに、全然効果が上がらず、書類仕事が激増した分、生徒と教員の関係性が壊れかけています。それが、現在の日本の教育界ではないでしょうか」と書いてます。とりあえず求めることとして「現場裁量の拡大」「自主研修の確保」と書いてるけど、もう他に書く必要がないくらいだけど、時々同じことでいいから書いておくべきでしょうね。

政治を論じる
 政治の話はまだ本格的なものは書いてなくて政局的なものが多い。菅内閣がどうなるか、菅後継についてなど書いてるけど、今さら振り返る必要もない感じ。ただ「そして誰も(女性閣僚が)いなくなった」はマスコミが全く書いてないのに驚いた。社説を書くべき問題だと思うけど。菅直人論の中では「菅直人は市民運動家にあらず」は読むべき価値があります。政治家もマスコミも市民運動を知らないのか、選挙運動をしてただけの「好青年」を未だに市民運動家と書いてる。不信任案否決当日の記事「不信任案否決をどう考えるか」もまあ挙げておく。

追悼、旅行その他
 追悼で書いてる中で、田中好子原田芳雄の記事はけっこうその時は読まれてる。
 旅行では日光と熊本。思ったより旅行をしてないので書いてません。これも意外。割と最近なのでリンクは貼らない。他にもいろいろ書いてますが、中身のお勧めとしては、「吉野葛うどん」につきます。これを実際に買ったという話は聞いてない。直販でまとめ買いするしかないんだけど、これは美味しい。

★自分のお気に入りの記事
 今までに挙げた中に入ってないのは、「日独伊の相違点」という記事。国歌の歌詞や死刑制度から日独伊を比較していて、独伊が国会や国民投票で脱原発を果たしたのと日本の現状のどこが違うかを考えた。「水戸巌さんを思い出す」も昔を思い出してしまった。その時点で言えば日記なんだけど今では思い出になってるのが、卒業式や「最後の授業」の頃の話「六本木少女地獄」の新聞紹介記事も裏で関わっているという意味では、思い出というか忘れられない記事かもしれない。
 中身的には、今日書いた中にある「留年してはいけないのか」や「血液型差別をなくすために」が自分としては重要。映画に関しては「孤独なヒーローが心に沁みる」や「ゴダールー映画と革命と愛」が自分が好きな記事かな。日光の記事も景色の写真がきれいで「食堂すゞき」のパスタも美味しそうだから自分で見たりする。
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ブログ開設半年の総まとめ②

2011年10月02日 23時40分20秒 | 自分の話&日記
 昨日の続き。同じことを書いてると飽きてくるので、ずいぶんいろいろなことを書いてきた。それを自分で整理して提示したい。検索でヒットして一日だけ読んだ人にのためにも。

本の紹介Ⅰ
 「本」というカテゴリーですべてひとくくりでいいのか。原発関係の本はそれでまとめてるし。とりあえず。最初に本の紹介で書いたのは、森まゆみさん。「森まゆみさんの本①」「森まゆみさんの本②」「原田病日記ー森まゆみさんの本③」と3回書いた。それから「カズオ・イシグロを読む」でイシグロ全作品を読んだ感想。本当はこの系列の小説家全読破をいっぱいするつもりだったんだけど、なかなか進まない。それで昨日最初に書いた「困ってる人」が相変わらず読まれてて、逆に「開沼博『フクシマ論』を読む」は本が専門的すぎて読まれてない。仕方ないですね。僕が個人的にこの本は知っておいてもいいかなと思ってるのは、「ハチはなぜ大量死したのか」と「戯曲『コペンハーゲン』を読む」で両方とも広い意味で原発事故から読んでる本なんだけど、後者の緊迫感はすごい。結局、もっとベストセラーを論じないとブログは読まれないですね。

