部品を取り寄せている内に、担当の人が代わって、今になってしまいました。一ヶ月以上、割れミラー(テープつき)で走っていたので、綺麗になったら、逆にへんな感じ。スペアタイヤはとりあえずそのまま、
ガソリン代もあがるし、環境を破壊するし、やめられないけれど、やめたい…胸が痛い
「エンデの遺言」ー根源からお金を問うことー
ネバーエンディング・ストーリーや、モモと時間泥棒の作者ミヒャエル・エンデからの遺言を河邑厚徳+グループ現代がまとめ、NHK出版から2000年に出された本です。
確かNHK特集で当時TV放映されました。
エンデは言います。
「どう考えてもおかしいのは資本主義体制化の金融システムではないでしょうか。人間が生きていくことのすべて、つまり個人の価値観から世界像まで、経済活動と結びつかないものはありません。問題の根源はお金にあるのです。」1994年2月6日のインタビューより
「私が考えるのは、もう一度、貨幣を実際になされた仕事やものと対応する価値として位置づけるべきだということです。そのためには現在の貨幣システムの何が問題で、何を変えなくてはならないかをみんなが真剣に考えなければならないでしょう。人類がこの惑星の上で今後も生存できるかどうかを決める決定的な問いだ、と私は思っています。非良心的な行動が褒美を受け、良心的に仕事をすると経済的に破滅するのがいまの経済システムです。」
「漁師がお金を借りて、大きな船を買い、湖の魚を取る。対岸の漁師はより大きな船を買う、競争で買い、魚を獲る。工場を作って魚を処理する。ローンを支払うために、どんどん魚を獲る。結果として湖の魚が一匹もいなくなっても、誰も良心の痛みを感じない。湖は誰の物でもないから。」
2000年は分岐点だったのかもしれない。この提言は何人かの人々に衝撃を与え、バブルの中、地域通貨と言う概念を実践した地域もありました。しかし、長い不況の中、経済効率優先は、問われることなく自明のことのように進み。地域通貨ははかばかしくはありません。
今やいろいろな問題が浮き上がりつつあるように見えます。
食糧難や、一杯の水が得られずに亡くなる人がいる一方で、大量の食品が箸を通されることなく廃棄される。投機マネーで、小国の国家予算が一夜にして失われ、バイオ燃料への投資のおかげで、食糧自給もままならない国が現れています。
日本に生まれたと言うこと、それだけで、貧しい国の人を逼迫させている。(こんなことを言うとみんなに嫌がられるよね。)でも、それだけの影響力があると言うことは世界を変える力もまた、持っているのではないのだろうか?
さあ、どうしよう?
このかわいい花は、黄花千日紅(きばなせんにちこう)っていうそうです。夏祭りに売っている棒つきのアメみたい。子どもの頃は不衛生だからっと買ってもらえなかった。この辺では19日に盆踊りがあります。小学校の校庭でやぐらを組んで、自治会や子ども会の模擬店が出ます。江州音頭は、5人の歌い手さんが来て、太鼓を叩きながら、エンドレス
今日の音楽であそぼう!の始まりは、茶摘みの歌。「八十八夜って何か知ってる?」
「茶摘みの歌詞は?」
「えー!知らん。」
「手を合わせて、叩きながら歌うのは知ってる?」
「知らん!」
これが、今の小学生です。でも大丈夫。
「私、知ってる。」何人か知っている人がいました。
「知らなくても大丈夫。知っている人と同じようにしたらいいよ。じゃあ、ペアーになって」
二回やったら完璧。
「今日は、メロディーベルで『うみ』をやります。知っている人?」
「知ってる。」さすがにこれは大丈夫。
「二つに分かれて、演奏します。どうやって分かれる?」
「はい、グッパ。」
「えーいやや。」
「いやな人は、案を出してね。」
「じゃんけん。」
「好きな人同士、集まって、たらへんかったり、多かったら話し合うねん。」
「「とりとり」」
「とりとりって何?」
「エー知らんの?」「知らんから教えて?」
「代表選んで、じゃんけんに勝った方から一人ずつとっていくねん。」
「他に案のある人?いませんね。では、どうやって決め方を決める?」
「多数決。」
「じゃあいいと思うのに手を上げてね。」
「うん。」
「とりとりに決まりました。」
「代表を選んでください。」「代表をやりたい人。どっちのパートがしたい?」
「とりとりじゃんけん最初はぐー、じゃんけんぽん。」
チーム分けが一番大変。子どもの自主性を育てるのが目的であって、プログラムをこなすのが目的ではないので、子どもが意見を出し切るまでつきあいます。するといつも、子どもたちは絶妙のバランス感覚で折り合いをつけていきます。子どもは、本当に知恵があります。
演奏はここをちゃんとやっていればほとんど大丈夫。ハプニングがなければね。
8月はプール開放でお休み。9月は音楽ではなく、しゃぼん玉遊びをします