以前、庭のアイビーに実がなったと書きましたが、2、3日前「ウーン・・・・」と言う音に繁みを覗いて見ると見たことないほどたくさんのミツバチが。足に花粉をつけて、出たり入ったりしています。これは花だったんです。細くて小さな触手のような黄色いおしべとめしべが、忙しくて撮影できなくて、今日になってカメラをむけてみると、もう、花弁は落ちて、ハーシーチョコをひっくり返したような額?しか残っていませんでした。秋になるとこれより少し大きめの実がなるようです。それにしても、アイビー付の家を買って16年、実をつけたアイビーを見たことがない。そんなものなのか、うちのアイビーが特殊?秋が楽しみです。
女性が殺される事件は本当に珍しくないです。もう、聞いても麻痺していて、記憶に残らないぐらいで、そうなっている自分が悲しいです。
私はDVで逃げてきた女性に時々出会います。つい昨日も電話で相談されました。彼女たちは、殴られ、あざを作り、首を絞められ、まだ、自分を責めつづけています。「私がへたくそだから」「私が夫とうまくやる能力がないから」「本当はやさしい人なんだ」と言う人もいます。
母親自身から「悪いと分かっていても子どもを殴ってしまう。」と言う相談を聞いていると実は、彼女自身が夫から暴力を受けていたり。
性の問題が解決すると、社会のほとんどの暴力がなくなるといっている人もいます。
公的サポートを受ければ、贅沢はできませんが、住居、経済、就業、子育ての心配はほとんどありません。女性が子どもを安心して育てることができる環境を国が補償してくれています。
離婚の勧めではありませんが、成人した暴力を奮う人を教育し直すのは専門家が何年もかけても難しいことだと言われています。権威ある専門家でもない、妻が一人で、毎日身の危険を感じながら、できることではありません。DVは暴力を奮うほうに加害の責任があるです。奮われる方には責任も義務も、ありません。
子どもを片親にしたくないと、がんばる人もいますが、暴力の中で育つことは、子どもにとっても安心できる環境、子育てに良い環境ではありません。殴られて良い人なんてどこにもいません。どうか、子どものためにも、あなたのためにも逃げてください。
音楽をやっていてもほとんどの場合、女性の問題は技術ではありません。練習量でもない。まっすぐ立つこと(ヒールを履いてわざわざ体を歪ませてたつのではなく)表現してもOKだと心も体も納得すること。人の前へ出てもいいこと、誰かを凌駕してしまっても、誰も自分を非難しないと信じること。自分をアピールしたり、営業しても構わないと信じること。そういったことが大変なんだと感じています。そういう私もすぐ女性らしさにはまってしまいますが。
憲法上の平等が、個々人にまで降りてくるまでには、60年以上経っても難しいことのようです。
女性らしさが、人間らしいことであると言えるまで、まだまだかかると思います。でも、あきらめるわけにはいかない。人らしい音楽を演奏したいから。