本の紹介Ⅱ 「六本木少女地獄」関連
 最近ずっと書いてるので改めて触れないけど、これは読まれてます。今まで一日に読まれた最高記録は新聞のWEB版で紹介された日の「143」という関連記事。(パソコンで僕のブログと判ってトップページで記事を読む人は「トップページ」の件数になるけど、検索して一件ずつ読んだ人や携帯電話から読む人は記事ごとの件数が表示されるわけです。これは継続中なので記事の中で他の記事を示しておきます。早く書き切りましょう。  

新作映画の紹介
 新作ヒット映画をあまり紹介しないので、その時は読まれても後から読まれない。でも、人があまり触れないアート系、社会派系映画を紹介しておく意義があります。「ブンミおじさんの森」「キラー・インサイド・ミー」「愛の勝利を」「マイ・バック・ページ」「テザ 慟哭の大地」「人生、ここにあり!」「ツリー・オブ・ライフ」「未来を生きる君たちへ」「奇跡」「一枚のハガキ」というラインアップだから、われながらずいぶんと偏向しています。「英国王のスピーチ」「ブラック・スワン」「ゴーストライター」などを評価しないわけではないですが。でもヒットする映画はほとんど見ないし、政治的、社会的な背景を描く映画の紹介が中心となります。見て欲しいのは「一枚のハガキ」ですね。それと「未来を生きる君たちへ」はもっと見られて欲しい。「キラー・インサイド・ミー」は僕の大好きなB級ノワールの傑作です。

 それと新作の記録映画を見たら紹介するようにしています。「ショージとタカオ」「田中さんはラジオ体操をしない」「かすかな光へ」など。

旧作映画の紹介
 新作と言うより、昔の映画の感想や特集上映に合わせた監督論が多いのですが、今は映画史研究者みたいな感じなので自分の関心で書いてます。本の紹介だけど中身は映画監督論なので、ゴダールの話もここで。
ゴダール、映画と革命と愛と」は自分で読んでも面白いんだけどゴダールに思い入れがない人には全然意味がないでしょう。「加藤泰の映画①」「孤独なヒーローが心に沁みる-加藤泰の映画②」も自分なりに力が入っていて、やはり好きな映画監督を書くのは楽しい。「クロード・シャブロル監督の映画」は今年自分なりに再発見した。トリュフォーを書かないわけではなく、機会がないだけ。マレーシアの女性映画監督(故人)を書いた「ヤスミン・アフマド監督の映画①」「ヤスミン・アフマド監督の映画②」もあるが、これは特集上映に合わせて載せたが、中身は前から出している個人通信で去年書いたものなので、自分としては新味はない。

 単発で書いたものとしては、「夜明け前」「その場所に女ありて」「ゴジラ」ぐらい。これこそもっと書くべきだなと思う。
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ブログ開設半年の総まとめ①

2011年10月01日 23時17分38秒 | 自分の話&日記
 ブログ開設半年以上たって、最近は毎日順位が出てます。順位というのはgooのブログが160万ほどある中で、1万位以内ということ。と言っても2000番くらいが最高なので大したことはありませんが。その最大の理由は「困ってる人」がベストセラーになって、検索するとこのブログの「大野更紗『困ってる人』」もヒットすることにあります。
 ということで知人や生徒が見てくれることが中心だったこのブログも、少しはいろいろな人に読まれるようになってきたので、自分なりにまとめを書いておきたいと思います。様々なことを書いているので、その案内にもなるようにと思っています。(なお最近はちょくちょく書き直しているので数日たって読み直すと多少違っている場合があります。)

①まず、僕の存在自体が教員免許更新制に反対してネット上で声をあげている特ダネ状態で、教員免許更新制度への反対論がたくさん書いてあります。そのことは週刊金曜日8.26号に載っています。「週刊金曜日(8月26日号)に紹介されました」があります。が、そもそものブログ最初の記事も「週刊金曜日(2・25日号)に投稿しました」でした。この問題では「免許更新制度は「職の尊厳」を損ないます」「教員免許更新制のおかしさ」「校長は教員免許がなくてもできるのに」などを当初にたくさん書いています。割と最近では「教員免許制度は本当に必要か」でまとめて書いています。

