新作落語の大家として有名な三遊亭円丈の「御乱心」(1986)という本がある。1978年に起こった落語協会分裂騒動の内情を徹底的に書きつくした本で、問題の書として伝説化している。古本ではいっぱい売ってるけど、今まで読まずに来た。(刊行当時は多忙で落語界の内情に関心がなかった。)それが今月の小学館文庫で復刊されたではないか。「師匠、御乱心!」と改題され、長いあとがきに加えて、円丈・円楽・小遊三の鼎談、そして夢枕獏の解説も加わった。
(三遊亭円丈)
これは買わずにいられないし、読まずにいられない。読み始めると、途中でやめられない面白さ。昭和の大名人の名前を全然知らないという人がいたとしても、これほどの「暴露本」の切実さに感じるものがあるんじゃないか。三遊亭円丈の師、三遊亭円生は戦後を代表する大名人で、桂文楽、古今亭志ん生亡き後、落語界最大の名人とされていた。1965年から72年まで落語協会会長も務めた。しかし、次の会長柳家小さんの代になって、真打を10人昇進させる方針となり、円生は「粗製乱造」を批判して対立が深くなっていった。
(円生)
(小さん)
ここでその後の経緯を全部書いても仕方ないけど、円生と一番弟子の円楽を中心に落語協会を脱退(1978年5月)。さらに、古今亭志ん朝や立川談志と語らって、新たな協会設立をもくろんだが、席亭会(東京に4つある寄席の席亭の集まり)が新協会には非協力の方針を打ち出し、志ん朝も談志も落語協会に戻って行ったのである。円生一門は「落語三遊協会」を設立するも、翌1979年9月に円生が急逝。円丈らは協会に戻ることになった。この間の一年あまりの「悲劇の一門」の内情を赤裸々につづったものが「御乱心」という本である。
(5代目三遊亭円楽)
この本で一番印象的なのは、「悪役円楽」の存在感である。円丈師は今でこそ落語通には有名な存在だけど、分裂時にはなんと真打昇進披露の直後だったという。50日に及ぶ披露公演が終了した途端に寄席に出られなくなってしまった。円生は弟子にも詳しいことは何も説明せず、何がどうなっているか判らない。疑心暗鬼の日々が続くが、その間三遊亭円楽は一番弟子というより、ほとんど師匠を動かす黒幕的に事を進めている感じ。弟子たちはみな円楽を煙たがり、もっと言うと嫌っている。だが、大声で場を取り仕切る円楽の存在感のすごさ。
円丈は新米真打だから、脱退組は「円生、円楽、円窓ら」などと新聞記事にも書かれ、「ら」の悲哀を味わう。弟子の中でも、さん生、好生のように、協会に残った者もいる。残りたいと言って「破門」されたのである。(さん生は小さん門下で川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)を名乗って、今も活躍している。好生は林家正蔵門下で春風亭一柳を名乗るが、円生死後の1981年に自殺した。)円丈も残りたい、寄席に出たいと熱望するも、「壮絶な説得」、実は「これがパワハラだ!」を受け、師とともに脱退する。しかしもう円生、円楽に対する気持ちは終わってしまったのである。
円丈は協会に戻った後に、ものすごく多数の新作落語の傑作を作った。円丈なくして、上方落語の桂三枝(現・文枝)の新作もないし、春風亭昇太の存在もなかった。現在の落語界は大きく変わっていたはずだ。新作落語というのは、演劇で言えば一人で原作、演出、演技をこなすようなもの。音楽で言えばシンガーソングライターである。だから、円丈は自らの心の傷を癒すためにも、この壮絶な「暴露」を書かずにはいられない。その心理は非常によく判った。
と同時に、師円生は脱退後に芸が研ぎ澄まされてゆく。自ら地方行脚を繰り返し、ホール落語にもよく出る。落語家として初めて歌舞伎座で独演会をやったのもその頃である。新協会を支えるために、仕事を毎日入れて、そして体は疲弊してゆく。その様を弟子円丈が冷静に見ている。ただ、寄席に出られないと、幹部クラスはホール落語やテレビに出られるからいいけど、前座・二つ目の修行の場がなくなる。ついてきた弟子のことを考えると、円生も円楽もリーダーとしてどうなんだと思う。そういう「組織論」としても考えるところが多い。
この騒動は当時大きく騒がれたから、僕もよく覚えている。だけど、その当時は寄席にもホール落語にも縁遠かった。この本に出てくる有名落語家もほとんど見ていない。映画や演劇にはよく行ったけど、今のような落語ブームじゃなく寄席の敷居は学生には高かった。テレビ番組の「笑点」は当時の方がもっと人気番組で、かなり見ていたと思う。円楽(5代目)は司会者になる前で、「星の王子様」を名乗って大人気だった。実は円楽は僕と同じ小学校を出て、同じ町に住んでいた。町中で見かけることもあったが、何となくこの本で書かれたことも判るような気がする。
20世紀末から落語を時々聞くようになり、円丈さんも何度も聞いた。うまく行くときは超絶的に面白いんだけど、だんだん老いた感じもある。新作だけでなく、古典もとても面白い。あえて円生に弟子入りし、壮絶な体験をする。それがその後の円丈を作ったんだろう。「御乱心」は70年代末の世相を知る意味でも面白い。円楽は何かというと「敗北主義はいけない」と説教する。「敗北主義」なんて政治用語、特に新左翼学生用語みたいな言葉を誰もが使っていた。一方、真打披露公演のご祝儀を節約して、円丈は前座を連れてソープランドに連れて行くなんて、今は書けないだろう話も生々しい。前座思いの「ちょっといい話」だったのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1f/9f/12d66df0e0459be95b67f4c20e7cf907_s.jpg)
