先日のセミナーで知り、とても気になったのはこの絵本でした。
『海と島のマイリ』
スーザン・クーパー文 ウォリック・ハットン絵
ふるた ちえ訳
日本の、天女の羽衣伝説と似たような話ですが‥。
大きく違っているのは、天女が最初から、人間の格好をしていて、
若者に取られてしまったのが、衣(ころも)すなわち衣服であるのに、
この話は、海に住むアザラシが、自らの毛皮を脱いで、人間の娘に
なっていたとき、その毛皮を奪われてしまったというところです。
動物に姿を変えられてしまったり、人間+動物の格好をしたものなど、
世界中には色々なお話がありますが、アザラシがその毛皮を脱ぐ、という
ダイナミックさに、私はかなり興味を持ちました。
それについては、裏表紙には、ちゃんと説明がありました。
原題は、THE SELKIE GIRL
セルキー(Selkie)はケルト人の伝説に出てくるあざらしを指す言葉で、
この種類のあざらしは、あざらしの毛皮をまとった妖精だと考えられてきました。
セルキーは、人間の姿になったときは、とても美しく、男のセルキーは
人間の女と恋をし、女のセルキーは人間の男に求められて、妻になったと
いい伝えられています。(後略)
12月のおはなし会で聴いた「白鳥の王女」のときもそうだったのですが。
自分がかつて居た世界からのお迎えがきたときに、帰るか帰らないのかの
選択がすごく気になっているのです。
白鳥の王女は、家族の呼びかけには応えなかったのに、元の恋人から
声をかけられたら、すぐにでも白鳥に戻ってついていく勢いでした。
(一瞬早く、人間の夫におさえられて、飛び立てなかったんですが)
このアザラシの娘は、毛皮を捕られてしまったので、島の男(ドナラン)に
ついていくしかありません。
いくらドナランに愛され優しくされても、もう二度と歌を歌うこともなくなった娘‥
開いた窓から海の音に耳を澄ませるシーンがせつないです。
それでも、5人の子供に恵まれ、子どもたちは立派に成長していきます。
母となった「アザラシの娘」は、元の世界に戻れることができるなら、
5人の子供を置いて、帰っていってしまうのでしょうか‥
母にとっては偽りの世界‥でも子供への愛は、偽りではないと信じたいし、
何も知らずに大きくなった子供たちが不憫にも思えます。
しかし、この物語の後半は、別れは待っているものの、それは行き場のない悲しみではなく、
のびやかで、なにか大きなものに包まれている感じがしました。
セミナーのときに、末盛さんは、様々な理由で別れ別れに、暮らさざる
おえなくなった家族もたくさんいるのだから、
こういうラストがあっていいんじゃないか、ひとつの家族の形ではないか、と思って
本にした、というようなことを(たしか)おっしゃっていたと思います。
(訳者のふるたさんも、あとがきでそれに触れられています。)
同じところで、ひっつきあっているのが「家族」ってわけじゃないし、
離れていても、たとえ二度と会うことが叶わなかったとしても、家族は
家族に変わりはないし、
家族同様に大切な人も、いつまでも、大切な人であることに変わりはありません。
邦題の「海と島のマイリ」‥マイリというのは、ドナランがつけた名前ですが、
読み終わってから、題名に戻ると、なるほどなあと思います。
海だけでも、島だけでもなくって、アザラシの娘は、その両方に存在しているのですもの。
『海と島のマイリ』
スーザン・クーパー文 ウォリック・ハットン絵
ふるた ちえ訳
日本の、天女の羽衣伝説と似たような話ですが‥。
大きく違っているのは、天女が最初から、人間の格好をしていて、
若者に取られてしまったのが、衣(ころも)すなわち衣服であるのに、
この話は、海に住むアザラシが、自らの毛皮を脱いで、人間の娘に
なっていたとき、その毛皮を奪われてしまったというところです。
動物に姿を変えられてしまったり、人間+動物の格好をしたものなど、
世界中には色々なお話がありますが、アザラシがその毛皮を脱ぐ、という
ダイナミックさに、私はかなり興味を持ちました。
それについては、裏表紙には、ちゃんと説明がありました。
原題は、THE SELKIE GIRL
セルキー(Selkie)はケルト人の伝説に出てくるあざらしを指す言葉で、
この種類のあざらしは、あざらしの毛皮をまとった妖精だと考えられてきました。
セルキーは、人間の姿になったときは、とても美しく、男のセルキーは
人間の女と恋をし、女のセルキーは人間の男に求められて、妻になったと
いい伝えられています。(後略)
12月のおはなし会で聴いた「白鳥の王女」のときもそうだったのですが。
自分がかつて居た世界からのお迎えがきたときに、帰るか帰らないのかの
選択がすごく気になっているのです。
白鳥の王女は、家族の呼びかけには応えなかったのに、元の恋人から
声をかけられたら、すぐにでも白鳥に戻ってついていく勢いでした。
(一瞬早く、人間の夫におさえられて、飛び立てなかったんですが)
このアザラシの娘は、毛皮を捕られてしまったので、島の男(ドナラン)に
ついていくしかありません。
いくらドナランに愛され優しくされても、もう二度と歌を歌うこともなくなった娘‥
開いた窓から海の音に耳を澄ませるシーンがせつないです。
それでも、5人の子供に恵まれ、子どもたちは立派に成長していきます。
母となった「アザラシの娘」は、元の世界に戻れることができるなら、
5人の子供を置いて、帰っていってしまうのでしょうか‥
母にとっては偽りの世界‥でも子供への愛は、偽りではないと信じたいし、
