日限山の南に隣接する町、野庭町に1975年設立の神奈川県立野庭高等学校がありました。歴史なき高校でぱっとしませんでしたが、情熱家のチューバ奏者、中澤忠雄氏を指導者にえて、吹奏楽部はめきめきと腕を上げ、2年で全国大会で優勝しました。私も何度か演奏を聞きに高校を訪問しました。中澤氏の情熱に共鳴し、普通の高校生が生き生きとした奏者に短期で育つことに驚きを感じました。先生に情熱なき教育は教育にあらずと思いました。
(注)中澤氏は、1996年8月に61歳の若さで、燃え尽きるように病気で亡くなりました。
この高校が何と、少子化の犠牲となり、2003年廃校になりました。たった28年の命でした。そんなばかなことがあっていいのかと思いました。自分が卒業した学校を「母」校と呼びます。育ての母です。私は、卒業した静岡県立磐田南高等学校が私の職業を決定したと思っています。教育に情熱を傾けてくれた母校に感謝し、磐田に行くと、必ず南校を訪問して、昔をしのびました。現在の先生も学生も、私はここの卒業生だと言うと心から歓迎してくれました。まさに母校だと実感しました。
学校は安易に設立し、安易に廃校にしていいものではありません。神奈川県の教育精神はどこか浮ついているのではないでしょうか。心なき学校運営と思います。形としてどこかに学校があればいいでしょうと言わんばかりの学校運営です。
今、日限山小学校と南舞岡小学校の統廃合が問題になっているが、横浜市は、お金のことや、学校規模適性化に頭がいき、小学校には、育ての親のような精神性があることを忘れているなと心配です。私は、母校の磐田西小学校は「一心」に生きることを教えてくれたと思っています。西小が廃校になるなんて耐えがたいことです。
横浜市は、一過性のイベントに多額のお金を注ぎこみ、永続的な施設への投資が弱いと思います。小学校は永続的な施設であるべきです。1学級35人などと硬直した考えは捨て、教育への投資は、未來への重要な投資と考え、当面、1学級15人になってもいい、否、15人の方が教育は充実すると考え、長い目で未来を見、両校存続させる工夫努力をしてほしいと思います。
日限山も南舞岡も、今は高齢化で少子化ですが、緑園日限山として、緑園南舞岡として人々が住むことにあこがれる町になります。私達はそうします。再び子供達の元気な声が響く町にします。横浜市も私達も希望を話しましょう。そしてお互い元気になりましょう。
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