日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

木造建築物密集地で火災が発生すると容易に消せない

2024年01月03日 | 社会
今日、1月3日、15:10頃、北九州市小倉北区の商店街・魚町銀天街で火災が発生しました。木造建築物密集地で消防隊が接近するのがむずかしい複雑な構造の区画で、消防隊は周りの建物の屋上から放水して区画を水浸しにする以外に手がないようでした。水は雨のように降っているだけですから建築物の中には入りません。中が熱くなり、黒煙濃度が高くなるとある時点で大火炎を上げて建築物が燃え上がります。この現象が延々と3時間ぐらい続き、延焼が続き、ビルがあるところまで来て、やっとビル壁の水浸し戦術でビルへの延焼を防ぎ、18:30頃、ほぼ鎮火しました。

しかし、燃えた木造建築物区画では19:00になってもあちこちで小火炎が起こり、完全鎮火にはいたりませんでした。

木造建築物の火災はものすごい火勢で、消防隊の放水が無力に見えました。火元に水はかかっていません。水は空しく大火炎の中に消えて行く感じでした。恐らく消防隊が最初の放水を始めたときはすでに火災は大火炎を上げていたと思います。消防隊がかけつける、近くの消火栓からホースを接続して伸ばす、適切な位置を見つけて放水を始める。20分、30分と時間がたってしまったのではないでしょうか。訓練を受けていて、すぐ住民が近くの消火栓を使って消火に当れば大火を防ぐことができたかもしれません。

日限山4丁目は木造住宅密集地です。魚町銀天街より、密集性は小さく、住宅の延焼防止性はいいと思います。また、いい条件で放水はできると思いますが、横方向の住宅密集性が気になります。壁の延焼防止性は不十分ではないでしょうか。特に風が10m/sのように強い時は大火炎を上げている状態になると消防隊でも消せないのではないでしょうか。そればかりか延焼を防ぐことがむずかしいと思います。

火災発生の恐れをできるだけ減らすことが第一と思います。私は自分の部屋で電気ストーブを使っています。部屋を出るとき、あるいは睡眠中は電気ストーブを消す習慣をつけています。家具で隠れているコンセントは使いません。昔、プラグが緩んでいることに気付かず、接触が悪くなり、発熱が起こり、コンセントが黒焦げになったことがあります。

天ぷらなどは火災を心配してではなく、油の始末が面倒なのでやっていません。天ぷら、フライ、唐揚げの類は店で買っています。昔、社宅に住んでいたときお向かいの方が、訪問客と話しこんで天ぷらをあげていることを忘れ、台所を焦がしてしまいました。鉄筋コンクリートの社宅でしたので火災は免れました。

日限山4丁目は、危なかったお話はいくつか聞いています。家庭用消火器が役に立ったと聞いています。新町として誕生以来、約50年、1軒も火災になった家はありません。住民の防災意識が高いおかげと思います。

第二は火災が小さいうちに消すことです。西洗自治会は2010年西洗火消しの会を設け、住民を対象として消火栓および家庭用消火器を使った初期消火訓練を行ってきました。会設立にあたって住民が一番心配している災害は何か調べましたが火災でした。西洗火消しの会は住民に年3回訓練に参加する機会を設けています。うち1回は、家の近くの消火栓から短時間でホースを接続し、消火体制に入る訓練です。2回は、消火栓をあけ、本当に水を出す放水訓練になっています。火災が小さい段階で住民が助け合って消火したいと思うからです。ホースは径50mmを使っています。50mmは住民には危険です。しかし燃え上がった火を消すにはそれなりの水勢がないと消えません。危険だからこそ訓練に力を入れています。
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書初め、「不言実行」、「新しい風」

2024年01月03日 | 社会
「不言実行」は日限山中1年の書初めの言葉、「新しい風」は日限山小5年の言葉です。

二日午前中、中1の孫娘が書初めのため来たので2時間付き合いました。1時間練習、1時間清書に当てました。三日、今日、午前中、小5の孫息子が来たので同じ時間配分で書初めに付き合いました。

2人とも緊張するようで、筆運びが単調になりがちでした。棒を書いたような字になるので、字の筆運びを頭の中に入れ、心の中でウン、スー、ウン、スーと言いながら、力を入れて筆を入れたり、、勢いよく筆を運んだり、力を入れて筆を止めたり、気持ちよくはねたりし、大きな気持ちで大きく書くように、また筆は回すな、45度で入れたらそのまま、筆は寝かすなと教えました。

孫娘が筆が悪いと言いました。筆が根元までおりていて、字が太くなってしまうのでそう言ったようです。しかし筆は根元までおろして墨が筆の根元まで十分含まれた状態で書かないと、一字書くことすら筆に墨を足さなければなりません。一字の中が切れることになります。少なくも一字は一気に書くように教えました。

また根本までおりた太筆でも細字は書ける、筆を紙に押すのではない、筆が紙の上を走る感触を感じながら上げ下げして太い細いを出すと教えました。

書道は筆で書かない、心で書くものだと言うと、孫娘は宗教みたいなものねなどと言っていました。

書も道となれば宗教哲学ですね。

孫たちも疲れたようですが、私も疲れました。書道に慣れていないからですね。

書道で書かれた「不言実行」、「新しい風」などの文字は、印象的で、言葉に力がこもっている感じがします。ただの文字ではないですね。ロゴス(言葉)は神であったというギリシャ哲学、あるいは新約聖書の言葉が生きてきます。書初めは永遠に残したい日本の慣習です。
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