88歳になる叔母からメールが来た。
ここ1,2年叔母のメールには「寂しい」の文字が目立つ。
「日は短くなるし涼しくなり秋を痛感しています。寂しいですね」
「日1日と秋が進み夕暮れは嫌になります。狭い庭には吾亦紅秋明菊地味なお花寂しい感じです」
「日中は暖かく気持ち良いです。でもなんだか寂しいのです」
明るく陽気で行動的、前向き思考の叔母だったはずなのに・・・
母が90歳で倒れる前には、月に1度の割合で佐渡に帰って 介護 の真似事をしていた。
母はことあるごとに「寂しい」と口にしていた。
お盆が過ぎると急に寂しくなる。
友達がだんだんいなくなって寂しい。
夕方になると泣きたくなるほど寂しくなる。
人は旦那さんがいるからいいじゃないと言うけど、そんなもんじゃない。
毎回聞く私もほとほと疲れて「私だって寂しい。誰でも寂しいんだから」と口返答すると、
「子でも私の気持ちは分からん」と深い怒りと嘆きに沈んでいった。
そのころから10年たった今なら少しは年を取っていく寂しさが分かるような気がする。
母に寄り添ってあげられるような気がする。
そんな「なんとなく淋しい病」を川上未映子さんが『慢性淋心炎』と名付けてくれたわ。ふんふん。
娘と同じくらいの年かな、川上未映子さん、天は二物を与えるのね。
可愛いそして才能豊か、歌も歌い女優の仕事もある、なんて。
小説は「ヘヴン」しか読んだことはないけれど、エッセイはそこそこ読んでいる、けっこう好きよ。
この『慢性淋心炎』は「hanako」連載のエッセイ「りぼんにお願い」(ご本人)の中のひとつ。
両親と弟の家族に恵まれ、心許す友達もいて、ご自身も芥川賞作家の人と結婚して一児をもうけ、何の不足もないのに。
「さみしい」という古典的感情がわいてきて。
それって本質的なさみしさだから
まるで海辺の家々が潮風に傷んでいくように心がじわじわとやられている感じ
出所原因が分からないから無意味に反芻増大されていくのである
なんて。
そうよそうよ、さみしさなんてそんな感じよね、と大いに共感しつつ。
川上さん、
まだまだよ年を取るともっともっと深く底しれないさみしさが胸の奥の方からじわじわと浸食してくるのよ。
とつぶやきたくなる。
私も意地が悪いね。