尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「駆け込み女と駆け出し男」

2015年07月08日 00時44分46秒 | 映画 (新作日本映画)
 原田眞人脚本・監督の「駆け込み女と駆け出し男」をようやく見た。江戸時代末期に材を取った時代劇だけど、どっちかと言うとDVからの脱出をテーマとする人間ドラマ。井上ひさし「東慶寺花だより」を原案とするとあるが、未読なのでどう利用されているかは判らない。群馬県の徳満寺と並び「縁切寺」として知られた鎌倉の東慶寺を舞台にした物語である。ただし、ロケは東慶寺ではなく、「ラストサムライ」にも使われたあのお寺(姫路の書寫山圓教寺)など。

 映画が始まっても、なかなか最初はよく判らない。俳優は早口すぎてセリフが飲み込めず、今の技術で撮ると時代劇っぽくなく、セットはセット、俳優は現代人にしか見えなくて、大丈夫かなあと思う出だしだった。だんだん話が飲み込めてくると、登場人物数人の運命が気にかかるようになり、ロケの効果もあって見入ってしまう。話は水野忠邦老中の天保の改革時代。歴史ではいつも悪役の鳥居耀蔵も出てきて、悪人ぶりを発揮している。大泥棒とか幕府の密偵とかいろいろ出てきて、話は大きくなっていくけど、どうもそこまで広げる必要はあったんだろうか。

 日本橋の豪商堀切家の妾「お吟」(満島ひかり)と夫の暴力に悩む「鉄練り」じょご戸田恵梨香)が東慶寺に駆け込もうとする。籠かきに乱暴されて途中の山道で困っていた「お吟」を「じょご」が助けて何とか駆け込んだのである。しかし、東慶寺に入る前に、門前の御用宿で聞き取り調査があるという。そこの主、三代目柏屋源兵衛は実は女(樹木希林)で、ちょうど改革さなかの江戸を逃れてきた親戚の見習い医師・戯作者見習いの信次郎大泉洋)も柏屋に身を寄せて、聞き取りに協力するようになる。という4人がまあ主要人物で、そこに関係人物がいろいろ出てきて、「駆け込み」が認められるか、その後どうなるのかが語られていく。僕も細かい制度は知らなかったので、こういう仕組みになっていたのかと初めて知った。認められると、寺に入るが、これは出家ではなく、中では2年間にわたってさまざまな仕事に就く。(持ち込み金が裕福だと、仕事がしなくてもいい。)

 その寺の中の細々として日常も、非常にうまく語られる。当然、男子禁制なのだが、致し方なく医者を呼ぶ場合なども、直接見てはいけないなどのルールが。見習いの信次郎がやむなく診察しなくてはいけなくなったりして、そこから「じょご」が薬草を取りに行ったりして自立していく。この二人はどうなる?一方、お吟は病気になるが、そもそもどうして東慶寺に来たのか?江戸時代は思ったより離婚が多く、夫からの「離縁状」が必要だが、実際は「納得づくの離縁状」が普通で、再婚も多かったと判ってきた。しかし、夫の都合で離縁状がもらえない「家庭内暴力」などの場合、縁切寺に駆け込んで2年たつと「強制的離婚」になる。(夫が「離縁状」を書かなければいけない。)そういう時の相談所、今でいえば家裁や避難所のような場所が、東慶寺。知ってはいたけど、具体的に語られるので面白い。

 原田眞人監督は、キネマ旬報の常連投稿者だった時代から名前を知っているが、アメリカに行って映画監督になって帰ってきた。だけど「Kamikaze Taxi」(1995)や「バウンス Ko GALS」(1997)ぐらいしか僕には面白くなかった。あまり相性がよくない。今度の映画も、脚本に詰め込み過ぎで、僕には不満もある。「幕末太陽傳」を意識したというけど、フランキー堺以上に大泉洋が早口で、耳が悪くなっているので聞き取れない部分も多かった。(日本語字幕が欲しい。)でも、とくに「じょご」(じょごと言う名前はどういう意味があるのか。何か特別な漢字があるのかと思ったら、ないようだ)のエピソードが感動的で、大泉洋の信次郎が何度か診察する場面も面白い。まずは今年の収穫と言うべき一本。
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高橋治、宮英子、貴ノ浪、オーネット・コールマン等ー2015年6月の訃報

