なんとブラックベリーが道端になっていました。民家から無造作に大量に。数年前、ブラックベリージャムを夢見て苗を買って来ましたがせっせと水をやって、2週間で枯らしてしまいました。この辺の気候は合わないんだと自分を納得させていましたが・・・ちょっとショックあきらめないでまた育てようかな。
「今日は忙しくて、全然、練習できてないんです。」
「ほんと、よかった~、それなら、いいものがあるんです。」
モイーズさんの『ソノリテについて』 24ページ。演奏解釈における音の統制
アンダンテの曲が提出するむずかしさを克服させるのを目的とした、ソノリテ最後の課題は、あらゆる曲の演奏解釈をするのに応用できます。初見でやるのがもう最高です。
モイーズさんは「後になって頭では非難するがもはや変えることのできない早まった本能的な演奏よりも、もっと役に立つのである。」と書いています。…早まった本能的な演奏・・・ううっ。ほっておくと私もほとんどすぐこうなります。
それを解決するいい方法があるんです。モイーズさんが書いてくれています。
これをすると、「長い時間がかかり、ときには骨が折れるが、学習者に考える時間を与えるという長所を持っている。理性は本能よりも優位に立ち導く時間を持っているがタンペラモンを抑圧してはならない。私の意見ではみごとな演奏はこの巧みな均衡を基礎とすべきである。」
(*タンペラモンについては「タンペラモン」の項目で書きました。)
方法はソノリテをみてくださいね。テキストっていろいろあるけれど、どれでもいいと思ったものを浮気しないで、ずっと続けることが大切。
「継続は力なり」移っていいときは、マスターしきったと思ったときそれまでがんばろう
姫扇水仙(ヒメオウギスイセン)というそうです。アヤメ科の植物。通勤途上のマンションの庭の隅で見つけました。小さいけれど、この朱色はとても存在感があります。
今日は癒しのまいさんとの練習日。
家に行くと、ハープのシルフィーのメンバーが勢ぞろい。まいさんと食べようと買っていった牧野駅近くの和菓子屋、三福さんのアイスモナカがなぜか4個。ちょうど人数分。帰ろうとするのを引き止めて、一緒に食し、お久しぶりのメンバーもいて思わずして旧交を温めました。
このモナカの皮がパリッとしててスーパーのアイスなんかでは絶対に出ない味。シルフィーさんは13日に1号線沿いの葉山珈琲でコンサートをするそうです。珈琲代でハープの音が聞けます。皆さんもどうぞ。
私も、ヘルマンハープとフルートが合う曲を探しています。今日はヘンデルと、バッハのソナタを試しましたが、悪くないので編曲してもいいけれど、お客さん的にはどうかな?退屈かしら?私は結構好きだけど。古典をやると、楽器同士の響き方がわかるので、いいと思うのですが。作って形にしてみないとわからないなぁ。ヴィヴァルディのマンドリン協奏曲や、スカルラッティなんかいいと思うのですが、楽譜が手元にありません。どうするかなぁ?
練習は相変わらず、ドボルジャークのソナチネ 1楽章はAllegro Risoluto
「「Risoluto」って見落としてたわ。こんだけやってたのに!」悔しがるまいさん、それだけでもう違います。演奏が変わったのが見えた。本当に感性が鋭い。うれしくなってしまう。
早引きや、技巧がうまい人は他にもたくさんいるけれど、この受容性と柔軟性を持つ人は少ないです。
見習いたいです。一緒にいてくれて本当に感謝です。
音楽は「表現」することと思っていましたが、最近はどれだけ「聴ける」かだと思っています。
音楽は「生」もの。デュオなら、自分を保ちながら、人の音を聴く、瞬時に出た音を受け止め、次に何を出すか?その一瞬一瞬の対話で二人でありながら、一つの音楽を作り上げるというところに音楽の喜びがあるのだと思います。それは完全に一致することでもなく、また、競合することでもない。一人一人違う、違うけれど調和している。そう、それが、ハーモニー=調和と言うことなんだと思います。
それぞれが注目をあびることに夢中になっていたりして、この「聴く」=「受容する」と言うことのない音楽は荒れて、やればやるほど疲れていってしまいます。言葉や態度ではごまかせない。音楽の厳しさがそこにあると思います。自信は必要だけれど、絶対と思ったら音楽はワンパターンになってしまう。「問い」を持つこと常に探すこと。常にお互いから謙虚に学ぶことそういう姿勢が全てが音楽なんだと思うようになってきました。私もまだまだ、修行が必要です。