日限山4丁目日記

横浜市港南区日限山4丁目は美しい町です。美しい庭・家は町を美しくし、人々を幸福にします。まちびと

2013年5月頃、西洗公園は死んでいた

2024年06月18日 | 社会

2013年5月頃、西洗公園のオオムラサキの植込み、南側の芝生広場周辺の空間は笹茫々でした。芝生広場は雑草茫々でした。北側の運動広場は、雑草こそ生えていなかったが、土面は石などが多数露出していました。ゲートボール部があって、週2回、ゲートボールをやっていましたが、石が露出している状態で平気でゲートボールをやっていました。

雨が降ると、運動広場は、中央部に水たまりができ、いつまでもぬかるみ、ゲートボ―ルができませんでした。

2013年頃、西洗公園は死んでいました。

そこに彗星のごとく現れたのが、この町の住人で、当時70代前半の男性の笹取りボランティアでした。彼は、笹放置ではオオムラサキは死ぬと言ってオオムラサキの植込みの中に入り、腕や顔に傷を受けながら、笹を1本々々根元で剪定ばさみなどで切っていきました。その働きは神業の領域でした。彼は毎日このハードワークを続けました。

すると西洗自治会副会長の1人が現れ、笹取りをやめるように彼に言いました。彼はやめませんでした。ここが彼のすごさでした。結果、なぜ西洗自治会は、過去、オオムラサキの植込みの中の笹取りを禁止してきたか、理由がわかりました。この町の住民の中に笹取り大反対の人がいました。この人が強烈に西洗自治会に働きかけていました。住民間の争いを嫌った西洗自治会長および副会長が、笹取り禁止の不文律をつくっていました。

このブログですでに事実を書きましたが、笹取り問題は、2013年、笹取りOKという新たな不文律成立で落着しました。笹取り大反対派が沈黙しました。

一方、北側の運動広場の石ころ問題は、2013年から丸山台から毎回ゲートボールをやりに西洗公園に来た90歳ぐらいのゲートボ―ル好き(丸山台2丁目故関清宣氏)が、大きな声で「なんだこのゲートボール場は。管理がなっていないではないか」と言って、自ら石取りを始めたので、日限山4丁目のゲートボ―ル部長以下恥じ入って一緒に石取りをやるようになりました。水たまり問題も、ゲートボール場の中央部に砂泥を入れて少し高くするようにして水はけの改善をはかるようになりました。丸山台のゲートボール老人は2014年亡くなりました。1年ぐらい西洗公園に来ただけ、しかも人生終わりの人、その人の「石取り」実践が西洗公園を復活させました。運命を感じます。不思議ですね。

2013年に現れたこの町の笹取り老人と、丸山台のゲートボール老人は、まさに西洗公園の救世主でした。

なお、笹取り老人は今も西洗公園で公園ボランティア活動を続けています。今は80代前半です。今でもオオムラサキの植込みの中の笹を見張っていて、見つけると徐去していてくれています。

西洗公園は、今後50年、確実にこの町の中核施設として発展し、評価の高い街区公園(まちなかの公園)として町の人々、近隣の町の人々に愛されるでしょう。大公園の風格をもった素晴らしい公園です。自信と誇りをもって、公園管理、頑張りましょう。

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