7月になったら、急に夏の気分。朝顔も、もう咲いています。
私は海を見ると、お尻が落ち着きません。大慌てで素潜りで、魚を見に行きます。コバルトスズメ、虹色のべラ、タカハタダイなど色とりどりの魚、こんな世界が現実にあるのでしょうか和歌山でも、熱帯化していて見ることができますが、沖縄では温暖化で珊瑚や魚が減っているそうですが、とっても心配です。
その昔、南仏のニース音楽院に夏季留学しましたが、そのとき、地中海でも泳ぎました。
ニースの海岸は大きな丸い石がゴロゴロしていて、黒っぽい水はあまり美しくはなかったです。
モナコは砂浜でしたが、みな泳がずに美しいマダムたちがビキニのブラをとって、日焼けにいそしんでいました。泳いでいたのは日本人ばかり。魚は見えませんでした。
水の曲を集めて、コンサートをしようとしたことがあります。
フルートの曲では スメタナのモルダウ。 宮城道雄の春の海。 ライネッケのウンディーネ、
ドビュッシーの雲 小舟にて フォーレの岸辺にてなどなど…こうやって、並べてみると尺八とお琴のみで、「海」を表現した、宮城道雄は出色だと思います。川や泉はともかくね、海ですよ。海。オーケストラでならいろいろありますが、管一本と弦一台。しかも、洋楽器と違って圧倒的な音量はないというのに、春の陽の中で穏やかでゆったりとした海、浅瀬の岩場で逆巻く海、大洋に勇壮に動き出す海が一曲の中にストーリーをもって されていきます。
彼の水を表現しようという試みは他にもあって、「水の変態」「ロンドンの夜の雨」「泉」
「水三題」は「山の筧」「大河の夕」「大洋の朝」の三題からなっています。
これは、尺八と琴2台の編成なので、フルートでやってもなかなかいいと思うのですが、春の海と違って歌がついているので、難しいのかな、洋楽で演奏されることはすくないです。…というか私は聞いたことないです。
古いカセットに宮城道雄の演奏の録音があります。実にまろやかな演奏です。間違っていても、納得の音楽性です。音だけとっても、絹糸を当時はつかっていましたが、よく切れてしまうので、最近使われているのはナイロン弦。同じ音はもう出せません。象牙の爪と琴柱。三味線も、象牙と鼈甲の撥で、材料は輸入禁止。琴屋さんに聴くと、在庫を国内でまわしているだけだそうです。
「春の海」は歌詞をつけて、オーケストラで演奏されている版を見つけましたが、ちょっと追分か演歌みたい。かえって雄大な海の感じが消えているのは不思議です。楽器やいろいろな制約がある方が、より表現力が増すことがあるのを実感しました。
それにしても宮城道雄はチャレンジャーです。邦楽の厳しい師弟制度、家元制度の元で、よくぞこれほどと思うほど、洋楽の手法や、古典の手法、近代音楽の技法を縦横無尽に取り入れて作曲しています。
日本人は、管の好きな民族です。尺八、龍笛、篠笛、祭り笛など、さまざまな種類の笛が、全国にあり、愛されていました。擦弦の楽器がほとんど胡弓のみということと比較するとその多さは、驚くほどです。
モイーズさんもその昔、日本の学生を教えて「日本人は必ず世界で通用するフルーティストを排出するだろう。」といわれていたと聞いています。
本当にその予言は大当たりで、工藤重典さんや、佐久間由美子さん他にも大勢の方が世界で活躍されています。それは、私たちがよく知りもしない日本の風土が作り出した血の中にもぐりこんだ笛の音に対する感性、自然に対する感性ではないかと私は思っています。
日本の音楽を今、大切にしなければ、自然と同じく失われてからでは遅いそう思います。