昨日3月10日は、今年度最後の、読み聞かせ当番の日でした。6年生のクラスで読んだのはこの本です。
『ラチとらいおん』
マレーク・ベロニカ 著
ラチという名前の、とっても弱虫な男の子が、あかい らいおん の助けをかりながら、強くなっていくお話です。白地にシンプルな色で描かれた絵はとっても見やすくて、ストーリーも難しいところがありません。なので、幼稚園や保育園の時から、読んでもらっている子がとても多い作品だと、思います。
でも、小学校の1年の間で、どの学年で、読みたい絵本かといえば、やはり、この時期の6年生の教室で読みたいなあと、私は思います。
それは、2つの気持ちから、そう思うのですが。
ひとつは・・、こわい時、心ぼそい時、心配な時、泣きたい時、ラチにとってのらいおんと同じように、誰かが(お母さんだったり、お父さんだったり)いつも側にいてくれて、それはとっても素敵なことだったね、という気持ちの確認。
もうひとつは、これからの新しい世界で、戸惑うことや、不安に思うことに合っても、ポケットの中のらいおんの存在を信じていれば、必ず乗り越えられるよ、という応援の気持ちです。
1月に、6年生のクラスに行った時、 『だいじょうぶ だいじょうぶ』を読みました。
その時も、はじめは『ラチとらいおん』を読むつもりだったのですが、急にそっちを読みたくなって。そうして、両方の本を何度も何度も練習しているうちに、『だいじょうぶ~』のおじいちゃんと、『ラチ~』のらいおんは、主人公のぼく(あるいはラチ)にとって、まったく同じ存在なのだと思うようになりました。
成長していく過程で、何より大切なのは、側にいるということです。恐い犬がやってきた時、友だちの輪に入れそびれてしまった時、暗い部屋に欲しいものがある時、一緒に行ってくれる誰か、後ろに隠れさせてくれる誰かが居てくれたからこそ、いつの日か、犬や友だちと遊べるようになり、暗闇は、ただの、明るくない部屋だと思うことができるようになるのです。
おじいちゃんの存在と、「だいじょうぶ」という言葉。幼い頃の自分自身の記憶と結びつくせいか(私はおばあちゃんでしたが)、とっても日本的な感じがします。それに対して、絵本から現れたらいおんが、ポケットの中で応援してくれていて、気がつけばそれは赤いりんごで、らいおんは手紙を残して去ってしまうなんて、とってもかっこよくて、西欧社会の合理主義を見たような気がちょこっとします。
しかし、表現のしかたはどうであれ、小さい時にしっかりと見守られた人は、大人になってからも、帰りたくなった時に、いつでも帰れる場所があるのだと思います。それは、本当の家や人かもしれないし、お話や絵やいつか見た場所の匂いかもしれないけれど。
来年度も、小学校での読み聞かせは続けていきたいと思っています。
『ラチとらいおん』
マレーク・ベロニカ 著
ラチという名前の、とっても弱虫な男の子が、あかい らいおん の助けをかりながら、強くなっていくお話です。白地にシンプルな色で描かれた絵はとっても見やすくて、ストーリーも難しいところがありません。なので、幼稚園や保育園の時から、読んでもらっている子がとても多い作品だと、思います。
でも、小学校の1年の間で、どの学年で、読みたい絵本かといえば、やはり、この時期の6年生の教室で読みたいなあと、私は思います。
それは、2つの気持ちから、そう思うのですが。
ひとつは・・、こわい時、心ぼそい時、心配な時、泣きたい時、ラチにとってのらいおんと同じように、誰かが(お母さんだったり、お父さんだったり)いつも側にいてくれて、それはとっても素敵なことだったね、という気持ちの確認。
もうひとつは、これからの新しい世界で、戸惑うことや、不安に思うことに合っても、ポケットの中のらいおんの存在を信じていれば、必ず乗り越えられるよ、という応援の気持ちです。
1月に、6年生のクラスに行った時、 『だいじょうぶ だいじょうぶ』を読みました。
その時も、はじめは『ラチとらいおん』を読むつもりだったのですが、急にそっちを読みたくなって。そうして、両方の本を何度も何度も練習しているうちに、『だいじょうぶ~』のおじいちゃんと、『ラチ~』のらいおんは、主人公のぼく(あるいはラチ)にとって、まったく同じ存在なのだと思うようになりました。
成長していく過程で、何より大切なのは、側にいるということです。恐い犬がやってきた時、友だちの輪に入れそびれてしまった時、暗い部屋に欲しいものがある時、一緒に行ってくれる誰か、後ろに隠れさせてくれる誰かが居てくれたからこそ、いつの日か、犬や友だちと遊べるようになり、暗闇は、ただの、明るくない部屋だと思うことができるようになるのです。
おじいちゃんの存在と、「だいじょうぶ」という言葉。幼い頃の自分自身の記憶と結びつくせいか(私はおばあちゃんでしたが)、とっても日本的な感じがします。それに対して、絵本から現れたらいおんが、ポケットの中で応援してくれていて、気がつけばそれは赤いりんごで、らいおんは手紙を残して去ってしまうなんて、とってもかっこよくて、西欧社会の合理主義を見たような気がちょこっとします。
しかし、表現のしかたはどうであれ、小さい時にしっかりと見守られた人は、大人になってからも、帰りたくなった時に、いつでも帰れる場所があるのだと思います。それは、本当の家や人かもしれないし、お話や絵やいつか見た場所の匂いかもしれないけれど。
来年度も、小学校での読み聞かせは続けていきたいと思っています。
読み聞かせがお休みに入ると、やっぱりちょっと
さびしいというか、もの足りないような感じが
します。
新年度での始まりは、おそらく5月中旬頃なので、
それまでは、勉強の時間ですね。
新しい仲間との出会いもあるだろうし、楽しみです。
糸井氏の書かれた色紙「大丈夫」は、かなり
味わい深いものでしょうねえ。うらやましいです。
おじいちゃんや、おばあちゃんの
いっけん安易な数々の言葉。大丈夫、だったり
いい子だね、だったり。
そんなのを知らずに、常に正面ばかり見て
両親とだけ暮らしている「今のこどもたち」は
かわいそうかもしれないなあと、思います。
『ラチとらいおん』新しい出発に向けて、本当にぴったりですね^^
きっと皆が勇気を貰ったことと思います。
私も来年度からは小学校での読み聞かせ、再開しようと思っています。
今から楽しみです^^rucaさんのところでさらに勉強していかないと♪
子どもにとってはすごく安心できる魔法のことばなのかもしれませんね。
昔のことですが、糸井重里さんにお会いした時に、色紙にでっかく「大丈夫」と書いていただいたことがありましたよ。(~~)
--(や)--