原田眞人脚本・監督の「駆け込み女と駆け出し男」をようやく見た。江戸時代末期に材を取った時代劇だけど、どっちかと言うとDVからの脱出をテーマとする人間ドラマ。井上ひさし「東慶寺花だより」を原案とするとあるが、未読なのでどう利用されているかは判らない。群馬県の徳満寺と並び「縁切寺」として知られた鎌倉の東慶寺を舞台にした物語である。ただし、ロケは東慶寺ではなく、「ラストサムライ」にも使われたあのお寺(姫路の書寫山圓教寺)など。
映画が始まっても、なかなか最初はよく判らない。俳優は早口すぎてセリフが飲み込めず、今の技術で撮ると時代劇っぽくなく、セットはセット、俳優は現代人にしか見えなくて、大丈夫かなあと思う出だしだった。だんだん話が飲み込めてくると、登場人物数人の運命が気にかかるようになり、ロケの効果もあって見入ってしまう。話は水野忠邦老中の天保の改革時代。歴史ではいつも悪役の鳥居耀蔵も出てきて、悪人ぶりを発揮している。大泥棒とか幕府の密偵とかいろいろ出てきて、話は大きくなっていくけど、どうもそこまで広げる必要はあったんだろうか。
日本橋の豪商堀切家の妾「お吟」(満島ひかり)と夫の暴力に悩む「鉄練り」じょご(戸田恵梨香)が東慶寺に駆け込もうとする。籠かきに乱暴されて途中の山道で困っていた「お吟」を「じょご」が助けて何とか駆け込んだのである。しかし、東慶寺に入る前に、門前の御用宿で聞き取り調査があるという。そこの主、三代目柏屋源兵衛は実は女(樹木希林)で、ちょうど改革さなかの江戸を逃れてきた親戚の見習い医師・戯作者見習いの信次郎(大泉洋)も柏屋に身を寄せて、聞き取りに協力するようになる。という4人がまあ主要人物で、そこに関係人物がいろいろ出てきて、「駆け込み」が認められるか、その後どうなるのかが語られていく。僕も細かい制度は知らなかったので、こういう仕組みになっていたのかと初めて知った。認められると、寺に入るが、これは出家ではなく、中では2年間にわたってさまざまな仕事に就く。(持ち込み金が裕福だと、仕事がしなくてもいい。)
その寺の中の細々として日常も、非常にうまく語られる。当然、男子禁制なのだが、致し方なく医者を呼ぶ場合なども、直接見てはいけないなどのルールが。見習いの信次郎がやむなく診察しなくてはいけなくなったりして、そこから「じょご」が薬草を取りに行ったりして自立していく。この二人はどうなる?一方、お吟は病気になるが、そもそもどうして東慶寺に来たのか?江戸時代は思ったより離婚が多く、夫からの「離縁状」が必要だが、実際は「納得づくの離縁状」が普通で、再婚も多かったと判ってきた。しかし、夫の都合で離縁状がもらえない「家庭内暴力」などの場合、縁切寺に駆け込んで2年たつと「強制的離婚」になる。(夫が「離縁状」を書かなければいけない。)そういう時の相談所、今でいえば家裁や避難所のような場所が、東慶寺。知ってはいたけど、具体的に語られるので面白い。
原田眞人監督は、キネマ旬報の常連投稿者だった時代から名前を知っているが、アメリカに行って映画監督になって帰ってきた。だけど「Kamikaze Taxi」(1995)や「バウンス Ko GALS」(1997)ぐらいしか僕には面白くなかった。あまり相性がよくない。今度の映画も、脚本に詰め込み過ぎで、僕には不満もある。「幕末太陽傳」を意識したというけど、フランキー堺以上に大泉洋が早口で、耳が悪くなっているので聞き取れない部分も多かった。(日本語字幕が欲しい。)でも、とくに「じょご」(じょごと言う名前はどういう意味があるのか。何か特別な漢字があるのかと思ったら、ないようだ)のエピソードが感動的で、大泉洋の信次郎が何度か診察する場面も面白い。まずは今年の収穫と言うべき一本。
映画が始まっても、なかなか最初はよく判らない。俳優は早口すぎてセリフが飲み込めず、今の技術で撮ると時代劇っぽくなく、セットはセット、俳優は現代人にしか見えなくて、大丈夫かなあと思う出だしだった。だんだん話が飲み込めてくると、登場人物数人の運命が気にかかるようになり、ロケの効果もあって見入ってしまう。話は水野忠邦老中の天保の改革時代。歴史ではいつも悪役の鳥居耀蔵も出てきて、悪人ぶりを発揮している。大泥棒とか幕府の密偵とかいろいろ出てきて、話は大きくなっていくけど、どうもそこまで広げる必要はあったんだろうか。
日本橋の豪商堀切家の妾「お吟」(満島ひかり)と夫の暴力に悩む「鉄練り」じょご(戸田恵梨香)が東慶寺に駆け込もうとする。籠かきに乱暴されて途中の山道で困っていた「お吟」を「じょご」が助けて何とか駆け込んだのである。しかし、東慶寺に入る前に、門前の御用宿で聞き取り調査があるという。そこの主、三代目柏屋源兵衛は実は女(樹木希林)で、ちょうど改革さなかの江戸を逃れてきた親戚の見習い医師・戯作者見習いの信次郎(大泉洋)も柏屋に身を寄せて、聞き取りに協力するようになる。という4人がまあ主要人物で、そこに関係人物がいろいろ出てきて、「駆け込み」が認められるか、その後どうなるのかが語られていく。僕も細かい制度は知らなかったので、こういう仕組みになっていたのかと初めて知った。認められると、寺に入るが、これは出家ではなく、中では2年間にわたってさまざまな仕事に就く。(持ち込み金が裕福だと、仕事がしなくてもいい。)
その寺の中の細々として日常も、非常にうまく語られる。当然、男子禁制なのだが、致し方なく医者を呼ぶ場合なども、直接見てはいけないなどのルールが。見習いの信次郎がやむなく診察しなくてはいけなくなったりして、そこから「じょご」が薬草を取りに行ったりして自立していく。この二人はどうなる?一方、お吟は病気になるが、そもそもどうして東慶寺に来たのか?江戸時代は思ったより離婚が多く、夫からの「離縁状」が必要だが、実際は「納得づくの離縁状」が普通で、再婚も多かったと判ってきた。しかし、夫の都合で離縁状がもらえない「家庭内暴力」などの場合、縁切寺に駆け込んで2年たつと「強制的離婚」になる。(夫が「離縁状」を書かなければいけない。)そういう時の相談所、今でいえば家裁や避難所のような場所が、東慶寺。知ってはいたけど、具体的に語られるので面白い。
原田眞人監督は、キネマ旬報の常連投稿者だった時代から名前を知っているが、アメリカに行って映画監督になって帰ってきた。だけど「Kamikaze Taxi」(1995)や「バウンス Ko GALS」(1997)ぐらいしか僕には面白くなかった。あまり相性がよくない。今度の映画も、脚本に詰め込み過ぎで、僕には不満もある。「幕末太陽傳」を意識したというけど、フランキー堺以上に大泉洋が早口で、耳が悪くなっているので聞き取れない部分も多かった。(日本語字幕が欲しい。)でも、とくに「じょご」(じょごと言う名前はどういう意味があるのか。何か特別な漢字があるのかと思ったら、ないようだ)のエピソードが感動的で、大泉洋の信次郎が何度か診察する場面も面白い。まずは今年の収穫と言うべき一本。