暴力を奮うシステムはみんな同じです。力を相手をコントロールするために使う。失われた自信を回復させるために、誰かを傷つけたり、脅かしたり、殴ったりして、思い通りの反応を引き出し自信を得る。力の確認作業であると思います。
説教したり、殴ったり怒鳴ったりして、その場で謝らせて、暴力をやめさせたように見えても、力によって屈服させられただけで、システムが変ったわけではないので、他の場や、相手を替えて暴力は奮われます。
これを殴られる人の指導力不足や、殴られる子どもに非があった見る限りにおいて、暴力のシステムは変化が無いと思われます。
殴られている子どもは力にあこがれています。より強く殴る人を尊敬していたりします。
殴らないことが勇気で、静かに話すことが力強いことであると、子どもに理解させることが大切だと思います。いかなる相手、いかなる場合、いかなる事情があろうとも暴力は赦されないと、言い切ることが必要だと思います。
それは、大人自身が、勉強をさせるために子ども殴ったり、威嚇したり、約束事を守らせるために無理矢理引っ張ったり。相手によって態度を変えたりと言うような、システムに生きていると、全く説得力も無いし、子どもは言葉より体験から学ぶものだと思います。
今の教育の困難さは、子どもの世界にだけ、純粋な理想郷を求めるところにあると思います。大人が連帯して、お互いが生き生きとできるように力を使い、静かに話、お互いを尊敬しあうことがもっとも、素晴らしい教育となるように思うのですが、違っているでしょうか?