グラジオラスを見ると、小学校の理科の時間を思い出します。チューリップや朝顔は学校へ行く前から知っていましたが、1年生学校に行って、はじめて覚えた新しい植物の名前です。「グ.ラ.ジ.オ.ラ.ス」初めて聞いた名前を何度も口の中で繰り返しました。新しいことばを知ったことがうれしかった。今でもこの花を見ると、その時の喜びがよみがえってきます。
学校生活を一年でも経験すると、もう「勉強を好きだ。」と言う同級生を見ると、化石か、恐竜でも発見したような気になってしまいました。思春期に入ると学ぶことはもう苦痛でしかなくなってしまいます。
授業はおもしろいことを言ってくれる先生の授業はラッキー。そうでない先生の授業は眠くて仕方ない。怖くてつまらない先生の授業は最悪。「どうか神様私を眠らせないで。」
大学ではいかにさぼりながら、教室で目立たないようにしながら、試験でいい点数をとるか?そんなことばかり考えていました。学友も同じで、後ろの席から埋まり、前の席はガラガラでした。
ところが、卒業してから働いて自分のお金を出していった音楽院のサマーコースでは世界中のフルート奏者の卵たちは、一番前の席を取り合い、一番の譜面台を誰が取るか?で競争。
コースで認められれば、パリの音楽院の外国人枠にはいれるかもしれない。そうでなければ、有名な教授のプライベートレッスンにもぐりこめるかも。目をきらきらどころか、野心に燃えてギラギラしながら。
授業が始まる前の一時間はそこここで、自主練の音が聞こえてくる、寮では、全員の睡眠時間を確保するために夜練と、早朝練習は禁止されなければなりませんでした。
教授自身が憧れのスーパースターで、演奏すれば、技術の違いはあきらかで、少しでも彼に近づきたい。何かちょっとしたヒントのようなものでも、飛びついて拾い上げて、ありがたいと思い、どの生徒の目にも目的が間近に見え、手を伸ばせばつかめそうに思えていました。
そういうときには、ネガティブになったり、反抗的になったりしてる暇はありません。必死で練習するのみ。言われたことを全てありがたく頂き少しでも自分の演奏を改良するしかありません。
先生はおもしろがらせようと話すことはないし、賞罰や、厳しい規則で縛られなければならないようなものは何もありません。
しかし、そこで学んだことはとてもおもしろかったし、一生の財産になりました。
こんな風に学校でも学べばよかったという一抹の後悔とともに。
真剣に学んだら、おもしろくないわけがない。だって、たくさんの人が生涯をかけて追求しようと言う気になるほどのこと。つまらないはずがないのです。むしろ、真剣でないからつまらないんだ。こんな簡単な事実に長い児童、生徒、学生期にちっとも思い至らなかったのは不思議で、残念です。
しかし、学ぶということに遅すぎると言うこともありません。競争して勝つのが目的なら違いますが、自分自身の能力を、磨き続ければ、昨日より、今日。今日より明日、確実に少しづつやれることが増えていくのが演奏技術の能力というものだから、年をとっても衰えるばかりではなく伸びていくものがあると言うのは、そのこと自体がすごい幸福ではないでしょうか?ましてや、それが美しい音楽なら
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