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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

伝説の書、三遊亭円丈「御乱心」復刊!

2018年03月12日 22時43分39秒 | 〃 (さまざまな本)
 新作落語の大家として有名な三遊亭円丈の「御乱心」(1986)という本がある。1978年に起こった落語協会分裂騒動の内情を徹底的に書きつくした本で、問題の書として伝説化している。古本ではいっぱい売ってるけど、今まで読まずに来た。(刊行当時は多忙で落語界の内情に関心がなかった。)それが今月の小学館文庫で復刊されたではないか。「師匠、御乱心!」と改題され、長いあとがきに加えて、円丈・円楽・小遊三の鼎談、そして夢枕獏の解説も加わった。
  (三遊亭円丈)
 これは買わずにいられないし、読まずにいられない。読み始めると、途中でやめられない面白さ。昭和の大名人の名前を全然知らないという人がいたとしても、これほどの「暴露本」の切実さに感じるものがあるんじゃないか。三遊亭円丈の師、三遊亭円生は戦後を代表する大名人で、桂文楽、古今亭志ん生亡き後、落語界最大の名人とされていた。1965年から72年まで落語協会会長も務めた。しかし、次の会長柳家小さんの代になって、真打を10人昇進させる方針となり、円生は「粗製乱造」を批判して対立が深くなっていった。
 (円生)  (小さん)
 ここでその後の経緯を全部書いても仕方ないけど、円生と一番弟子の円楽を中心に落語協会を脱退(1978年5月)。さらに、古今亭志ん朝立川談志と語らって、新たな協会設立をもくろんだが、席亭会(東京に4つある寄席の席亭の集まり)が新協会には非協力の方針を打ち出し、志ん朝も談志も落語協会に戻って行ったのである。円生一門は「落語三遊協会」を設立するも、翌1979年9月に円生が急逝。円丈らは協会に戻ることになった。この間の一年あまりの「悲劇の一門」の内情を赤裸々につづったものが「御乱心」という本である。
 (5代目三遊亭円楽)
 この本で一番印象的なのは、「悪役円楽」の存在感である。円丈師は今でこそ落語通には有名な存在だけど、分裂時にはなんと真打昇進披露の直後だったという。50日に及ぶ披露公演が終了した途端に寄席に出られなくなってしまった。円生は弟子にも詳しいことは何も説明せず、何がどうなっているか判らない。疑心暗鬼の日々が続くが、その間三遊亭円楽は一番弟子というより、ほとんど師匠を動かす黒幕的に事を進めている感じ。弟子たちはみな円楽を煙たがり、もっと言うと嫌っている。だが、大声で場を取り仕切る円楽の存在感のすごさ。

 円丈は新米真打だから、脱退組は「円生、円楽、円窓ら」などと新聞記事にも書かれ、「ら」の悲哀を味わう。弟子の中でも、さん生好生のように、協会に残った者もいる。残りたいと言って「破門」されたのである。(さん生は小さん門下で川柳川柳(かわやなぎ・せんりゅう)を名乗って、今も活躍している。好生は林家正蔵門下で春風亭一柳を名乗るが、円生死後の1981年に自殺した。)円丈も残りたい、寄席に出たいと熱望するも、「壮絶な説得」、実は「これがパワハラだ!」を受け、師とともに脱退する。しかしもう円生、円楽に対する気持ちは終わってしまったのである。

 円丈は協会に戻った後に、ものすごく多数の新作落語の傑作を作った。円丈なくして、上方落語の桂三枝(現・文枝)の新作もないし、春風亭昇太の存在もなかった。現在の落語界は大きく変わっていたはずだ。新作落語というのは、演劇で言えば一人で原作、演出、演技をこなすようなもの。音楽で言えばシンガーソングライターである。だから、円丈は自らの心の傷を癒すためにも、この壮絶な「暴露」を書かずにはいられない。その心理は非常によく判った。

 と同時に、師円生は脱退後に芸が研ぎ澄まされてゆく。自ら地方行脚を繰り返し、ホール落語にもよく出る。落語家として初めて歌舞伎座で独演会をやったのもその頃である。新協会を支えるために、仕事を毎日入れて、そして体は疲弊してゆく。その様を弟子円丈が冷静に見ている。ただ、寄席に出られないと、幹部クラスはホール落語やテレビに出られるからいいけど、前座・二つ目の修行の場がなくなる。ついてきた弟子のことを考えると、円生も円楽もリーダーとしてどうなんだと思う。そういう「組織論」としても考えるところが多い。

 この騒動は当時大きく騒がれたから、僕もよく覚えている。だけど、その当時は寄席にもホール落語にも縁遠かった。この本に出てくる有名落語家もほとんど見ていない。映画や演劇にはよく行ったけど、今のような落語ブームじゃなく寄席の敷居は学生には高かった。テレビ番組の「笑点」は当時の方がもっと人気番組で、かなり見ていたと思う。円楽(5代目)は司会者になる前で、「星の王子様」を名乗って大人気だった。実は円楽は僕と同じ小学校を出て、同じ町に住んでいた。町中で見かけることもあったが、何となくこの本で書かれたことも判るような気がする。

 20世紀末から落語を時々聞くようになり、円丈さんも何度も聞いた。うまく行くときは超絶的に面白いんだけど、だんだん老いた感じもある。新作だけでなく、古典もとても面白い。あえて円生に弟子入りし、壮絶な体験をする。それがその後の円丈を作ったんだろう。「御乱心」は70年代末の世相を知る意味でも面白い。円楽は何かというと「敗北主義はいけない」と説教する。「敗北主義」なんて政治用語、特に新左翼学生用語みたいな言葉を誰もが使っていた。一方、真打披露公演のご祝儀を節約して、円丈は前座を連れてソープランドに連れて行くなんて、今は書けないだろう話も生々しい。前座思いの「ちょっといい話」だったのである。
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森友文書書き換え問題②

2018年03月11日 22時40分37秒 | 政治
 森友文書書き換え問題の続き。12日にも財務省は文書書き換えを認める報告をすると報じられている。それを前提に、事態は「責任がどこまで広がるか」に移っている。この書き換えは法に触れるのだろうか。一回目の記事で、「書き換え、または変造、偽造」と表現した。僕は本質の問題としては「偽造」に近いと思うのだが、それが違法行為かどうかははっきりと言えないと思う。(司法当局は立件しない方針と伝えられる。)

 公文書「偽造」は、公文書を作成する権限がない者が公文書をまねた文書を作る行為だから、今回の事態には該当しない。「正式に決裁権限のある者が、書き換えた文書を改めて決裁した」わけで、決済する権限自体はある。ある意味で「二つの文書はともに正式な文書である」と言い抜けられる側面もある。(もっともそんな形式的議論をすれば、「決裁文書の書き換え」を別に起案決済していないとまずいのではないかと思うが。)

