音楽の喜び フルートとともに

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ウェーバーのフルートトリオ

2021-11-12 15:00:41 | 名曲
里山の紅葉はゆっくり進んでいました。

森の暗号?不思議な紅葉の順番。



カール マリア フォン ウェーバー(1786-1826年)

神聖ローマ帝国 リューベック オイティン生まれ、イギリス ロンドン没
古典楽派からロマン派へ移行しロマン派のオペラ様式を完成しました。

オーケストラの配置や、指揮棒を初めて使うなど、今日のオーケストラの基礎を築いたとも言われています。

父が劇団を作ったことでオーストリア全土をまわりました。ザルツブルクでハイドンの弟に学び、ウィーンではフォーグラーに学びました。

1804年ブレスラウのカペルマイスターに就任。2年間務め、その後、カールスルーエ、ミュンヘンを転々としました。
1813年プラハの宮廷楽長になり、楽団を建て直します。
1817年ザクセンの楽長に任命されドレスデンに移ります。
ピアニストとしても各地を周ります。
1821年「魔弾の射手」がベルリンで大成功。
1826年ロンドンのコヴェントガーデン歌劇場の依頼で英語の「オベロン」を作曲、上演しますが、ロンドンで
結核が悪化、そのまま死亡しました。

ドイツロマン派オペラの金字塔と崇められ、ワーグナーに引き継がれ、ナチスにより盛んに演奏され喧伝されました。

ですが、ウェーバー自身にドイツ人という自覚があったかどうか?
生まれたのはリューベック1806年に神聖ローマ帝国滅亡し国境線は流動的。
確かにドイツオペラに多大な影響を与えましたが、ドイツだけでもないですし。

こういうカテゴライズは難しいです。

ロマン派はフルートの曲をあまり残していません。
ウェーバーのフルートトリオop63は、珍しい曲です。