音楽の喜び フルートとともに

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引いてしまう自分

2008-12-16 00:40:49 | Weblog

なぜか、持っている能力の半分も発揮しない人がいます。
実力をつけて、さあ、それを発表とか、これで自由に他の人とアンサンブルができるぞ。というと、病気になったり、家族の誰かの世話をしなければいけなかったり、障害物のように困難な仲間が一人入っていたり…って、これ私のことだね

意識はいつも前向きだし、引いていく時は、いつも立派な理由があるのだけれど。
結局は、一つの方向を指し示しています。

自分の能力を育てるつもりが無い。もしくは、自分に力があることを認めたくない。

自分に力があることを認めると、ハンディがなくなる。言い訳できない。責任を引き受けないといけなくなる。
責任を引き受けると、自由がなくなる気がする。力を出してみて、何かあったときに矢面に立つ気がする。袋叩きに合う気がする。精一杯やって、うまくいかなかったら、もうそれまでになってしまう気がする。
実力を見切られると、見捨てられるような気がする。力を出したら誰かを傷つけるかもしれない。

力を発揮しない理由を見つけるのには、事欠かないです。

もういい年をした大人がハンディを欲したり、責任を嫌がったり。責任を引き受けると叩かれると思っているのは、どうだろう?自分が責任のある人の失敗を心の中で叩いてきたということだし、誰かの実力を勝手にこれくらいだろうと見切ってきたってことだし、出してもいない力でもって傷つけることなんてあり得ないし。そもそも自分が人を傷つけるほどの、大きな力を持っていると思っているなんて、なんて傲慢なことだろう?

こういうのを不合理な信念って、心理学ではいうらしいです。

子どものように、今、私はこれ。これが好き。見て見てお母さん。みんな見て、素敵なものを見つけたよ。ってなぜ言えないんだろう?
たとえ、今の私に足りないところを指摘されても、「ありがとう。教えてくれて。」って言えないのはなぜなんだろう?私も、まだまだ大きな荷物を持ちすぎているみたいです。等身大の自分を恥じるなんて。