2015年07月05日 22時47分10秒 | 追悼
 2015年も半分終わってしまった。先月もさまざまな人々の訃報が伝えられた。作家の高橋治(6.13没、86歳)は元は松竹の映画監督だった。助監督時代には、なんと小津の「東京物語」についている。ヌーベルバーグ期に昇進して、「彼女だけが知っている」「死者との結婚」などいくつかの作品を残している。僕が見ているのはこの2作だが、これらは小山明子を主役にしたミステリー作品で、それほど悪くもないけど、強烈な印象までは残さない。理知的な作風は小山明子に合っていたかもしれないが。監督としての才能に見切りをつけ退社して、文筆業に転身。当初は社会派路線で、朝日ジャーナルに長期連載したシベリア出兵をめぐる「派兵」は未完に終わっている。
(高橋治)
 その後、1982年に刊行された小津安二郎を描くノンフィクション・ノベル「絢爛たる影絵」で注目された。これは文春文庫で読んで感心した記憶があるが、30年近く前のことで細部は忘れた。今は岩波現代文庫に収録されている。そして、少し後の「秘伝」で1984年に直木賞を受賞したわけである。しかし、まあ一般的にはやっぱり「風の盆恋歌」だろう。越中八尾の「おわら風の盆」を一躍有名にしたこの小説は、非常によく出来た「不倫小説」。夢中で読まされてしまう。その後の人気作家ぶりは大変なもので、恋愛や釣りの話が多いと思うが、20世紀後半には毎月のように文庫が出ていた。大島渚や篠田正浩が映画監督の人生を終わろうという頃に、かつての同僚、高橋治は人生の絶頂を迎えたわけで、そういう人生もある。

 歌人の宮英子(みや・ひでこ 6.26没、98歳)は歌人宮柊二(みや・しゅうじ 1912~1986)の夫人だった。宮柊二は戦後に活躍したもっとも有名な歌人の一人だが、特に日中戦争に従軍した時の歌が知られている。中国の山西省に従軍して、苛烈な戦場体験をした。
 ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲も立てなくくづおれて伏す
 中国戦線での戦場体験を歌った歌である。これらの歌は、大岡昇平の小説や浜田知明の版画に接した時に感ずるような「生の戦場」を感じさせる表現活動だった。宮英子は夫の死後、「コスモス」短歌会の仲間と山西省を訪れる。その旅は、2000年まで8回行われたという。そして歌を作った。
 彼の日彼が指しし黄河を訪ひ得たり戦なき世のエアコンバスにて
 
 ジャズ奏者のオーネット・コールマン(6.11没、85歳)は「フリー・ジャズ」で知られた。これは僕もレコードを持っている。イギリスの俳優クリストファー・リー(6.7没、93歳)はドラキュラで有名な俳優だった。フランケンシュタインの怪物も。最近の映画にも出ていたが、そういう昔のイギリスのホラー映画の印象が強い。ラウラ・アントネッリ(6.22没、73歳)はイタリアの女優で、「青い体験」で人気を得た。いました、いました、少年に「性の手ほどき」をしちゃう家政婦。ヴィスコンティの遺作「イノセント」の主役。
(オーネット・コールマン)(ラウラ・アントネッリ)
 日本では小泉博(5.31没、88歳)が先月の最後に亡くなった。マキノ雅弘の東宝版「次郎長三国志」シリーズに出ていた。その他、東宝の娯楽映画にたくさん出ているが、テレビ「クイズ・グランプリ」の司会者として覚えている人もいるだろう。横井弘(6.19没、88歳)は作詞家で、倍賞千恵子の「下町の太陽」の作詞者。舞踏家の室伏鴻(むろぶし・こう、6.18没、68歳)は有名な人だったらしいけど、僕はよく知らない。
(小泉博)
 元大関貴ノ浪(音羽山親方)が死去した。6.20没、43歳。あまりにも若い死でビックリした。この人は藤島部屋、二子山部屋で、つまり先代の大関貴ノ花に弟子入りした。この部屋には若貴兄弟が大関、横綱になっていたから、同じ部屋で対戦のない貴ノ浪が上に上がってきて大関になっても面白くなかった。相撲も大雑把な「引っ張り込み」で、技能派力士の方が好きなので、あまり関心がなかった。だけど、その大柄を生かした豪快な相撲はだんだん面白くなってきて、特に横綱貴乃花との相部屋優勝決定戦の河津掛けなんて決まり手は見事なものである。横綱武蔵丸とは新入幕、大関昇進が同時で、58回対戦していてこれは記録だという。大関を陥落後に、長く相撲を取って、「自分らしさ」を全開した取り口で楽しませてくれた。大関陥落後に横綱武蔵丸から金星を挙げるという珍しい、また立派な記録を持っている。僕がこの人はなかなかすごいと思ったのは、たまたま見ていた時に(それは初優勝の場所だったとのことだが)、控え力士として「物言い」を付けたのを見た時。これは後に横綱白鵬が付けたのを見たが、普通の力士ではできないことだろう。引退後のNHKでの解説も判りやすかった。
(貴ノ浪)
 政治家で前衆議院議長の町村信孝(6.1没、70歳)は議長辞任後あっという間の訃報だった。北海道知事を務めた町村金五の子どもで、東大時代はノンポリ学生のリーダーだった。小泉、安倍内閣で外相、福田内閣で官房長官と旧福田赳夫派全盛時代に重要な役を担った。その後、派閥を森喜朗から受け継ぎ、町村派と言ったわけだが、たまたまだが「森」「町村」「福田」とかカントリー風の名字ばかりで、それが自民党っぽいのかもしれない。社会党委員長を務めた田辺誠は7月になってからの訃報だが、6月には元書記長の馬場昇(6.15、89歳)と6回当選の後藤茂(6.5没、89歳)が亡くなった。馬場昇は熊本県選出で、水俣病問題の解決にも尽力した。「社会党」という記憶がだんだん無くなっていく。外国では、元ロシア首相エフゲニー・プリマコフ(6.26没、85歳)元中国全人代委員長の喬石(6.14没、90歳)の訃報が伝えられた。ソ連崩壊前後、天安門事件前後にいろいろあったけど、今は省略。
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「現代秀歌」から①-「恋・愛」と「青春」