②その結果、熊本県で「失職者」が出ていることがわかり、そのことについて書いています。これこそ、他のマスコミ等では全く触れられていない完全な特ダネ状態。当初、文科省発表に基づき「免許失効は27人」を書きましたが、これは全くの誤報や誤解が一杯です。熊本の方からコメントがあり「熊本の事情が知りたい」を書き、わかったことは「熊本県教委の責任」に書きました。その後のことは「熊本県の事情その後」で報告しています。さらにその後のことで判っていることもありますが、書く段階にないのでそのうち書けることは報告したいと思います。

③授業関係の記事では、特に「最後の授業」の報告はかなり読んでくれたようです。その時のコメントも僕の宝物。その日、僕の教員免許は生徒たちが「更新」してくれました。「最後の授業①」「最後の授業②」「生徒が更新してくれた教員免許」「セクシャル・マイノリティの授業」など。

④4月になって、気仙沼唐桑でのFIWCキャンプに参加し大津波の惨害を目の当たりにしました。キャンプ期間も携帯電話から記事を送っていましたが、帰って来てからのまとめを3回にわたって書きました。陸前高田の「奇跡の一本松」、今では非常に有名になっていますが、震災1か月の段階で見たことはとても大きなことでした。「気仙沼・唐桑キャンプから帰って①」「気仙沼・唐桑キャンプから帰って②」「気仙沼・唐桑キャンプから帰って③」など。

⑤5月は、沖縄で行われたハンセン病市民学会に参加しました。日本最南端のハンセン病療養所がある宮古島にも行きました。宮古島ではホテルのパソコンから投稿しています。「宮古島から」「戦時下の宮古南静園」「ハンセン病市民学会に参加して」「沖縄の写真」など。

⑥戻ったら、中学教科書の検定結果公表が始まり、教科書の比較検討などを行いました。関わっている「白鴎有志の会」の会報を作成しました。この問題は、最近書いたまとめの中に今までの記事を紹介しています。「中学教科書問題のまとめ

⑦その後は、6月末の東電株主総会に向け原発事故問題を書きました。いま振り返ると、直後にはほとんど触れていません。自分の問題を抱えていた上に、科学的な理解が不足していて自分として自信をもって言えることがない状態だったからです。震災ボランティアに行く前の日に、一応の自分の考えを書いてから行こうと思い「浜岡原発の即時停止を-原発について今の段階で思うこと」を書きました。この段階で明確に浜岡原発に限定して停止を求める発言はほとんどなかったと思います。少しして現実に停まることになり嬉しく思っています。その後は原発自体の問題より、本の紹介が多くなっています。「福島原発人災記」「知事抹殺」「安斎育郎さんの「福島原発事故」」「原発事故・必読本」などと続いています。自分の専門外なので本を紹介することも大事かなと思ってます。

 一方、「都民はみんな東電株主」で東電大株主の東京都に株主提案に賛成するように求めることを提起したけど、ちょっと思いつくのが遅かった。個人株主として東電総会に参加した記録は「東電株主総会記」「東電総会、訂正と補遺」に報告してあります。会社側の運営もひどいと思うけど、「一株一票」を知らないで参加した個人株主もいたようで、それにもびっくりしました。(資本主義制度の基本中の基本でしょ。)

 その後もエネルギー問題や尾瀬の問題に話を広げながら原発問題を書き続けました。「福島原発は地震で損傷したのか」は重大な問題。さらに考えつめて行って、原発と核兵器、安保問題は切り離せないことに気づきました。「原発はプルトニウムの工場」でそのことを書きました。いまや読売新聞も社説で書き、石破前自民党政調会長も公言しているように、原発でプルトニウムを「核廃棄物」として作ること自体が、「抑止力」として日本国家に必要という考え方が原発を国策として推進してきた真の理由と考えられます。今はそういうことが新聞にも出ているけれど、この段階では誰も言ってなかった(少なくとも僕は知らなかった)ので、自分で考えていてそういう結論に達してしまったわけです。これは大変なことを書いたつもりだったのだけど、ここで考えが煮詰まってしまい、以後はあまり論じていません。
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