何も知らずに大きくなった子供たちが不憫にも思えます。
しかし、この物語の後半は、別れは待っているものの、それは行き場のない悲しみではなく、
のびやかで、なにか大きなものに包まれている感じがしました。
セミナーのときに、末盛さんは、様々な理由で別れ別れに、暮らさざる
おえなくなった家族もたくさんいるのだから、
こういうラストがあっていいんじゃないか、ひとつの家族の形ではないか、と思って
本にした、というようなことを(たしか)おっしゃっていたと思います。
(訳者のふるたさんも、あとがきでそれに触れられています。)
同じところで、ひっつきあっているのが「家族」ってわけじゃないし、
離れていても、たとえ二度と会うことが叶わなかったとしても、家族は
家族に変わりはないし、
家族同様に大切な人も、いつまでも、大切な人であることに変わりはありません。
邦題の「海と島のマイリ」‥マイリというのは、ドナランがつけた名前ですが、
読み終わってから、題名に戻ると、なるほどなあと思います。
海だけでも、島だけでもなくって、アザラシの娘は、その両方に存在しているのですもの。
今日は寒いですね~
海と島のマイリの中で、あの女の子の存在は
大きいですよね。
あの子がいなかったら、家族はああいう形で
お母さんを共有することはなく、恨んだりするだけの
悲しい結末が待っていたと思います。
お母さんが海に帰ることを決断したときに浮かべた
笑顔の意味をきちんと受け止めることができた
女の子の強さは、
母譲りなのかもしれないなあと、今ちょっと思いました。
この本のことrにも知って欲しくて、寝る前に
「読んで」と頼まれもしないのに、勝手に2回に分けて
読みました・笑
特に感想はありませんでしたが、最初の方を自分で
たどりなおしてましたね‥
「ごめんね、そういうわけで、私も海に帰るから」って
言ってみて遊んだりもしました。
rucaさんのレビュー通り、とても印象に残るお話ですね。
母のことを深く理解したあの女の子は、きっちり
自分の中で納得しておさめているんだと思うと、
ただただすごいなぁ、マネできないと感心します。
気づいているけれど、気づかないふりをしたいことに、
正面きってむかえるその強さは、性質として備わるもの
でしょうか。
しなければならないことと、してほしいことが、
小さな子どもにすっと解って受け入れられるなんて・・・と
あの女の子に、想いがとびました。
案外、子どもの持っている大きな気持ちに
包まれていくことが 多いのかもしれませんね。
>Bad Girls Go Everywhere
1月のセミナーのときに、末盛先生が教えてくれた言葉です。
どのあたりだったでしょうか?
Good Girls Go to heaven だけど、Bad ~は
という流れだったと思います。
そして、私みたいなおてんばは、後者のほうねと
おっしゃっていました。
「海と島のマイリ」
ぜひ手にしてみてください。
ケルトの伝説の物語をたどるだけではなく、
いろんな見方、読み方ができる絵本だと感じました。
お母さんが、海から来たアザラシで、海へ帰っていくことを
選んだと知ったとき、ただ悲しむだけではなく、
毅然した態度をとった子供がいたのです。
母の哀しみをずっとその子は、感じて育っていたのだなあと
思うと、不憫にも思えましたが、そういうことを
通り越した「大きな愛」が行きかっているようにも
思えました。
琴子さんにも、Bad Girls Go Everywhere の
素(?)があることがわかり安心しています。
だって、私なんて、BAD GIRLの代表みたいなものですから。
なんで、お迎えにこんなにこだわっているかといえば‥
そのときの自分を考えると怖いからなんです。
ヨクシテクレルオットのこと、省みないかもしれないですもの‥秘
でも、そこにこどもの存在がからんできたとき、
どうなんだろうと、考えてみたりなんかして。
この絵本読んだら、ぜひ感想を、非公式でも
けっこうですので(笑)、教えてくださいませ。
すごくいい絵本だと思いました。
何処だったかしら?
それにどんな場面だったかしら?
忘れっぽい私、
どこで聴いたのか思い出せません。
もしかしたら、セミナーで末盛先生がおっしゃたのでしたかしら?
教えてください。
「海と島のマイリ」のご本を見た時、手にとって中を見る気にはなりませんでした。しかし
末盛先生のお話を聞いて、読むべき本だと思っています。これから図書館に予約しましょう。
今日はいいお天気ね。我が家の窓から、青々と輝く東京湾、そして対岸の工場から上る煙も見えます。
先だってセミナーの復習を丁寧に満足いくまで
しようと思っています。その価値大いにありですよね。特に私の年齢のような女性には!!
Rucaさんの今回のコメント興味深いです。
また 後で読み直ししましょう。
この絵本、こんなに印象的な表紙なんですね。
わたしも読んでみようと思います。
アザラシの皮をぬいで人魚になるというのも
はじめて聞いたお話でした。
帰るか、帰らないか・・・。
白鳥のおはなしを聞いたときは、飛び立とうとした王女に
なんて非情な・・ と憤っていたけれど、よくよく
あとで思い返せば、もし自分なら飛んでいたかも、と
思うこともあるのですよ。
ほんの一瞬、こどものこと、よくしてくれるオットのことを、
忘れるかもしれない、何かそんな力が働くかもしれない。。。って。非情ですね、わたし(笑)
でも、瞬間瞬間で生きたら、そうしてしまいそうです。
Bad Girls Go Everywhere ってことですね(苦笑)