2015年07月03日 23時32分05秒 | 本 (日本文学)
 2014年10月に出た永田和弘「現代秀歌」(岩波新書)を最近になって読んだ。短歌についてあまり知らない僕にとって、大変ためになる面白い本だった。著者はさきに「近代秀歌」を出したが、そっちは有名な歌が多かったからブログには書かなかった。今度の本は現代をうたった100人の歌人を取り上げていて、その大部分はよく知らない。(歌人一人に一首のみ選んでいるので、100人が取り上げられている。)このまま忘れてしまうのはもったいないので、ここで紹介しようと思う。全部一度に書いても読みにくいから、全10章を5回に分けて、チョコチョコと書いて行きたい。

 なお、知っていいる人も多いと思うが、永田和弘氏は京都大学名誉教授で、現在は京都産業大学教授の細胞生物学者。岩波新書に「タンパク質の一生」という本を書いている。これも面白い本だったけれど、なかなか難しかった。岩波新書で、理系と文系の両方の本を書いた最初の人だそうである。と同時に、若い時から歌人として知られ、夫人も有名な歌人、故・河野裕子。河野裕子の死後に著した闘病記「歌に私は泣くだらう」が2013年の講談社エッセイ賞を受賞して、話題となった。まず、第一章「恋・愛」から気になった歌を選んでみたい。 

  あの夏の數かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ  
                                       小野茂樹
 小野茂樹という人は、1936年生まれだが、1970年にタクシーの交通事故で突然亡くなって衝撃を与えたという。でも全然知らなかった。

 夫人の河野裕子(1946~2010)の歌も選ばれている。
  たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか  
                                       河野裕子
 中で触れられている歌も忘れがたい。
 逆立ちしておまへが俺を眺めてた たつた一度きりのあの夏のこと  河野裕子

 名前だけ聞いたことのある春日井建(1938~2004)の歌
 太陽が欲しくて父を怒らせし日よりむなしきものばかり恋ふ  春日井建

 折口信夫の弟子として有名な岡野弘彦(1924~)も名前しか知らなかったけど…。
 うなじ清き少女ときたり仰ぐなり阿修羅の像の若きまなざし  岡野弘彦
 これはものすごくよく判る。だけど、永田氏が100首に選んだ歌は別の歌。これにはビックリした。「ごろすけ」というのは、フクロウのことだそうである。
 ごろすけほう心ほほけてごろすけほうしんじついとしいごろすけほう  岡野弘彦
 俵万智や美智子皇后の歌もここで選ばれているのだが、もういいだろう。