 だが、このような議論をしていても「書き換えに関わった公務員の責任」という枠を出られない。同じ起案番号を取るのは一般職員の権限では難しいだろうから、何らかの幹部職員の関わりが考えられる。一部では辞任した佐川国税庁長官、当時の理財局長の国会答弁に合わせるため、佐川氏の指示があった可能性が言われている。それはありうると思うが、では佐川氏だけに責任があるのか。佐川氏をかばい続けてきた麻生財務相にも重大な政治責任がある。

 佐川氏にも麻生大臣にも、「何のために財務省の文書が書き換えられたのか」を問わなければいけない。それは佐川氏や麻生氏の自己保身のためではない。今回はっきりしたのは、財務省が「本件の特殊性」を自覚していて、それは国会に知られてはまずいことだったことである。何故だろうか。普通に考えれば、森友学園への破格の国有地払い下げには首相夫人の影響力が働いていたということだろう。だからこそ、書き換え文書を国会に出してきたわけである。

 いや、この「特殊性」とはそういうことではないと言い張ると思うが、書き換えたという事実が事態の重大性を示している。最初に書き換えの法的議論のところで「本質の問題としては偽造に近い」と書いた。それはそういう意味で、「首相夫人の関与が考えられる表現」が削除されて発表されたのだから、「歴史を偽ろうとする悪意」で行われた。そして佐川氏や麻生大臣の国会答弁は、自己の所属する組織を守るためでもあるだろうが、それ以上に安倍首相を守る目的だった。

 佐川氏は国税庁長官を辞任し、記者会見した麻生大臣によれば今後さらなる処分もありうるとのことだ。そういうことを平気で言ってるけど、本来なら麻生大臣も辞めるか、少なくとも自分がトップを務める組織で起こったことを謝罪するべきだ。だが、佐川氏や麻生氏はそれでも国会で答弁せざるを得ないが、この決裁文書の時点では「名誉校長」だった安倍首相夫人は何らの説明をしていない。「小学校の名誉校長」には(その後辞めたと言っても)社会的責任があるはずだ。「あの夫にしてこの妻あり」(またはその逆)かもしれないが、これで済ませてはおかしい。

 以上の議論は森友学園問題の話だが、もう一つ重大な論点がある。国会に提出する文書を書き換えたという点である。国会は国権の最高機関である。行政の側でここまで国会をないがしろにしたことがあるだろうか。現実にはいっぱいあるとも言えるが、これほどヒドイ問題は記憶にない。このままでは国会の権威が(いま以上に)地に堕ちてしまう。国会の側で厳しく対応しないといけない。少なくとも「財務相のクビを持ってこい」ぐらいにならないと野党の意味もない。

 官僚の目もこの問題の行く末を注視しているだろう。こんな書き換え、当事者以外は誰も判らないから内部からの情報があったと推測できる。あまりにもひどいので、保険の意味でコピーを取っておいたのだろう。だが前川氏は個人の行動を新聞に書かれたし、プサン総領事は個人的会食時の会話が官邸に知られてクビになった。非常に用心深く行動せざるを得ない。だが今年になっても、「働き方改革」でのデータ問題なども、政治家ではなく官僚の責任にされかねない。官僚の処分だけで終われば、もはや安倍政権のために汗をかく官僚はどこにもいなくなるだろう。

 最後にもう一点。朝日新聞はなぜ3月2日に報道したのだろうか。その日まで確認作業が必要だったと言うだろうが、それでもここまでの特ダネなら「いつ書くか」を考えないはずがないと思う。ピョンチャン五輪が終わり、パラリンピックと「3・11」までの間。そして、衆院での予算案通過直後。もしこの報道が26日(月)だったら、予算案の衆院審議は止まったのではないだろうか。2月28日に衆院を通過したことにより、憲法の規定で予算案の年度内成立が確定した。僕はそれを待って報道したような気がする。

 予算成立には影響させないことで、安倍政権の反発は多少は和らぐはずだ。一方、25日に予定されている自民党大会までに決めるとされている改憲案の取りまとめは、もし麻生辞任などの「政局」になればかなり難しいのではないだろうか。今回の書き換え問題は、安倍総裁の3選、憲法改正発議にも大きな影響を与える事態になるだろう。それほど重大な特ダネは、やはり報道時期を考えてなされたように思うのである。
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森友文書書き換え問題①

2018年03月10日 23時18分03秒 | 政治
 時事問題を書いてない間に事態がいろいろと大きく動いた。外では「米朝首脳会談」が実現しそうだし、トランプ政権は鉄鋼・アルミに高率の関税を掛け輸入制限に踏み切るとしている。これらの問題はすごく重大だけど、その前に国内の「森友文書書き換え問題」を書いておきたい。

 3月2日(金)の朝日新聞朝刊は、大きく「森友文書 書き換えの疑い」と報道した。一読「にわかには信じがたい」という気もしたが、ここまで大きく報道したんだからよほど自信があるはずだ。直ちに国会で問題化したが、財務省は「捜査中」を理由に、明確な答えをしない。(捜査というのは、背任等で近畿財務局が告発されていて、文書は大阪地検に押収されている。)この間、明確に否定しないことで、なんだか怪しい感じを与え続けてきた。その時点では週末に調査し、翌週火曜までに報告をすると収めたが、その日はそれまでと同じものを出してきた。
 (3.2付朝日朝刊)
 ところで、この問題は今週末にも急転しつつあり、週明けには財務省が書き換えを求める方針だと一部で報道されている。「事実の問題」としては決着したのではないかと思うが、問題の本質や責任問題が大問題になるだろう。しかし、朝日の報道後はしばらくこう着状態が続いた。他紙も「一部報道によれば」「国会で野党が追及」という報道しかしなかった。だから、朝日新聞を読んでないと何が起こったのか、判ってない人も多いんじゃないか。

 東京新聞は9日朝刊になって、この問題の解説記事を掲載した。それを紹介すると、「書き換えが疑われるのは、森友学園との土地取引の際に財務省近畿財務局が作成した2015年の貸付契約と、16年の売却契約に関する決裁文書。いずれも、朝日が確認したとする契約当時の文書と、問題発覚後に国会議員らに開示した文書とは、内容に違いがあるとした。」「文書はいずれも一枚目に決済完了日や局幹部の決済印があり、二枚目以降に経過や内容が記され、起案日、決済完了日、番号が同じだった。」「だが、契約当時の文書には『特例的な内容となる』『本件の特殊性』『価格提示を行う』など、開示文書に記載のない文言があった。」

 ところで、同時に東京新聞の同じ紹介記事で、「同社が『確認した』とする決済文書の内容をもとにした続報で、開示文書との相違点を指摘する一方、朝日が『確認した』とする文書の写真は掲載していない。」と意味深な解説を載せている。これを常識的に判断すれば、朝日は文書を「確認した」のであって、他社マスコミに提供できる文書を入手していない可能性が高い。だから、他社は安倍政権に批判的な毎日、東京などもすぐに後追い報道ができない。一方で読売や産経も朝日を誤報と批判できない状況が続いたのだと考えられる。

