おとぎ話によくあります。飲んでも飲んでも水が減らない筒。塩を永遠に出し続ける石臼。食べても減らないパン。金貨がいくらでも出てくる財布。
昔、無限音階というのを聴いたことがあります。確かに中音のCの音から、CDEFGAHCDEFGAHCと上がっていったはずなのに、気がついたらまた同じ中音のCに戻っている。
実は、音の中に倍音をたくさん混ぜて作った機械の合成音で、すべての音が混ざっていて、上がっているように聴こえるのに上がらない。なんだか奇妙な感じでした。
おとぎ話では自分たちが飲めるだけ、食べるだけ、使えるだけのものを出し、隣人と分け合っているうちは、うまくいっているのに、強欲に身以上のものを求めたり、隠れてむさぼったりしていると、快楽を手にしたはずの主人公は塩と一緒に沈んだり、金貨に押しつぶされてしまいます。
すべての音を含んだ無限音階は可能性がたくさんあるはずなのに、それ以上、発展はしませんでした。
フルートは、欠陥の多い楽器です。音が出しにくい。音のたち上がりが悪い。ロングトーンを安定させるのにコントロールしにくい。音程を作るのが大変。音量が出ない。言い出せばきりがないです。
しかし有限のものの中に、追い求めても追い求めても届かない、深い世界が広がっています。
そして分かち合う時、人は無限のパワーを手に入れます。
利休が小さな茶室にわざと、小さな入り口をつけ、簡素な茶器やしつらえに無限の美を見出したように、口や手や足を使って、限りある体を最大限に鍛え、引き伸ばし、コントロールし、耳と、心で感じたことを分かち合う作業。それが、音楽。また、変化の波がきそうですが、大丈夫。不安が不安を呼び、安心が安心を呼びます。心を落ち着かせることが肝心。
例え、沈み行くタイタニックにのっていようとも、人々と分かち合うことはできます。そうしていれば、エネルギーが尽きることはないと私は思います。