 次は第二章「青春」から。キリンの歌が二つ入っている。
 あきかぜの中のきりんを見て立てばああ我といふ暗きかたまり  
                                       高野公彦

 夏の風キリンの首を降りてきて誰からも遠くいたき昼なり  
                                       梅内美香子
 高野公彦は1941年生まれ、梅内美香子は1970年生まれの歌人。青春とは「自分」と格闘する時間なんだなと思う。別に僕はここで「評釈」をする気はなくて、歌の中身の話はぜひ本書を読んで欲しい。僕が選ばなかった歌が5倍ぐらいあるので。
 寺山修司(1935~1983)や佐々木幸綱(1938~)もここで選ばれている。一応紹介しておきたい。
 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり  寺山修司

 さらば象さらば抹香鯨たち酔いて歌えど日は高きかも  佐々木幸綱
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どっちが「自虐史観」なんだろう

2015年07月02日 23時01分18秒 | 政治
 安倍首相の5月14日の記者会見、それは今回の安保法案を国会に提出するにあたって行ったものだけど、いろいろビックリするところが多かった。冒頭から驚きだけど、それはちょっと後に回し、僕が一番驚いたところがある。それは質疑応答に移ったあとで、フジテレビの記者から出た質問。

 「(前略)これまで、自衛隊発足後、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなるようなことはなく、また、戦闘で実弾を使ったりすることがないことが、日本人の国内の支持であったり、国際的な支持というのも日本の平和にあったかと思います。今回、その平和安全法制が成立した暁に、こういった自衛隊の活動が重要事態に行くとか、あとは任務遂行型の武器使用になるとかいうことで、すごく危険だとか、リスクな方に振れるのではないかというような懸念があるかと思われるのですけれども、そういったことに対する総理の御説明をお願いいたします。」(太字=引用者)

 フジテレビだからかどうか、政権批判というより、むしろ国民の中にある自然な心配を質問したものとなっていると思う。これに対し、安倍首相は以下のように答えた。「(前略)今までも自衛隊の皆さんは危険な任務を担ってきているのです。まるで自衛隊員の方々が、今まで殉職した方がおられないかのような思いを持っておられる方がいらっしゃるかもしれませんが、自衛隊発足以来、今までにも1,800名の自衛隊員の方々が、様々な任務等で殉職をされておられます。私も総理として慰霊祭に出席をし、御遺族の皆様ともお目にかかっております。こうした殉職者が全く出ない状況を何とか実現したいと思いますし、一人でも少ないほうがいいと思いますが、災害においても危険な任務が伴うのだということは、もっと理解をしていただきたいと、このように思います。(後略)」

 首相の言葉が理解できる人がいるだろうか。自衛隊があれば、例えば航空自衛隊が戦闘機の訓練を行っていれば、たまに事故があるだろう。今までそういうニュースも聞いたことがあるように思う。それだって、航空自衛隊というもの自体がなければ起きなかったわけだが、そういう風に考えたとしても、首相が事故を起こせという命令を下しているわけではない。今回の法案が成立して、自衛隊が新たな活動任務を与えられ、それで犠牲が出る(と仮定する)。それは首相の命令に従った結果であり、今回の法案を成立させたことの結果である。そういう犠牲と、災害救援の任務中に殉職することは、自衛官という一人の人間にとっては「同じ死」かもしれないが、命じる側には大きく違うはずだ。

 この応答でよく判ることは、安倍首相が「自衛隊発足後、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなるようなことはなく」といった歴史を全然尊重する気持ちがないことである。今まで「戦死者」が出ていなかったのが変わるかと問われて、今までだって「殉職者」がいるじゃないかと答えるなんて。およそ「人間性」というものを感じない答弁だと僕は思う。戦後という時間の中で、戦死者が日本人の中から出なかった。(それは「自衛隊」のような軍事組織が派遣される想定の場合で、朝鮮戦争時の機雷掃海部隊とか、報道機関の記者、米軍などに志願した日本人等の死者は出ている。)そのような歴史を安倍首相は、全然どうでもいいこと、もしかしたら「残念な歴史」にすら思っているのかもしれない。