 さて8日になって毎日新聞が、朝日が削除されたとする「本件の特殊性」などの表現が他の文書にもあることを確認したと報道した。これでやはり、もともとは「本件特殊性」と書かれた文書があったのではないかと思われるようになった。朝日はいくつかの文書を混同したのではなどと言う人もいたが、朝日報道では「起案番号が同じ」と明記されている。起案番号が同じ文書が二つあるわけがない。どっちかが書き換え、もっと言えば変造、偽造である。

 朝日新聞は「吉田証言」や「吉田調書」の記事を取り消した過去があると言う人もいる。しかし、慰安婦問題の「吉田証言」、福島第一原発所長の「吉田調書」、いずれもその記事に問題ありと取り消しになったが、吉田証言、吉田調書自体は厳然として存在する。一方、同じ起案番号の文書が二つあるわけがないから、これが誤報だとするなら、「誰かが朝日に誤報をさせた」ことになる。現実にはない文書を朝日に持ち込んだ謀略事件になる。まあ、菅官房長官あたりなら、朝日と麻生ともに権威失墜させる高等謀略を仕組めるかもしれないが、いくら何でも考え過ぎだろう。

 常識的に考えれば、朝日が文書自体を公開しないのは、公開すれば誰のものか判ってしまうからだろう。あるいは、「確認」しただけで、コピーを入手できてないのかもしれない。もう大昔のことだが、1971年の沖縄密約事件では文書を示したことで、文書の漏えい先が判ってしまった。決裁印の部分を隠したとしても、文書チェックのクセ(下線を引く、チェック印をするなど)で誰が持っていた文書か特定が可能なものなのではないか。だから、やはり書き換えがあったのだろうと僕は当初から判断している。(今日はここまでで、もう少し続けることにする。)
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石牟礼道子、金子兜太、伊佐千尋等-2018年2月の訃報②

2018年03月09日 21時23分19秒 | 追悼
 2月に一番大きく報じられた訃報は、石牟礼道子だった。10日没、90歳。もちろん読んではいたから、その時に追悼を書こうかとも思ったが、実はもう何十年も読んでない。若いころに読んだのである。その頃は「苦界浄土」で大宅壮一賞を辞退した社会派ノンフィクション作家だと思っていた。僕も「水俣病問題」を知りたいと思って読んだ。東京のあちこちで「」の旗を掲げた患者さんたちの姿が見られた時代である。僕は土本典昭の映画「水俣」や「不知火海」など見たから、評判の「苦界浄土」も読もうと思ったわけだが、その時は正直言ってよく判らなかった。
  (2枚目は若いころ)
 50年代後半に谷川雁が主宰する雑誌「サークル村」に参加。そこには森崎和江、上野英信などもいた。僕は70年代から80年代に「天の魚」「椿の海の記」「西南役伝説」などを読んだ。しかし、最近は「読みにくさ」と同時に「伝説化」も進み、少し敬遠していた。だから訃報があまりにも大きく伝えられたのに驚いた。伊藤比呂美によれば、「苦界浄土」は「日本語が、現代文学の中で、どこまで行けるかよくわかる。その先に大きな穴がぽっかり空いていて、その先が世界文学につながっているのもわかる。」(朝日新聞、3.4)うーん、現代文学の最先端だったのか。

 小川紳介の記録映画「三里塚・辺田」を見た時に、成田空港反対闘争の「最前衛」を闘う人々の家に「御真影」が掲げられてあったので僕は衝撃を受けた。石牟礼道子が晩年に皇后と親しく接した経緯は僕はよく知らないけど、「近代」の奥深くに沈んでいた日本社会の底には「世界」にもつながれば、「前近代」に通じる回路もあったということか。日本の基底にある「共同体」から発せられた「文学」だったのだろうか。石牟礼道子を「世界文学」として読み直さないといけないなあとも思う。ところで、映画「水俣の甘夏」を見て、職場に甘夏を取り寄せて売ったりしたことを思い出した。石牟礼文学もいいけど、土本典昭の映画も忘れないでいて欲しいと思う。

 俳人の金子兜太(かねこ・とうた)が20日に死去、98歳。僕はあまり現代の俳句を知らないけど、東京新聞で「平和の俳句」という企画をしていて、金子兜太も当初の選者だったのでよく読んではいた。それにしても東京や朝日が訃報を大きく報道したのに驚いた。そんなエライ人だったのか。(まあ、読売や産経がどの程度だったかは知らないが。)訃報を読むと、戦後日本を代表する前衛俳句運動の中心者だったという。一方で一茶や山頭火を研究し、「お~いお茶」の俳句大賞などにも関わった。1943年に日銀に入行し定年まで勤めたという。

 代表句を紹介すると、「朝はじまる海へと突込む鷗の死」「彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン」「暗黒や関東平野に火事一つ」「春落日しかし日暮れを急がない」…。うーん、判る気もするが判らないとも言える。俳句にも社会性が必要と主張し、戦争体験者として平和を訴え続けたという。安保法制反対運動の時に「アベ政治を許さない」というプラカードをよく見たが、あの字はこの人の書いたものだった。実は僕は訃報でそのことを知ったのだが、「アベ政治」は詩的表現ではないだろうと思う。ところで時事通信社が19日に確認不十分で訃報を伝えて、その後出勤停止処分を受けた。でも翌日にホンモノの訃報があった。なんだか正しかった気もした。

 ノンフィクション作家の伊佐千尋が死去、2月3日、88歳。もう忘れられているかもしれないが、1978年に大宅壮一賞を受けた「逆転」の著者。米軍統治下の沖縄で刑事裁判の陪審員を務めた経験を書いたものである。それは冤罪事件で、無罪評決を出した。それを機に実業家から著述業に転じた。沖縄の問題や島田事件、布川事件などの冤罪問題の本が多いが、それと同じぐらい趣味のゴルフの本がある。また晩年には裁判員制度の批判もしている。戦前日本にあった陪審制度の復活の方がいいという主張のようで、僕も同感だ。

