日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

能登半島の北端の輪島市は知れば知るほど歴史の重さ、人々の元気に驚嘆

2024年01月30日 | 社会

鉄道もない能登半島の北端の小市が、輪島塗、輪島朝市、白米千枚田、総持寺祖院、御陣乗太鼓などで、全国的に有名です。大昔から、小村、村、町、小市と発展を続け、現代も21世紀未来計画に市民が燃えていました。不思議な元気を持っていた町です。

20240101の能登半島地震で輪島市は壊滅的被害を受けました。朝市があった港に面した市の中心部は、地震で破壊した上、大火で焼け野原になってしまいました。

まだ後片付けができず、人が住める状態ではありません。

しかし、総持寺祖院は、周辺の建築物は倒壊しましたが、新築されて60年ちょっとの主建築物の構造は今回の地震に耐えたようです。大地が破壊するような地震だったので主建築物も無被害ということはないのではないかと思いますが、また被害の詳細に関する情報がまだないので正確なことは言えないのですが、外から見る限り、しっかり立っているように見えます。

これは輪島の人々に復興の希望を与えるのではないでしょうか。老人は無理だと思いますが、元気ある若い人が、改めて小村から、村、町、小市へと発展する長い未来の道のりを歩きだすのではないでしょうか。

石川県には、復興をあきらめ、住民は移住するという考えもあるようですが、復興の情熱は輪島市民から消えないと思います。今回の被害の教訓を生かしながら気が遠くなるような長期的新しい町づくりが始まると思います。

輪島商工会議所輪島21世紀未来計画研究会が制作維持してきた「輪島学」(https://wajimagaku.jp)は、輪島市民が作る輪島の百科事典です。輪島の歴史に誇りを持ち、今後も市民が協力して町づくりを続ける情熱と元気が満ちています。

日限山4丁目は京急が用意した新町に東京通いの人が移住し、第1世代を形成し、美しい町だと受け入れ、ベッドタウンとして、比較的平和に生活してきました。まだ町の人が協力して町づくりを行う動きは顕著ではありません。第1世代は受動的でした。高齢化がひどく、限界集落ならぬ、限界町の不安を感じる状態です。日限山小学校と南舞岡小学校の合併が問題になっています。卒業生は母校が消えると思うとたまらないですね。

今後10年で第1世代は消えます。否が応でも第2世代は、この町を支えることになります。第1世代のようにベッドタウンでよしとしているようでは元気がなさすぎです。元気がないと町は衰退するだけです。人の老化ではなく、町の老化が目立ってきます。限界町の状態が続きます。ゴーストタウン化の恐れがあります。

人口が減ることより、元気がないことを問題にするといいと思います。町づくりに関心を持つと、必ず元気になります。輪島市民のように「日限山学・南舞岡学」を考えて、未来の日限山・南舞岡を考えましょう。第2世代は町づくりで元気になりましょう。能動的になりましょう。

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