 というのも、自民党の改憲案では、自衛隊は「国防軍」として憲法に位置づけられている。これまでのように、「専守防衛」の「自衛隊」しか持てないのでは、「不完全な国家」であり、軍隊を持ち集団的自衛権を行使できてこそ、「誇りの持てる国家」だと思っているのではないか。だから、戦前の大日本帝国時代の方が「本当の日本」であって、戦後の日本は「偽の時代」に見える。こういう感性を持つからこそ、「戦後レジームからの脱却」というのだろう。大日本帝国陸海軍の犯した戦争犯罪を問題にすると、「自国をおとしめる」などという人がいるのだから、「大日本帝国」=「自国」なのである。

 これは戦後を生きてきた、そして今に生きている日本国民の過半の思いとは違っていると僕は思っている。多くの日本国民は、「戦死者を出さなかった戦後の日本」に誇りを持っている。戦前に勝つわけのない戦争に軍部によって引きずり込まれ、国民に大きな犠牲を出したし、近隣諸外国にも大変な迷惑をかけた。謝罪すべきは謝罪して行くのは当然だ。だが、同時に戦後日本は陸海軍を放棄し、戦争をしない国となった。その歩みの中で経済と文化が発展していった。それでも多くの問題は起きたし、現在も起きている。だけど、民主主義制度は定着し、軍のクーデターや一党独裁などが戦後70年間で一度もない、アジア諸国の中では稀有の歴史を持っている。このような日本の戦後、非軍事的・民主的な枠組みで経済を発展させたことこそ、日本人の誇りだ。戦前の日本は確かに迷惑をかけたが、戦後は平和国家になったということが、日本人の誇るべき歴史だ

 以上のようなことが多くの日本人の思いだと僕は思う。違うだろうか。以上のような見方に問題がないわけではない。今となっては「近代国家」や「天皇制」をもっと厳しく内省すべきではないか。僕はそうも思うが、それはそれとして、「平和で戦死者がなかった戦後日本」を多くの人は誇りに思っている。そんな戦後日本を好きになれず、不完全な国家視するような人には、あえて言いたいと思う。自国の歩みに誇りを持てないのなら、それこそ「自虐史観」というものではないんだろうか

*一番最初に書いた安倍首相記者会見のビックリを紹介する。長くなってしまうが。
「70年前、私たち日本人は一つの誓いを立てました。もう二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。この不戦の誓いを将来にわたって守り続けていく。そして、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この決意の下、本日、日本と世界の平和と安全を確かなものとするための平和安全法制を閣議決定いたしました。
もはや一国のみで、どの国も自国の安全を守ることはできない時代であります。この2年、アルジェリア、シリア、そしてチュニジアで日本人がテロの犠牲となりました。北朝鮮の数百発もの弾道ミサイルは日本の大半を射程に入れています。そのミサイルに搭載できる核兵器の開発も深刻さを増しています。我が国に近づいてくる国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、いわゆるスクランブルの回数は、10年前と比べて実に7倍に増えています。これが現実です。そして、私たちはこの厳しい現実から目を背けることはできません。」

 いやあ、ぜひ「平和安全法制」とやらで、アルジェリアやシリアやチュニジアのテロ、北朝鮮の弾道ミサイルなんかを解決して欲しいですねえ。って、全然関係ないじゃないか、今度の法案と。
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映画「涙するまで、生きる」

2015年07月01日 21時54分36秒 |  〃  (新作外国映画)
 アルベール・カミュの短編を映画化した「涙するまで、生きる」が公開されている。東京ではシアター・イメージフォーラムで7月3日までと終了間近になってしまった。やはり見ておこうと思って出かけてきたが、これは素晴らしい作品だった。アルジェリア戦争を描く作品で、中味は重くて深い。荒涼たる砂漠の風景、夜明けや大雨、廃村などの撮影が厳しい美しさをたたえていて忘れがたい。(アルジェリアでの撮影は難しいだろうから、やはりモロッコかなと思って見ていたのだが、その通りだった。)主演のヴィゴ・モーテンセンは「約束の地」という作品も公開されていて、こっちはパタゴニアである。
 
 1954年のアルジェリア。冒頭で荒涼たる風景の中、丘の上に学校がある。ここで教えている教師ダリュ(ヴィゴ・モーテンセン)は、独り身の中年男である(らしい)。学校は小麦の配給なんかも兼ねている。彼はフランス語でフランスの川の名前なんかも教えている。そこに憲兵が一人のアラブ人を連行してくる。名前はモハメド(レダ・カデブ)と言い、いとこを殺した殺人犯だという。だが、治安が悪化していて(つまり独立運動が始まっていて)、憲兵は手が離せないのでダリュに裁判所のある町まで連行してくれというのである。2日ほどで行けるという。彼は気が乗らないが、憲兵は強引に犯人を置いて帰ってしまう。翌朝になると、地元のアラブ人が引き渡せと押しかけてきたり、家畜が殺されたフランス人入植者が襲撃してくる。仕方なくダリュはモハメドを連れて遠い旅路に出ることになる。