 教育学者、科学史家の板倉聖宣(いたくら・きよのぶ)が7日に死去、87歳。小さな訃報だったが、戦後教育の中で非常に重要な人だった。「仮設実験授業」を唱えて教育の改善を主張し、数学者の遠山啓と雑誌「ひと」を、また自ら雑誌「楽しい授業」を創刊した。ものすごくたくさんの著書があるが、理科の教育法が中心だったから、僕はほとんど読んでない。そんな中で、科学や統計の方法を歴史の応用したような本もかなりあって、僕も読んだことがある。面白くて判りやすい教材開発、その方法論の研究という意味で、大事だったと思う。
古在由秀、5日、89歳。天体力学の専門家で、初代国立天文台長。文化功労者。
伊達治一郎、20日、66歳。モントリオール五輪でレスリングフリースタイルで金メダルを取った。もう覚えていないけど、大相撲の武蔵丸が入門する橋渡しをしたと出ている。
谷田利景、20日、91歳。ポッカの元社長で、缶コーヒーを作った人である。その前にレモン果汁を合成で製造し、「ポッカレモン」として評判を呼んだ。戦後日本には、そういう新製品を作り出した巨人がいるが、その一人である。
ビリー・グラハム、21日没、99歳。アメリカの福音主義キリスト教会の「テレビ伝道師」として、ものすごく有名な人だった。現代アメリカの「保守」の本家のような人で、政治的影響力はものすごく大きかったと言われる。
 (ビリー・グラハム師)
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映画「野球部員、演劇の舞台に立つ!」

2018年03月08日 21時29分11秒 | 映画 (新作日本映画)
 中山節夫監督による「野球部員、演劇の舞台に立つ!」という映画を見た。渋谷のユーロスペースでの上映は9日までなのだが、今後全国各地での上映も予定されている。その前に松居大悟監督「アイスと雨音」という映画も見た。どっちも「青春」を演劇表現の中に探る映画だけど、まずは素直に感動できる「野球部員、演劇の舞台に立つ!」を紹介。

 もう題名通りの映画で、実話をもとにしている。福岡県八女(やめ)市の高校で、女子の多い演劇部で男子でないとできない役に野球部員の応援を求める。甲子園を目指しポジション争いも激しい野球部員は誰も行きたがらない。だが、野球しか知らない人間になって欲しくない顧問は、ほとんど強制的にエースのピッチャーやキャッチャーを演劇部に送り出す。

 その前に野球部の大会シーンがあり、8回まで完全試合だったのに9回に2点取られて敗退した。見ていると、エースは自分ひとりで戦う気でいる。実際、味方のエラーで危機になるんだけど、ほとんどチームプレーの精神が感じられない。この試合を見れば、すぐに映画の展開が判る。やる気のない野球部員、特にエースピッチャーが、協力して作り上げていかねばならない演劇を通して、少しづつ変わっていく。まあ、そういうことなんだろうと予想するが、案の定そういう風に話が展開する。だけど、それが感動を呼ぶのである。

 台本はOBが書いたボクサーの話で、チャンピオンを目指しながら挫折した青年の話。その内容が野球部員の思いと共振してゆく。この演劇部は女子がほとんどで、キャスティングの都合上、屈強な運動部員が欠かせない。演劇部顧問の宮崎美子と野球部顧問宇梶剛士が昔の同級生だったという縁もあったけど、それ以上に野球部の負けた試合を見ていて、彼らには「演劇体験が役立つ」と直感したんだと思う。そして、宮崎美子演じる三上先生に狙われると逃げられないと部内で言われている。強制するんじゃなくて、いつの間にか乗せられていく。

 だが、エースは手ごわい。やる気のない野球部に腹を立てるメンバーもいる。女子なりにボクサー役ができないわけじゃなく、野球部員を呼んだことで裏に回らなくちゃいけない演劇部員だっている。美術や音響の仕事などの大切さ、異性との心の通い合い、定番的な展開ではあるが、そうやってだんだんエースも理解してゆく。もともと東京の中学大会で準優勝した経験がありつつ、高校では福岡にやって来た。そんな彼の思いも次第に判ってくる。

 本気を出してきたときに、またまた…という展開もお約束的だが、野球部員の活躍で素晴らしい舞台が実現する。まあ、野球部員は実際は若い俳優がやっているんだから、芝居の方がうまいのは当然だけど。八女の名産「八女茶」や今はこっちの方が有名なイチゴ「あまおう」も出てくる。そういう地方風景もいいが、やはり高校生役の皆がいい。いかにもいそうなメンバーばかりで、共感しやすい。エースの渡辺佑太朗、相手役の美緒の柴田杏花が良くて、素直な感動を呼ぶ映画だ。映画教室などで多くの高校生に見る機会が作られるといいなと思う。

 原作は西日本短大付高の教師だった竹島由美子の著書。校名は八女北高校と変えられていて、県立っぽい名前だが私立なのである。監督の中山節夫(1937~)は1970年に「あつい壁」で監督デビューを果たした。これは監督の故郷熊本で起こったハンセン病差別の黒髪小事件を描いて、深い衝撃を与える映画である。その後、ハンセン病問題との関わりも深く、記録映画の「見えない壁を越えて」(1998)や菊池事件の「無実の死刑囚」を描く「新・あつい壁」など差別を告発する映画を作って来た。

 と同時に、独立プロで数多くの青春映画、教育映画を作って来た。1975年の「青春狂詩曲」や1979年の「兎の目」などは感動的な映画だった。ドキュメントの「いま、できることー芦北学園の子供たち」という障がい児を扱った映画も良かった。もう全然忘れられているだろうが、僕はずいぶん中山節夫監督の映画を見ているわけだ。その後の「ブリキの勲章」「原野の子ら」「「あかね色の空を見たよ」などの教育映画は見ていない。自主的に教育を問う映画を作り続けてきた中山監督らしい映画で、こういう映画を若い時に見るのは大切なことだと思う。演劇の力もよく判る。
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大杉漣、川地民夫、左とん平等-2018年2月の訃報①

2018年03月07日 22時27分44秒 | 追悼
 2018年2月は厳寒だったからか、日本では多くの訃報が伝えられた。何だか毎日長いのも疲れるので、2回に分けてまず俳優の訃報から。多くの人がビックリしたのが、俳優の大杉漣の訃報だろう。テレビ番組撮影後に急に体調不良を訴えて、そのまま入院してすぐに亡くなった。2.21日没、66歳。これは今の日本ではまだまだ現役の年齢だ。

 僕は大杉漣の歌を聞いたことがある。そもそも「漣」という芸名は、フォーク歌手高田渡の息子、やはり音楽をやっている高田漣から付けられた。その高田渡のドキュメント映画「タカダワタル的」が上映されたとき、ある日大杉漣もゲストに呼ばれていた。そして加川良の「教訓1」を歌った。イラク戦争さなかで、自衛隊がイラクに派遣されようとする時期だった。この歌が今もなお必要とされていることに気づかされ暗然としたものだ。

 転形劇場が出発だというから見ていたかもしれないが、記憶にはない。やはり北野武監督作品「ソナチネ」で最初に認識したんじゃないかと思う。以後様々な役柄を見てきたが、最近だったら「シン・ゴジラ」の総理大臣、「アウトレイジ最終章」の新会長とか、実力以上の事態に直面してあたふたする役が絶品だった。「蜜のあわれ」の老作家役も近年の名演だった。

