枚方市の対岸の島本町で、読書会。帰りは、大山崎から八幡にかかる御幸橋で、夕焼け。そして、いつものように渋滞でした。
読書会のお題は、「モラル・ハラスメント」-人を傷つけずにはいられないー マリー・フランス・イルゴイエンヌ 紀伊国屋書店
一ヶ月に一回。もう半年位読んでいます。
仕事をしていても、学校に学びに行っても、アンサンブルをしても、コンサートをしても、発表会をしても、子育てをしていても、PTAでも、病気で医師にかかっても、すべては人間関係。音楽はつながりとは言っても、現実に人とつながるには私には困難なことばかり。少しでもうまくやりたい。ということで、お勉強です。
「モラル・ハラスメント」とは殴ったり、蹴ったりなど、激烈な暴力の話ではなく、「見えない暴力」
日常的に行われる言葉や態度によって巧妙に、人の心を傷つける精神的な暴力のことです。
この本では、モラルハラスメントの加害者を裁判にかけて糾弾しようとしても、容易に自分を正当化してしまうだろう。被害者は自殺に追い込まれるようなことがあっても、周りの人間は「被害者にも責任があるのではないか?」と思ってしまう。加害者の行為に触れることによって、まわりの人々は善悪の判断基準を失い、他人を犠牲にしても自分さえ良ければ何をやってもいいというふうに思う間接的な影響をあたえる。被害者自身も、攻撃されたと思うのは気のせいで、誰かが言っていたように、自分で勝手にそう思い込んでいるだけではないか?と言う気持ちを拭い去ることができないのだ。
凶悪さは精神病的なものから来るものではない。他人を人間として考えることができないという「能力の欠如」と、自分のためにすべてを利用しようとする「冷たい合理性」が組み合わさってできたものだ。
と書いています。もちろんここで、書かれているモラルハラスメントの加害は加害者と被害者が恒常的に固定して変らない場合のことですが、近所づきあい、職場の人間関係などのなかでの、ちょっとした当てこすりや、傷つけるための無視や、小さな復讐、情報をわざと流さない、など、誰しもが被害者や加害者にもなった覚えがあるような例がいくつもでてきます。これを読むのは、加害者を糾弾するためではなく、人間はすべて被害者にも加害者にもなることがあると言うことに気づき、自分の中の暴力性を少しでも減らしコントロールするようになることが目的です。
音楽を演奏するということ、多くの人の前で自分を開くということです。
等身大の自分に気づき、自分を赦すことが、人を信頼することの第一歩だと私は思います。そのためには、被害者である自分に気づくだけでなく、加害者である自分にも気づかなければと思います。まだまだ修行は続きます。