夫が飼っているメダカの鉢。
ヒレタゴボウが咲いていましたが、さすがに寒くなって来ると花は終わって緑の葉ばかりに。
カール エマニュエル バッハ(1714-1788年)
神聖ローマ帝国ヴァイマル公国生まれ、ハンブルグ没。
ヨハン セバスチャン バッハの初めの妻 マリア バルバラとの息子の1人です。
7人の子どものうちの次男。
成人したのは四人です。
1720年マリア バルバラが亡くなり、バッハは18ヵ月後にマグダレーナ ブルケン
と結婚しました。
彼女との間には13人の子どもをもうけました。
父親から音楽教育を受けましたが、ライプチヒ大学で法学を学びます。
卒業後、音楽を選ぶことをしました。
フリードリヒ大王がフルートを吹き、クラブザンをエマニュエルが弾いています。
1885年に描かれました。
24歳の時にフリードリヒ大王に仕えると世間の評価は一変し、人気の音楽家になりました。
父より人気でしたが、父に学んだことを生涯アピールしていました。
クラヴィーアの名手で、最も曲を残しているのはクラヴィーアのための曲です。
結婚し子どもを成しましたが、三人に制限しています。
父亡き後、妹たちの経済的支援をしていますが、マグダレーナの支援はしていません。
この動画はディヴェルティメントH,642です。
いつも温かいリアクション
ありがとうございます😊
音楽ストーリーを読んでから聴くと
いっそうメロディが胸に染み入りました。
師走が明けました。
今月もどうぞお元気でご活躍を(^-^)
IOCバッハ会長は違うでしょうね。
音楽を心から楽しんでいることが伝わる瞬間ですね。
お身体お気を付けてお過ごし下さいませね🙏
バッハは日本で言う「小川」さん、という名字でドイツではありふれている名前なので…さあ、どうでしょう?
父子の関係は良く、初めの大バッハ神話を広めたのは、エマニュエルだったと言われています。