 俳優の訃報が多い。川地民夫が亡くなった。2月10日没、79歳。日活や東映映画で活躍した。日活の特集上映があると時々トークをしていたが、僕は聞いたことはなかった。逗子で石原裕次郎の隣に住んでたのが、俳優のきっかけというからビックリ。「陽のあたる坂道」でデビューした頃は、芦川いづみの相手役の青春スターだった。それも驚きで、僕はどっちかというと「凶」とか「狂」的な役柄が多くなる時期の印象が強い。「狂熱の季節」や「東京流れ者」などだ。特に鈴木清順映画で忘れがたい役をいっぱい演じた。一つ上げれば「春婦伝」だと思う。
 (川地民夫)  (左とん平) 
 テレビや舞台で活躍した左とん平が、24日没、80歳。とぼけた味の名脇役で、何を見たのかよく覚えてないけど印象が強いという俳優だった。この人の話も、「天切り松 人情闇がたり」に関するトークを聞いたことがある。あまり覚えてないんだけど。

 外国の俳優では、インドの女優シュリデビィがドバイで亡くなったという報道があった。54歳。心不全と伝えられたが、浴槽で倒れて溺死したらしい。「マダム・イン・ニューヨーク」の主演である。タミル映画の子役でスターとなり、その後「ボリウッド」のトップ女優となったが、1997年に結婚を機に引退。久しぶりの復帰作が、2012年の「マダム・イン・ニューヨーク」だった。

 イギリスの映画監督ルイス・ギルバートが死去、23日、97歳。007シリーズを3本撮っている。日本を舞台にした「007は二度死ぬ」箱の人である。アクション映画を中心に安定した娯楽映画を量産した監督だった。作品的には「アルフィー」ではないか。僕らの世代には「フレンズ」が有名である。15歳ぐらいの少年少女が恋をして、家出しながら妊娠出産するという話で、これは当時ではかなりショッキングだった。続編も作られた。
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応仁の乱とは何だったのか

2018年03月06日 23時14分49秒 |  〃 (歴史・地理)
 忘れないうちに「応仁の乱」について書いておきたい。2016年10月に出た呉座勇一「応仁の乱」(中公新書)は昨年ベストセラーになって話題となった。僕も一度読んだんだけど、どうも今ひとつよく判らなくて、ここでは紹介しなかった。今度、石田晴男「応仁・文明の乱」(吉川弘文館、戦争の日本史9)も読んでみて、また呉座氏著書も読み直してみた。そうすると、前に判りにくかった点もかなり理解できた。
 
 「応仁の乱」は名前は有名だが、中身が理解しにくいことでも有名だ。まず、「応仁・文明の乱」という題名について。最近の教科書では、半分ぐらい(?)が「応仁・文明の乱」と書いている。当時は「一世一元」ではなく、戦乱や災害が起これば改元する。京都を焼け野原にした縁起の悪い元号はさっさと変えたい。1467年(応仁元年)に大乱が勃発し、応仁は2年で終わる。1469年が文明元年。乱が正式に終わるのは、1477年(文明9年)だから、10年以上続いた大乱の大部分は文明年間だった。でも、乱が起こった元号で「応仁の乱」と言い慣わしてきた。ここでも面倒だから「応仁の乱」とする。
(当時の絵巻に見る応仁の乱)
 応仁の乱が判りにくいのは、実は当時の人も同様だった。第一次世界大戦や現在のシリア内戦などと同じく、そこまで戦乱が大きくなるとは誰も思わない戦争がある。室町時代には、将軍に次ぐ管領(かんれい)は斯波・畠山・細川の3家、侍所長官は赤松・一色・京極・山名の4家しかなれなかった。応仁の乱の中心となったのは、東軍が細川勝元、西軍が山名宗全で、どっちもこれらの家柄だった。それらの家の多くは戦国時代を生き抜けなかった。それも判りにくい理由だと思う。(江戸時代の大名に残ったのは京極家だけ。細川氏も管領を出す本流は没落し、熊本藩の細川家は傍流である。大名としては続かなくても旗本などで続いた家が多いが。)
(山名宗全)
 どっちの本も乱の前後がくわしい。今まではよく「応仁の乱をきっかけに戦国時代に入る」と言われた。しかし、今はそれは否定されている。1493年に起こった「明応の政変」(10代将軍義材から11代義澄に将軍を交代させたクーデター)こそが重大だったというのが現在の通説だ。応仁の乱の原因が、8代将軍義政の後継者争いだったというのも、後の時代に作られた説らしい。一番重大なのは、多くの守護大名家が家督争いをしていたことである。管領家の斯波氏も畠山氏も壮絶な家督争い中。細川勝元の正妻は山名宗全の養女だったから、両者はもともと敵ではない。だけど、あちこちの家が分裂して守護大名が二分されると、双方とも大将に祭り上げられていった。

 1428年に4代将軍義持が死んだとき、長男の5代将軍義量はすでに亡く、後継者は決まってなかった。そこで3代将軍義満の子、つまり義持の弟の中から、くじで選んだ。それが6代将軍義教だが、やがてものすごい専制政治になった。(個人的資質に加え、「神に選ばれた」という意識が強かった。)個人的好悪で家督を取り替えたり、守護を辞めさせたりした。その挙句に、次に狙われると危機感を持った赤松満祐が、1441年に義教を家に招いた席で謀殺した。(嘉吉の変)その後、山名氏を中心に赤松氏を滅ぼすとともに、義教に遠ざけられた人物は復権させた。こうしてお家騒動はますます複雑になってしまったわけである。

 呉座氏の本は第一章が「畿内の火薬庫、大和」となっている。「ヨーロッパの火薬庫、バルカン半島」のもじりだ。確かに第一次世界大戦はサラエボの銃声で始まった。だが第一次大戦史でバルカン情勢ばかり詳しすぎたら、全体像がつかみにくいだろう。呉座氏の本も大和の記述が多く、そこが面白いけど中央政界の全体像が判りにくい。そこで石田氏の本を読むと、300頁ほどの本で200頁位まで乱が起こらない。当時は日本中で争いが絶えず、その帰結が応仁の乱だった。大和も出てくるが、関東情勢が詳しい。呉座氏は関東情勢の影響を限定的に考えるが、石田氏は関東情勢が中央政治への影響を重要視する。関東のことは書きだすと細かくなりすぎるので省略するが、その違いは興味深い。

