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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

2023年4月 読書の記録

2023-05-25 17:45:32 | 好きなもの・音楽や本

図書館で見つけて、3月に読んだ『約束された移動』
『砂漠』とともに借りてきていた、伊藤比呂美作
『たそがれてゆく子さん』
婦人公論に連載していたらしい。

伊藤本は未読のものが見つかるたびに読んできたので、
作者の人生を、よく知っているような気になっていて‥
どんな人と結婚して、ポーランドに住んでいた
こともあって、いつの間にか離婚していて、今度は
年の離れたアメリカ人と結婚して(入籍はなし)、
その人の子どもも産んで、熊本には年老いた両親が居て、
介護でたびたび日本に帰ってきてたけど、その両親も
亡くなって‥そしてこのたび(この本で)、アメリカ人の
夫も年老いて、ついに死んでしまったことを、彼女の
文章によって知ることになった。

読み進めていくうちに、そうそうこうだった、こういうふうに
この人はすべてを語り尽くしていくのだった‥と思っていたら、
次女のサラ子のことだけは、どうしても書くことができなかった
と知り、ものすごく驚いた。
伊藤さんは文中でこんなふうに振り返っている。

いつだってサラ子は、人前に立つと表情がなくなった。
棒みたいに突っ立っているばかりだった。それを引き取りに、
何度も何度も、小学校や中学校や(高校のときはマシだった)
大学に行ったもんだ。ああ、苦労した。苦労した。
貝がむき身で太平洋の荒波をわたるような、ジェットコースター
でシートベルトなしに振り回されるような、そんな苦労だった。
(中略)
サラ子については、あたしはそれを書けなかった。それほど
悩み抜いていた。あたしがそうなんだから、本人はどれだけ
苦しんだろう。
わかっている。こんなところに連れてきて振り回した親のせいだ。

このあとは、三女トメの結婚式で、立派に人前で挨拶をした
サラ子と、それを見て泣いた伊藤さんの描写が続き、読みながら
私も一緒に泣きました。

渡米を決断した理由のひとつに、コヨーテを見てみたかった
とあり‥。
大きな犬と共に、果てしなく広いカリフォルニアの大地を
毎日歩いている伊藤さんを思い浮かべることができ(そこでは
遠吠えのコヨーテの声も聞こえて‥)この本に出会えて、
よかったと思うのでした。








あのこは貴族
映画化作品を@WOWOWで観て、原作は読んでなかったのですが、
娘のiBOOKとシェアできることがわかり、電車の中で、と自分に
限定して読んでみました。
映画は原作に基づいてとても丁寧に作られていたし、キャストも
本の雰囲気にぴったりだったとわかりました。

都内に実家があり、閉じられた環境で守られながら育ってきた人が
「貴族」だとして‥地方からの「上京組」は何をしても太刀打ち
できないという構図とともに、女性の敵は女性であり、敵対する
ように仕向けられているので、賢い女はそれに乗せられては
ならない‥がさらりと語られていてよかったです。







4月には楽しみにしていた春樹氏の新刊が届きました。
街とその不確かな壁

ここ数年はラジオ番組を続けているし、その流れで企画した
ライヴコンサートの進行役で顔出しもしているし、
もしかしてもう小説は書いていないのでは???とひとり
思ってました。が、こうしてきちんと仕事をしていたのですね。

春樹作品を読んできた人なら、「街」と「壁」と聞けば

 
『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』の
「世界の終り」で語られてきた街を思い浮かべるはずで、さらには、
その元になったかつて文藝誌に掲載された『街と、その不確かな壁』
を思い出していたはず。(もちろん私もそうです)

何が同じで、何が違うのか‥謎を解くような、間違い探しの絵を
見比べるような気持ちもどこかにありつつ、読み進めました。
(今までは新刊が出ると、早くその物語が知りたくて、先へ先へ
と急いだものでしたが、今回は3週間くらいかかりました)

読後最初の感想は、とても長い話だった、です。
主人公は高校生だったのに、いつのまにか中年と呼ばれる年齢に
なっていたので、その人の半生を駆け足で見たような気持ちに
なったかと思えば、「壁」の内側の「街」に居たときは、日々同じ
ことが繰り返されるばかりで、人も季節もどこへ向かって進んで
いるのかわからず‥。私は自分自身の時間をも、いつの間にか
含めて読んでいたので(20歳の頃から春樹作品を読んできた
その思い出)、その結果「長い話」と感じたわけです、きっと。

街、壁、影、深い穴(時には枯れた井戸)10代で出会った女の子、
図書館や図書館で働く人‥。
春樹作品におなじみのモチーフが続々と現れ、それは何かの
メタファというより、作者のココロの奥底にいつでも「ある」
もので、作者は、『街とその~』の何人かの登場人物のように、
「そこ」と「ここ」を無意識のうちに行ったりきたりしているの
ではないかと思ったりします。
そして、↓に記したような美しい文章も、そんな無意識下から
うまれてくるのではないかな。

 そこに一人で立っていると、私はいつも悲しい気持ちになった。
それはずいぶん昔に味わった覚えのある、深い悲しみだった。
私はその悲しみのことをとてもよく覚えていた。それは言葉では
説明しようのない、また時とともに消え去ることもない種類の
深い悲しみだ。目に見えない傷を、目に見えない場所にそっと
残していく悲しみだ。目に見えないものを、いったいどのように
扱えばいいのだろう?
 私は顔を上げ、川の流れの音が聞こえないものかと、もう一度
注意深く耳を澄ませた。しかしどんな音も聞こえなかった。風
さえ吹いていない。雲は空のひとつの場所にじっといつまでも
留まっていた。私は静かに目を閉じ、そして温かい涙が溢れ、
流れるのを待った。しかしその目に見えない悲しみは私に、
涙さえ与えてはくれなかった。




また近いうちに二度目を読み始めると思います。

コメント
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