かりゆし水族館の大水槽。
上から見ることができます。
足下に広がる世界はいつまでも見ていられます。
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ジャック オッフェンバック
(1819-1880年)
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プロイセン ケルン生まれ、フランス共和国 パリ没。
ユダヤ系の音楽家の息子のとして生まれ、父から音楽手ほどきを受けます。
母からチェロを学ぶとヴィルトゥオーゾとして活躍します。
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パリ音楽院に入学するも一年で中退。オペラコミックのチェリストとして働くうちに、オペラ コミック座でオペラを書きます。
最初は失敗して、8年間筆を折ります。
その間チェロのパガニーニとして名声を得ます。
1844年カトリックに改宗し、エルミニー ダルカンと結婚します。
1855年ブフパリジャン劇場を設立、経営に乗り出します。
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オペラ上演に次第に成功し出します。
1864年から十年間、フランス帝政下で成功に継ぐ成功で、ブフ・パリジャン座、ヴァリエテ座、パレ=ロワイヤル劇場、オペラコミック座の各劇場でオッフェンバックの作品が同時に上演されるということが幾度もありました。
1871年普仏戦争で第二共和国が成立すると、オッフェンバックは国民を退廃させたと槍玉にあげられます。
オペラ座は破産、オペラは成功しなくなります。
それでも、この十年間で40ものオペラを書き続けます。
最晩年の成功作の一曲が「ホフマン物語」です。
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1851年ホフマンを主人公にした戯曲をオデオン座で見てオペラ化を決めます。
放蕩を繰り返し、いくつもの恋に破れ、絶望の中からまた著作を初めるホフマンに自分を重ねたと言われています。
本人は1880年に亡くなり、81年エルネスト ギローにより初演されました。
実際には何枚もの楽譜や何パターンものストーリーのモチーフが残され、その上火事で初稿が失なわれ、いろいろな人が補筆を試みいろいろな版が存在しています。
ホフマンの「舟歌」はホフマンの恋人で娼婦のジュリエッタと詩のミューズ(女神)がヴェネチアで歌うデュエット。
誘惑的でありながら、不吉な恋の行方を示唆する魅力的な歌です。