 大和国、今の奈良県は当時特別の地域だった。守護不設置の国で、事実上興福寺(藤原氏の氏寺)が守護を務めていた。寺と言っても、多くの荘園を支配し、僧兵という武力を抱える領主勢力であることは同じ。神仏習合の時代だから、春日大社も一体だが、興福寺に属する僧兵を「衆徒」、春日大社に属する非僧の武士を「国民」と呼んでいたという。興福寺が強いから、大和では強大な戦国大名が産まれず、僕も大和情勢はほとんど知らなかった。しかし、京都に近い「南都」として特別の重みがある大和は、南に南朝の「聖地」である吉野、東に南朝よりの北畠氏が強い伊勢、西に分裂した畠山氏の本拠地である河内という「地の不利」があったのである。

 呉座氏の本で「主人公」格の僧侶が二人いる。どっちも興福寺別当を務めた経覚(きょうかく)と尋尊(じんそん)である。二人とも日記が伝わった。尋尊の日記は戦前に公刊されたので、よく通史などで使われる。僕も名前は聞いたことがあったが、くわしい経歴は知らなかった。どっちも「大乗院」の「門跡」(もんぜき)。興福寺は藤原氏の寺だから、藤原氏の子弟がトップになる。大乗院は九条家と二条家系の次男以下の男児が入寺すると門跡と呼ばれ、将来のトップが約束される。僧侶が世襲でもいいのか。一応試験みたいなものもあったけど、貴種の場合は事前に答えが教えられているんだという。

 ところで、その経覚の方が将軍義教の覚えが悪くなり、クビになった。興福寺は「官寺」扱いだから、トップ人事は政治が決める。そして嘉吉の変後に復活した。そんな立場だから、同じような境遇の方に同情する。そういう経覚と尋尊の見方の違いが随所に現れ興味深い。そして、ここに大和の名門、筒井氏から成身院光宣という武将が出て、勝ったり負けたりするが、特に畠山氏の内紛に大きく荷担し、西軍の畠山義就と争う。光宣は東軍方の畠山政長に肩入れした。応仁の乱が始まったころはまだ守護大名の大軍が来てなくて、光宣のような機動力が大きな意味があったらしい。そこで尋尊はこの光宣が応仁の乱の元凶だと日記に書いてるそうだ。そこまで言えるかは微妙かなと思う。
(細川勝元)
 さてもう長くなってしまったので、大乱勃発後のくわしい説明は止める。屋敷を塹壕で囲んで持久戦を戦い、その間に敵地近くに放火する。その間に京都は焼け野原になってしまった。そんな一進一退の戦況が続くが、やがて将軍義政がいる東軍が優勢になっていく。昨日の敵が今日の友のような状況で、補給路を断たれた西軍が個々別々に本拠地に去っていき、なし崩しに終わっていく。10年も続き、総大将の山名宗全も細川勝元も同じ年に亡くなり、もう皆どうでもいい感じだったのである。でも厳しい家督争いをしている当事者は、乱を終わりにはできない。そういう畠山氏や斯波氏の争いは続くけど、他は勝手に講和してしまうのである。

 大乱後すぐに将軍権力が弱体化したわけではなかった。でも、守護大名が京都にいると現地の支配が揺らぐので、京都を引き上げるようになった。斯波氏なんか、守護を務めていた越前は守護代の朝倉氏、尾張もやはり守護代の織田氏が実権を握ってゆく。畠山氏は両派で争いが続くが、山城国では1485年に「山城国一揆」が起き、両軍の勢力が「国人」(在地領主層)に追放された。両書で山城国一揆の評価もかなり違っている。いずれにしろ、「民衆共和国」といったものじゃないが、いろいろと見方があることが判る。こうして室町幕府はゆるやかに「畿内政権」化していった。
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「シェイプ・オブ・ウォーター」-オスカー受賞の名作

2018年03月05日 21時23分45秒 |  〃  (新作外国映画)
 2018年のアカデミー賞の作品賞、監督賞、美術賞、作曲賞の4部門で受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」(The Shape of Water)を見た。これは愛の名作だなあと思った。「スリー・ビルボード」が先読み不能なのに対し、「シェイプ・オブ・ウォーター」はこうなるだろうという方向で物語が進行する。物語の進行が大事なのではなく、愛のファンタジーの美しさが心に残る映画。

 この映画は基本的に「ジャンル映画」として作られている。ベースは「モンスター映画」だが、ゴジラやモスラのような怪獣ではなく、フランケンシュタインとか「アマゾンの半魚人」とかの怪物である。1962年、アメリカの秘密研究施設に「半魚人」(なんというべきかよく判らないが)が連れられてくる。偶然目撃した清掃員イライザ(サリー・ホーキンス)は、耳は聞こえるものの言葉がしゃべれない。イライザは実験で殺されようとしている「怪物」に次第に心を寄せていく。

 ここまでは事前情報で知っていたわけだが、見てみると「スパイ映画」としても作られていた。冷戦下、この謎の生物をめぐって米ソが裏で争っていたというわけである。「愛のファンタジー」の外側を規定する枠組みとして米ソスパイ戦がある。だから政治的に怪物を抹殺する動きも出てきて、イライザは戦うしかなくなる。周囲の助けを得て、イライザは自分の部屋に彼を連れてくる。

 言葉を使えない彼女と「怪物」は、だんだん心を伝えあえるようになり、美しいミュージカルシーンがある。このような「ジャンル・ミックス」の魅力がこの映画を忘れがたくしている。映画では今までも異星人と心を通わせたり、いくつもの「異文化理解」の名作が作られてきた。この映画は「モンスター」や「冷戦」という枠組みを使って、どんな人にも愛への扉が開いていることをうたい上げた。名作だと思う。美術や音楽もアカデミー賞を取っただけの素晴らしさである。

 主演のサリー・ホーキンスは、「ブルー・ジャスミン」でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、今回主演女優賞にノミネートされた。どちらも受賞しておかしくない素晴らしさだったけど、チャンスに恵まれなかった。主演というより助演タイプだから、今後「シェイプ・オブ・ウォーター」以上の作品に巡り合えるかどうか。この映画の美しさは実に絶品である。監督省受賞のギレルモ・デル・トロはここ最近受賞が目立つメキシコ出身の監督。「パンズ・ラビリンス」や「パシフィック・リム」などを作ったけど、これは一つ図抜けた大傑作。脚本、原案、製作にも加わっている。
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映画「羊の木」は面白いんだけど…

2018年03月04日 22時38分58秒 | 映画 (新作日本映画)
 吉田大八監督「羊の木」は、吉田監督の才能がよく判る面白い映画で、ヒットもしてるようだ。山上たつひこ原作、いがらしみきお作画のマンガの映画化だが、僕はそれは知らない。だけど、テーマが「殺人受刑囚の仮釈放と更生可能性」といったものだから、関心を持たざるを得ない。

 「刑務所にかかる費用の削減」と「過疎対策」を目的に、国家的極秘プロジェクトが実行される。普通なら仮釈放にならない受刑者を、10年間ある地域に定住するという条件で特別に仮釈放する。職業と住居は受け入れ自治体が責任を持って探す。プロジェクトは極秘とされ、地域住民も、仮釈放者どうしも、それどころか自治体内でも担当者以外には何も知らされない。