 こうして、何が何だかよく判らないまま、とにかく砂漠の旅に出かけることになるわけだが、映画はカミュの原作を大幅に書き足して、この不思議な二人旅をふくらましているそうである。そして、この二人の現在と過去もだんだん明らかとなり、アルジェリアをめぐる複雑な構図が浮き彫りにされてくる。ダリュはモハメドがどうして逃げないのか、生への執着がないのかが判らない。逃げる機会を与えているようなものなのだが、むしろ一緒に裁判に向っていく。行けば死刑が確実なのに。しかし、それは「アラブ人の掟」が絡んでいて、彼の一家は貧しく、親族の争いからいとこを殺してしまい掟により自分は殺されなければならないが、そうすると今度はまだ幼い弟が将来自分の復讐をしなければならない。弟をそういう運命から逃れさせるために、「フランス人に殺される」という方法を取りたいのである。

 翌日になると、今度は独立運動のゲリラ部隊につかまるが、そこでは第二次大戦中にイタリアでともに戦ったアラブ人がリーダーをしている。虐殺事件のあとで、軍内のアラブ人は皆独立運動に身を投じたらしい。ダリュは「少佐」と呼ばれ、待遇がよくなる。しかし、「どっちに付くのか」と問い詰められて、彼は独立は支持するが、自分もアルジェリア生まれだという。だが独立支持か、反対かのどっちかしかないと問われ、ダリュは教育が大切だという。そんなやり取りの後で、今度はフランス軍に遭遇する。フランス軍の装備は圧倒的で、ゲリラ部隊はどんどん追いつめられる。ついに残ったゲリラは武器を捨て投降するが、フランス軍はそこを銃撃して殺す。ダリュはこれは戦争犯罪だと詰め寄るが、フランス軍は「テロリストは捕虜にしない」と言い放つ。こうして、彼ら二人はさまざまなものを見てしまう。

 ある夜、モハメドが女を知らないで死ぬのかと嘆く。結婚できなかったのである。(多分、貧しくて持参金が用意できない境遇だったのだと思う。)ダリュも人生を語るようになっていくが、かつて結婚していた妻は先に死んでしまったのである。そして実は彼はスペイン人移民の子で、フランス人からはアラブ人扱い、アラブ人からはフランス人扱いされて育った人物だった。そんなダリュが町へ行ったときに、モハメドの人生に何を与えたか。そして、あくまでも生きることを願い、ダリュが取った「選択の道」はどんなものだったか。それは映画でぜひ見て欲しい。

 非常に複雑な、よく出来た構成の映画である。ダリュは魅力的な人物で「良い人」だと言えるが、彼がフランス語でフランスの川の名前をアラブ人に教えることは、何か意味があるんだろうか。またモハメドに「与えたプレゼント」は正しいものなのだろうか。そういう思いもするけれど、自国の軍隊の戦争犯罪を許さずに追求するのはなかなかできないことだ。アラビア語を話し、フランスにもアラブにも属さずに孤独を貫いている。しかし、子どもたちには慕われていることが最後に伝わる。このような人物を主人公に、素晴らしく美しく、思いが深く沈潜していく映画が誕生した。あきらかに、カミュの精神を現代に生かそうと作られた映画である。そこが感動的。

 作ったのは、脚本・監督のダヴィド・オールホッフェン(1964~)というフランスの新進監督。短編からスタートし、3本目の長編映画だが、今まで日本で正式公開された映画はない。(映画祭で公開された短編はある。)だから、どういう監督かよく知らないが、「西部劇」をイメージしているという。複雑な過去を持つ正義派と事情を抱えた「悪漢」が、旅をともする中で理解を深めていく「バディ・ムーヴィー」が、荒涼たる砂漠の風景の中で展開される。そういう風に言えば確かに西部劇的構成。だが、もっと複雑な意味を込めた作品だし、ロングショットで砂漠の中の人物を捉える映像の詩的な喚起力は見事。見応えがあった。
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