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これは買わずにいられないし、読まずにいられない。読み始めると、途中でやめられない面白さ。昭和の大名人の名前を全然知らないという人がいたとしても、これほどの「暴露本」の切実さに感じるものがあるんじゃないか。三遊亭円丈の師、三遊亭円生は戦後を代表する大名人で、桂文楽、古今亭志ん生亡き後、落語界最大の名人とされていた。1965年から72年まで落語協会会長も務めた。しかし、次の会長柳家小さんの代になって、真打を10人昇進させる方針となり、円生は「粗製乱造」を批判して対立が深くなっていった。
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ここでその後の経緯を全部書いても仕方ないけど、円生と一番弟子の円楽を中心に落語協会を脱退(1978年5月)。さらに、古今亭志ん朝や立川談志と語らって、新たな協会設立をもくろんだが、席亭会(東京に4つある寄席の席亭の集まり)が新協会には非協力の方針を打ち出し、志ん朝も談志も落語協会に戻って行ったのである。円生一門は「落語三遊協会」を設立するも、翌1979年9月に円生が急逝。円丈らは協会に戻ることになった。この間の一年あまりの「悲劇の一門」の内情を赤裸々につづったものが「御乱心」という本である。
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この本で一番印象的なのは、「悪役円楽」の存在感である。円丈師は今でこそ落語通には有名な存在だけど、分裂時にはなんと真打昇進披露の直後だったという。50日に及ぶ披露公演が終了した途端に寄席に出られなくなってしまった。円生は弟子にも詳しいことは何も説明せず、何がどうなっているか判らない。疑心暗鬼の日々が続くが、その間三遊亭円楽は一番弟子というより、ほとんど師匠を動かす黒幕的に事を進めている感じ。弟子たちはみな円楽を煙たがり、もっと言うと嫌っている。だが、大声で場を取り仕切る円楽の存在感のすごさ。
円丈は新米真打だから、脱退組は「円生、円楽、円窓ら」などと新聞記事にも書かれ、「ら」の悲哀を味わう。弟子の中でも、さん生、好生のように、協会に残った者もいる。残りたいと言って「破門」されたのである。(さん生は小さん門下で川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)を名乗って、今も活躍している。好生は林家正蔵門下で春風亭一柳を名乗るが、円生死後の1981年に自殺した。)円丈も残りたい、寄席に出たいと熱望するも、「壮絶な説得」、実は「これがパワハラだ!」を受け、師とともに脱退する。しかしもう円生、円楽に対する気持ちは終わってしまったのである。
円丈は協会に戻った後に、ものすごく多数の新作落語の傑作を作った。円丈なくして、上方落語の桂三枝(現・文枝)の新作もないし、春風亭昇太の存在もなかった。現在の落語界は大きく変わっていたはずだ。新作落語というのは、演劇で言えば一人で原作、演出、演技をこなすようなもの。音楽で言えばシンガーソングライターである。だから、円丈は自らの心の傷を癒すためにも、この壮絶な「暴露」を書かずにはいられない。その心理は非常によく判った。
と同時に、師円生は脱退後に芸が研ぎ澄まされてゆく。自ら地方行脚を繰り返し、ホール落語にもよく出る。落語家として初めて歌舞伎座で独演会をやったのもその頃である。新協会を支えるために、仕事を毎日入れて、そして体は疲弊してゆく。その様を弟子円丈が冷静に見ている。ただ、寄席に出られないと、幹部クラスはホール落語やテレビに出られるからいいけど、前座・二つ目の修行の場がなくなる。ついてきた弟子のことを考えると、円生も円楽もリーダーとしてどうなんだと思う。そういう「組織論」としても考えるところが多い。
この騒動は当時大きく騒がれたから、僕もよく覚えている。だけど、その当時は寄席にもホール落語にも縁遠かった。この本に出てくる有名落語家もほとんど見ていない。映画や演劇にはよく行ったけど、今のような落語ブームじゃなく寄席の敷居は学生には高かった。テレビ番組の「笑点」は当時の方がもっと人気番組で、かなり見ていたと思う。円楽(5代目)は司会者になる前で、「星の王子様」を名乗って大人気だった。実は円楽は僕と同じ小学校を出て、同じ町に住んでいた。町中で見かけることもあったが、何となくこの本で書かれたことも判るような気がする。
20世紀末から落語を時々聞くようになり、円丈さんも何度も聞いた。うまく行くときは超絶的に面白いんだけど、だんだん老いた感じもある。新作だけでなく、古典もとても面白い。あえて円生に弟子入りし、壮絶な体験をする。それがその後の円丈を作ったんだろう。「御乱心」は70年代末の世相を知る意味でも面白い。円楽は何かというと「敗北主義はいけない」と説教する。「敗北主義」なんて政治用語、特に新左翼学生用語みたいな言葉を誰もが使っていた。一方、真打披露公演のご祝儀を節約して、円丈は前座を連れてソープランドに連れて行くなんて、今は書けないだろう話も生々しい。前座思いの「ちょっといい話」だったのである。