 ということで、日本海側の「人もいいし、魚も美味い」魚深市に6人の前科者がやってくる。担当者の月末一錦戸亮)だけが、上司から事情も告げられずに6人を出迎えることになる。まあ、大体の設定は観客も知って見てると思うが、月末も次第になんとなく気づいていって、上司に詰め寄ると前記のようなプロジェクトだと言われるわけである。

 その6人を演じるのは、松田龍平北村一輝市川実日子優香田中泯水澤紳吾と実に豪華キャスト。水澤紳吾はともかく、他の面々はもっと大きな役になってもいいわけで、誰が重大な役になっていくんだろうと思って見る。ドラマなんだから、「全員見事に更生しました」も、「全員が再犯者になりました」もないだろうと普通想定できる。だから一人ぐらいはまた犯罪を犯すんじゃないかと見てしまうが、それが誰かは判らないというサスペンスである。(これ以上は書けない。)

 地元に伝わる奇祭「のろろ祭り」をきっかけに、事態は大きく変わっていく。月末の同級生で地元に帰った石田文(木村文乃)を含め、地方の人間関係が描かれる中で「6人の元犯罪者」のありようがだんだん判ってくる。このドラマでは、設定上雇用主も前科を知らないことになっていて、そこで「バレるんじゃないか」というスリルもある。だけど、それは無理でしょう。現在でも多くの篤志家が刑余者を雇っているが、事情を知ったうえでないと雇えないし頼めない。他の従業員にはあえて知らさないかもしれないが、雇い主にも秘密じゃおかしい。

 吉田大八監督(1963~)は、「桐島、部活やめるってよ」や「紙の月」などの傑作を作った。2017年の三島由紀夫原作「美しい星」は見逃したが、面白い映画を作るという点では安心できる。「羊の木」もスリルやサスペンスにあふれ、とても面白かった。ただし、「奇祭」の扱い方など物語そのものへの疑問もある。考えてみれば、見てるうちは疑問に思わないんだけど、基本的な設定がおかしい。割と短い有期刑の受刑者が多く、なんでこの制度の対象になったのか疑問だ。

 本当は「犯罪とは何か」「犯罪者とはどのような人間か」「人を信用するとはどういうことか」といった大きなテーマにつながる話なんだと思うが、結局「誰が再犯するか」の興味本位になった感じがある。それが残念なんだけど、何人かのエピソードでは、「信用」の問題が大きく扱われている。実際はどんな人であれ、自分も含めてよく判ってないことが多い。だから自分なりの「肌感覚」で付き合うしかないんだろう。

 映画を離れてしまうが、もしこういう制度があったら「無期懲役」(あるいはそれに匹敵する長期刑)の人が対象になるはずだ。10年間定住しないといけないんだから、懲役10年以下の受刑者を対象にするのはおかしい。それに「仮釈放」なんだから、保護司に報告する義務がある。特例プロジェクトだから保護司がいなくてもいいというなら、それは「仮釈放」とは呼べない。行政が秘密に進めるんじゃなくて、保護司の苦労が出てきた方が話が深くなったと思う。現在無期懲役の「事実上の終身刑化」が進行している。その意味で、なかなか興味深い設定だと思うけど、やはりあり得ない設定だった。
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映画「ロープ 戦場の生命線」は拾い物

2018年03月03日 21時08分30秒 |  〃  (新作外国映画)
 1995年、バルカン半島のどこか。(というか、明らかにボスニア戦争が舞台だが。)村人の生活用水である井戸が、死体が投げ込まれたため使えない。井戸を降りてロープで死体を縛り、車で引き上げようと頑張っているのは、「国境なき水と衛生管理団」である。しかし、ロープが頼りない。だんだん擦り切れて、ついに切れてしまう。もう一本別のロープを探すが、村人は誰も持ってない。

 「ロープ 戦場の生命線」という映画は、そんな不条理な設定に向き合う。ボスニア戦争はもう何度も映画化されてきたが、この映画はNGOの活動を中心に描く。その新鮮な切り口が面白い。案外な拾い物で、見て欲しい映画。「水と衛生」という団体はなく、「国境なき医師団」のことだろう。スペイン人の医者が書いた原作の映画化だから、スペイン映画なのである。

 主演の二人はベニチオ・デル・トロティム・ロビンス。国際的キャスティングだが、それは国際NGOだから当然。メンバー間は英語でコミュニケーションしている。さて、新人女性スタッフを連れてその村に向かうもう一台の車がある。ところが道の真ん中に牛の死体がある。それは死体を避けてどっちかを通ると、そこに地雷があるということだ。どうすればいい。右か左か。

 もう圧倒的に、訳が分からない状況だ。誰が何のために地雷を埋めたか、誰が死体を井戸に投げ込んだか。ロープなんか、どの家にもあるだろうし、農村なんだから店に行けば売ってくれるだろう。でも誰もがないと言い、店でも売ってくれない。二人は新人女性(メラニー・ティエリー)と通訳を連れ、ロープを探しに行く。途中でサッカーボールを探す少年を助け、彼の家で衝撃的な事実を知るが、サッカーボールとロープは何とか入手する。

 その後、デル・トロと過去に訳ありらしき国連女性カティヤ(オルガ・キュリレンコ)を加え、村に戻ろうとするが…。もう難問に次ぐ難問の続出で、ついには野営。なんとか翌日村には着くけど。この映画は戦場とはこういうものだという、ありえないような状況で活躍する人々を描く。だけど、ヒーローとしてではなく、むしろブラックユーモアの色が濃い。新人のフランス人女性は、まだ理想に燃えている。だが、現地の人々だけでなく、国連などの官僚的対応にだんだん擦り切れていく。

 オルガ・キュリレンコ演じる女性官僚は、そんな過酷な現場に「過剰適応」するメンバーを「適切に評価」して故国に返す役を担っている。過酷であればあるほど、逃げ出す人もいるだろうが、そんな過酷さをタフに生き延び、そこから抜けられなくなって日常生活に不適応になる人がいる。土日も熱心に部活をやって、ついには勝利優先で生徒に体罰をしてしまう「熱血教師」みたいなタイプだ。そうなる前に帰国を促す役割の人がいるのか。

 国連はPKOの実働部隊を持つが、NGOは身一つで動き回る。そのような「援助」の体を張った危険な世界、と同時に非日常の連続からくる高揚感。そんな世界をこの映画はうまく描いていると思う。戦争をもとに立ち現れた日常的な「暴力」も見つめている。この異常な世界は、いまもシリアなどで続いている。だが、何も戦場というだけでなく、「支配」の仕組みは世界で共通である。

