まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

『父の生きる』

2015-10-18 08:42:55 | 

 お金があるからできるのよ、といえばその通りで身もふたもないが。
かといって、お金がある人が全てそのような介護をしているかどうかといえばこれまた。

介護といっても人それぞれの事情に応じて千差万別の形がある。
自宅での日常のお世話、施設入居等々。個人的には自宅介護が一番大変かと思うが正解なんてないのだと思う。

  『父の生きる』 著者は詩人の伊藤比呂美さん。

2009・4~2012・4 の約3年間。
お母さんが亡くなった後、お父さんが熊本でひとりで暮らしていくための状況をすべて整えて。
1~2か月カリフォルニア、半月日本というサイクルで、日本と熊本を行ったり来たりしてお父さんの介護をした。
もちろんその間隔はお父さんの状態に応じて短くなっていくわけだが。 
もう、「凄い」としか言いようがない。そのエネルギーに圧倒される。

おまけに日に数回、国際電話をかけてお父さんの様子を確認している。
電話をかけて様子を窺うということは、行ったり来たりして実際に介護するよりずっと精神的に大変だったと思う。

父上は亡くなるまでしっかりしていたようだ、精神的にも肉体的にも。もちろんお年の割には、が付く。
比呂美さんは父上のことを
「人に向かったときは快活で、人懐こくて、素直で、人に頼るのをいやがらない人」と評している。
年を取ったら、いや取らなくても人間関係でいちばん大事な基本的なことだと思う。が、なかなかできない。

長くなるが、心揺さぶられ心底共感し、一緒にため息つきたくなる文章をいくつか引用する。(順不同)

父に電話するのはほんとうにおっくうでした。毎日電話してますから、話さなきゃいけない用件があるわけじゃない。
用件がないのに、なんとか父と話そうと、父を独りぼっちにしておいちゃいけないと、すごくおっくうなのを無理矢理奮い立たせて、
必死になって、電話をしつづけてました。
それでも父が、退屈だ退屈だと呪い、独りだ独りだと呻くんです。その声に耳をすますのはほんとうにつらかった。
大きくてまっ黒な渦に呑み込まれていくようでした。

行ったり来たり、それがどんどん間近になってきていて。みんなが疲れ果てていました。
父は孤独に、私は移動に、カリフォルニアの家族は私の不在に。

夫がたいへんうっとおしい。夫の文句。
前の敵と戦っていたら、背後から一斉射撃された感じである。

父の愚痴を、書きとめて字に起こしてみると、愚痴は、ただのもがきでした。
私に対する攻撃でもなんでもなかったんです。父の孤独が、私にひしと寄り添ってきました。

だけど退屈だよ。ほんとに退屈だ。これで死んだら死因は『退屈』なんて書かれちゃう。
「おれには看取ってくれるものがいない、誰もいない、ルイじゃだめだし」と言い出したから辞めて欲しいと言うと
「ときどき愚痴をこばしたっていいじゃないか、あんたしか言う相手がいないんだし」

仕事がないから終わんないんだ。つまんないよ、ほんとに。なーんもやることない。
とにかくもう生きているのも疲れちゃったからな。死なないから困ったもんだ。

こんどあんたがこっちに来るときはさ、こうやって早いうちにいつ来るって教えないでさ、おれに言わないでおいて、
明日行くよって突然言うようにしてもらいたい。そうでないと、いつ来るって知ってから待ってるのがばかに長くってしょうがない。


私が帰るとき、「ありがとう、いろいろと心配してくれて」と言った。
こういうところが、父はほんとうにすごいと思う。気持ちを言語化する能力。伝えようとするそのすなおさ。

4月17日 父が死んだ (父上は比呂美さんが病室に入って10分後急に亡くなる)

「おとうさんありがとう」
「ありがとう」とこれまでの父の存在に。
「ありがとう」と今日のこのときを迎えるために。
父は私が熊本に戻るのを待っていてくれたし、私が締め切りを終わらして病院に戻ってくれるのも待っていてくれた。

悔いている。(中略)
それでも私は悔いている。もっとそばにいてやれた。もっといっしょにテレビを見てやれた。
三月に帰ってくることもできた。夜だって、自分の家に帰らずに父の家に泊まってやることもできた。
それをしなかったのは自分の意志だ。
私は父を見捨てた。親身になって世話しているふりをしていたが、我が身大事だった。
自分のやりたいことをいつも優先した。父もそれを知っていた。

親をこうして送り果てて、つらつら考えた。
親の介護とは、親を送るということは、自分の成長の完了じゃないかと。

2012年4月17日 父 89歳死去

比呂美さんに圧倒される。
ちょうど私も父と佐渡で暮らしていたときに、新聞でちらっと読んだ記憶がある。
比べるのもおこがましいが、ここにもひとりっ子が遠距離介護をしているんだということに幾分慰められた。
この本を読んで、現実はかなり悲惨なのに不思議とそれを感じない。
むしろ、双方の深い愛情に支えられた静かな穏やかな日々の流れが感じられてしみじみとする。



私自身は、終わってみれば、介護の日々は両親がくれた貴重なものだったのではないか、と今は感じている。
そして、いよいよ自分が介護される側に回る日が近いと思うが、なんの、覚悟のカの字もできていないのよ。
困ってしまう。甘い!

コメント
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