寒くなりました。我が家は隙間だらけなので、息が部屋の中でも白いです。私は寒がりなので、冬はつらいです。
今朝は、友達が休みの間だけやっている私設の留守家庭児童会のお手伝い。
朝、10時~2時間だけ、「音楽であそぼう!」ワークショップをしました。
絵本に音をつけたり、自分で絵本を作ってそれに音をつけて発表してもらおうとおもったのですが。
絵本作りがとっても気に入ってしまい。枚数も2枚一組のお話をいくつもいくつも書くこどもや、一枚の画用紙を細かく仕切って漫画のようなストーリーをびっちり描くこどもが出てきて、音楽をつける時間がなくなってしまいました。まあ、それもありのワークショップなので、とっても楽しかった。
例によって、音楽や、絵を描く力や、お話をする能力を伸ばすといった事が目的ではありません。
それは副次的なもので、ワークショップで一番大切なことは、どのような考えや、感じ方をしてもそこでは受け入れられる。という体験を保障することです。
そして、友達の感じ考え方に対しても、保障していく場になるように啓発します。
そのことによって、お互いの話に耳を傾け、どんな考え感じ方をもってもOKで、いろんな感じ考え方があるということはおもしろく楽しいって言うことを感じてくれたら大成功です。
それは、どの人の考え方、感じ方も大切にされる。人としてどの子どもも大切であり、多様性を保障するということです。もちろん現実の生活で何か事を進めるためにはその考えを、すり合わせたり、より良い方法を一つだけ選んでいくということが多いかもしれません。その場合でも、考えていることを頭から否定せずにきけば、どんなにばかげた方法と思えるものの中にも、素晴らしい思いもかけない良い方法が混ざっているかもしれないし、自分では思いつけないような突飛な方法を試してみるのもたのしいものです。
中には怖い話をする子もいます。それは、そういう思いをしたことを他のお話に託しているのかもしれません。今日は、障害を持った5年生の男の子が、たくさんたくさん怖い話を描きました。終わってからも、私を車まで荷物を持って送ってくれました。その間中彼は、ずっとその話をし続けました。「さようなら」を言って車のドアーを閉めるまで。彼は、一見障害だとはわかりません。4年、5年どんどん友達との学力の差が開いてきます。夏には「死ね。」と口癖のようにいうので「そういうことを言われてるの?」というと、「こんなんたいしたことない、毎日友達に言われてる。」「言われて傷ついたの?」というと、怒りながら「ええねん、おれなんか死んだら良いねん。」こんな子どもに悪態をつかないように注意しても効果はありません。荒れ狂い、暴力を奮う彼を止めながら、「私は死んで欲しくない。私はあなたが大切だよ。あなたにはいい所がたくさんあるよ。」と言い続けました。
今日の彼は怖い話を描きながらとても、明るく、楽しそうで、自信に満ちているようにみえました。表現できるってどんなに人に力を与えることでしょう。わかってもらえること、話を聴いてもらえることを子どもは本当に待っているのだと私は思います。今日はこどもたちに会えて本当によかった。子ども達に感謝こんな場を作り続け、私をよんでくれたTさんに、感謝