 スペインのフェランド・レオン・デ・アラノア監督作品。スペインのアカデミー賞に当たるゴヤ賞で脚色賞。で、井戸の死体はどうなったか。不条理とブラックユーモアは最後のシーンまで見逃せない。原題の「A PERFECT DAY」の意味がラストを見た時に判る。
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ソフィア・コッポラの映画「ビガイルド 欲望のめざめ」

2018年03月02日 22時34分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 何本かの新作映画について簡単に。まずはソフィア・コッポラ監督の「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」。あまり宣伝もないまま公開され、それほど評判にもなっていないが、まあ仕方ないと思う。でも、これは2017年のカンヌ映画祭監督賞受賞作である。そして、それ以上に1971年のドン・シーゲル監督「白い肌の異常な夜」と同じ原作のリメイクなのである。

 「白い肌の異常な夜」なんて、もう覚えている人も少ないだろう。あれはドン・シーゲルや主演のクリント・イーストウッドが単なるアクション映画の作り手じゃないことを証明した作品だった。南北戦争中の南部ヴァージニア州。北軍を脱走した負傷兵が森で倒れている。それを見つけた少女が、森の奥にある寄宿制の女子学校に連れて行く。そこには戦火を逃れて学んでいた女性教師と女生徒が住んでいた。敵兵ながら人道的な配慮で傷が治るまでは看病することにするが…。

 この北軍兵はコリン・ファレルで、初めはむさ苦しいが傷が治ってきてヒゲも剃れば、なかなかいい男。学園の園長はニコール・キッドマン、教員はキルスティン・ダンスト、年長の生徒はエル・ファニング。異常な環境で、異常な出会い方をした一人の男と多くの女性たち。こりゃあ、何かが起こるに違いない。ということで実際に起きるわけだが、もう副題が「欲望のめざめ」なんだから、何が起きるか大体判り切っている。

 戦争という異常な時代に「閉じ込められた女性たち」の憂愁。思えばソフィア・コッポラはいつもそういう女性たちの孤独を描いてきた。「ロスト・イン・トランスレーション」でも、「マリー・アントワネット」でも「SOMEWHERE」でも。でも何か独りよがりな、少女趣味のような世界を脱しきれなかったように思う。偉大な父を持った、森茉莉のような世界。今度の映画も同じような感じはするけど、美しい映像で磨き上げられた怪しい魅力を持っているのも事実だ。

 ドン・シーゲルの「白い肌の異常な夜」は、これはまたすごい邦題を付けたものだが、クリント・イーストウッドを中心に作られていたと思う。「ビガイルド」は、より女性たちの葛藤を描き出している。トーマス・カリナンという作家の原作をもとにしているが、原作とは少し違っているらしい。サザン・ゴシック(アメリカ南部を舞台にした異様な設定のゴシックロマン)として、なかなか楽しめたが、カンヌで監督賞というのは過大評価じゃないか。まだ見てないけど、「女は二度決断する」のファティ・アキンや「ラブレス」のアンドレイ・ズビャギンツェフなどもいたんだから。
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「湖の男」と「水底の女」

2018年03月01日 21時10分13秒 | 〃 (ミステリー)
 「湖の男」と「水底の女」、どっちもミステリー。題名が似ているから続けて読んだ。湖で死体が発見されるという発端も同じ。「湖の男」はアイスランドのミステリー作家、アーナルデュル・インドリダソンの作品。もう4冊目のシリーズだが、作者の名前が覚えられない。アイスランドは人口35万程度だから、そうそう大規模な犯罪は起こらない。そんな国でミステリーが成立するのかというと、さまざまな人生上の問題は世界共通だから「犯罪」は起きる。北国の風土を生かした、暗めの人生派というタッチで、謎解きよりも人生の味わいを描く。

 同じチームの警察小説で、「湿地」「緑衣の女」「」と訳されてきた。今のところ、僕は「声」が最高傑作だと思う。今回の「湖の男」はミステリー的な興趣、あるいは謎解きには多少問題があると思う。しかし、ヨーロッパ現代史の闇を追求する姿勢が興味深い。これは冷戦下のアイスランドと東ドイツ(当時)の結びつきを背景にした、驚くような現代史だった。

 1989年の「東欧革命」で、東ドイツの「社会主義政権」が崩壊したわけだが、その暗黒面をもう知らない人も多いだろう。アイスランドは米ソの中間点にあった。普通の地図だと気づかないかもしれないが、地球儀でワシントンとモスクワを結んでみればアイスランドはおおよそ中間にある。第二次大戦後には、アメリカの基地も置かれていた。逆にソ連派の共産党も存在したわけで、貧しい若者を東ドイツのライプチヒにある大学に留学させていた。そんな若者たちの中には、留学後に秘密警察(シュタージ)が支配する独裁社会の恐ろしさに気が付いたものもあった。

 一方、近年になって、ある湖の湖面が下がって湖底にあった死体が発見された。それはソ連製の送信機に結び付けられて沈められていた。一体誰で、どんな事情があったのか。警察は過去の事情を探り始める。まずは当時の失踪者を洗っていくが…。シリーズに共通する捜査陣の日常も興味深いが、「湖の男」の最大の読みどころは、当時の東ドイツの学生事情だろう。人民が主人公のはずが、実は事実上ロシアの植民地で言論の自由もなかった。共産党から送り込まれた「筋金入り」の青年たちにも亀裂が走っていく。当時の東ドイツを覆う沈鬱な描写が心に刺さる。

 村上春樹レイモンド・チャンドラーの長編小説を翻訳してきて、「水底の女」はいよいよ最後の長編である。題名は今まで「湖中の女」と訳されていた。原題は〝The Lady in the Lake”だから、まあ確かに「湖中の女」だが、内容的には「水底の女」の方が含蓄がある。「湖中の女」を読んでるわりに細かい設定は忘れていた。でもはっきり言って「定番的展開」だから、ミステリーファンなら予想通りになるだろう。例によって、私立探偵フィリップ・マーロウが大金持ちに雇われて行方不明の妻を探し始めると、なぜかあっちこっちで死体を発見してしまう。金持ちの持つ私有の湖という設定がすごい。刊行されたのは1943年だから、カリフォルニアには日本との戦争の影も濃い。そんな時代のムードを背景に書かれている。

 チャンドラーは大体いつもそうだが、読み初めが進まない。事件の構図がはっきりしないうちは渋滞感が強いが、次第にスピード感が出てくる。村上春樹が一番最後に回したぐらいで、ミステリー的には弱いところはある。でも面白いには面白い。村上訳はチャンドラーを少し「純文学」にしてしまった気がする。それも最初の頃の読みにくさをもたらしている。でも確かにチャンドラーは全部読む価値があるし、前に読んでる人も新訳を読むべきだと思う。昔はよく判らなかったアメリカ事情が今の方が通じる。翻訳権の関係から、長編小説を全部訳したのは村上春樹が初めてとなる。
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